>『エヴァ』のTV放映が終了した直後、1996年6月から『美術手帖』にて連載を開始した『日本・現代・美術』は、1990年代後半以降のサブカルチャーにおいて流行したセカイ系の影響を受けていたどころか、それらの登場をあらかじめ先取りするかのようなタイミングで現れた、セカイ系の作品(アート)だったのである。(黒瀬陽平著『新しい「風景」の誕生』より抜粋、『思想地図』4号113ページ)
千葉・池田組からも指摘されていたように堪木野衣の『日本・現代・美術』という著作は、しかし「虚構の時代の末期」的な想像力で書かれている。ゆえにその内容は、むしろ「セカイ系」に対する「自虐系」として捉えるべきである。前世紀末から、オタク・アニメの領域で「セカイ系」が流行したとき、ほぼ同時期にアートの領域では「自虐系」が流行していた。あるいは、「萌え」というオタク用語が一般にも広まったとき、現代美術家たちのあいだには何故か「アートはテロリズムである」という認識が強まっていたのである(少なくとも米国同時多発テロ勃発の直前までは)。おそらくセカイ系と自虐、あるいは萌えとテロのあいだには、なにかしらの「遠隔作用」が反発的に働いている。(続く)
千葉・池田組からも指摘されていたように堪木野衣の『日本・現代・美術』という著作は、しかし「虚構の時代の末期」的な想像力で書かれている。ゆえにその内容は、むしろ「セカイ系」に対する「自虐系」として捉えるべきである。前世紀末から、オタク・アニメの領域で「セカイ系」が流行したとき、ほぼ同時期にアートの領域では「自虐系」が流行していた。あるいは、「萌え」というオタク用語が一般にも広まったとき、現代美術家たちのあいだには何故か「アートはテロリズムである」という認識が強まっていたのである(少なくとも米国同時多発テロ勃発の直前までは)。おそらくセカイ系と自虐、あるいは萌えとテロのあいだには、なにかしらの「遠隔作用」が反発的に働いている。(続く)