SUPER FLAT 2

非ファルス的にもっこりするものを肯定せよ!(神の性的不器用あるいはその性的悪戯に由来するもの達について)

プンクトゥムの真実

2009年12月22日 | Weblog
>第二の要素は、ストゥディウムを破壊(または分断)しにやって来るものである。こんどは、わたしのほうからそれを求めて行くわけではない(私の至高の意識をストゥディウムの場に充当するわけではない)。写真の場面から矢のように発し、私を突き貫きにやって来るのは、向こうのほうである。ラテン語には、そうした傷、刺し傷、鋭く尖った道具によってつけられた標識(しるし)を表す語がある。しかもその語は、点を打つという観念にも関係があるだけに、私にとってはなおさら好都合である。実際、ここで問題となっている写真には、あたかもそうした感じやすい痛点のようなものがあり、ときにはそれが斑点状になってさえいるのだ。問題の標識(しるし)や傷は、まさしく点の形をしているのである。それゆえ、ストゥディウムの場をかき乱しにやって来るこの第二の要素を、私はプンクトゥムと呼ぶことにしたい。というのも、プンクトゥムとは、刺し傷、小さな穴、小さな斑点、小さな裂け目のことであり--しかもまた、骰子の一振りのことでもあるからだ。ある写真のプンクトゥムとは、その写真のうちにあって、私を突き刺す(ばかりか、私にあざをつけ、わたしの胸をしめつける)偶然なのである。(ロラン・バルト著『明るい部屋』38~39ページより抜粋)

 なんのことはない。「萌え要素」について、デリダはそれを「エプロンズ」と呼び、そしてバルトは「プンクトゥム」と呼んでいた。ただそれだけの話である。デリダとバルトは共通の趣味を持つ萌え兄弟だったというわけだが、おそらく彼らだけでなく、こうした萌え要素にもうひとりの神を見た先達は他にもいるはずである。

>また「触覚のように刎ねた髪」は、筆者の観察では、90年代の半ば、ノベルゲームの『痕(きずあと)』で現れたことから一般化し、現在では多くのアニメやゲームで見られるデフォルトの要素に成長している。消費者の萌えを効率よく刺激するために発達したこれらの記号を、本書では、以下「萌え要素」と呼ぶことにしよう。萌え要素のほとんどはグラフィカルなものだが、ほかにも、特定の口癖、設定、物語の類型的な展開、あるいはフィギュアの特定の曲線など、ジャンルに応じてさまざまなものが萌え要素になっている。(東浩紀著『動物化するポストモダン』66~67ページより抜粋)

最新の画像もっと見る