SUPER FLAT 2

非ファルス的にもっこりするものを肯定せよ!(神の性的不器用あるいはその性的悪戯に由来するもの達について)

養老天命反転地23

2008年10月12日 | Weblog
 この奈義の龍安寺について高橋幸次氏が書いた「3つの会話」というテキスト(の抜粋)は、いくつもの重要なポイントを押さえた、なかなかいい解説文となっている。とりわけ「時間の逆戻り」や「〈非人称〉の視点の入手」といった視点はすこぶる重要だが、ここではまず「意識が身体から、あるいは身体が意識から前のめりに〈ずれて〉しまっている」という感覚の指摘に注目したい。というのも、この「前のめりにズレる」という感覚は、養老天命反転地の「楕円形のフィールド」のなかで誰もが実際に体験することだからだ。

>自己意識と身体感覚のバランスが崩れ、〈軸〉がずれ、意識が前のめりになって〈二重化〉がおこり、「何か」が生まれ出る。それは新生児の知覚にあって、私たちが大人になるにつれて忘れてきたもの。それは「不安」や「信仰」「心」と呼ばれるもの。私たちの〈根〉であり、「懐かしさ」とでも呼ぶのか、ある〈雰囲気〉である。人工的に「インスタント・ノスタルジー」を作り上げることと彼らは言う。

 高橋氏の説明は簡単で明快だが、次に読む殉教者デリダの「前のめり」と「先取り」についての謎の記述は理解困難である。誰かどういうことだか簡単に説明してくれないか。大事な話だとは思うが、いまのところ意味不明である。

>「先取り」(anticipation)とは前部をつかむこと、前から、前もって(ante)取る(capere)ことである。「前のめり」(precipitation)は頭を危険にさらす(prae-caput)こと、頭からつっこみ、頭から先に出ていくことであるが、先取りはそれとは異なり、むしろ手にかかわる事柄である。盲者の素描の主題は、まずなによりも手である。手は向こう見ずに出ていく。前のめりには違いないが、この場合は頭の代わりに、それに先行し、それを予防し保護するかのように手が出ていくのだ。手すりすなわち狂人保護(garde-fou)というわけだ。先取りは前のめりを防ぐ。先につかもうとし、把握、接触、把持の運動において前方におもむくために、空間へと前進し空間に働きかける。立っている盲者は手探りで進む.........以下略。(ジャック・デリダ著『盲者の記憶』6ページより抜粋)

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