SUPER FLAT 2

非ファルス的にもっこりするものを肯定せよ!(神の性的不器用あるいはその性的悪戯に由来するもの達について)

暗い部屋5

2006年12月08日 | Weblog
『イメージ、それでもなお』を訳出した橋本一径氏はそのあとがきで、著者のユベルマンが「扉」の思想家であることを強調している。いわく、扉とは閾であり、イメージは閾として構造化されている。我々をこちらとあちらの間に置くもの、それが閾であり、イメージである。扉には閾を踏み越える運動、内と外を行き交う出入りの動きが不可欠である。だから、イメージの場所とは「窓」ではなく、あくまでも「扉」でなければならない――。だがそこで何が行き交うのか。あの「ホワイト・ウォール」に照屋勇賢が設えた半開きの「扉」には、いったい何が出入りしていたというのだろうか。

「声―意識(フォネー)の中心化装置(耳)が起動する以前に、それよりも内部に、つねにすでに郵便空間(内耳)は侵入している。複数のセリーとリズムはそこで衝突する。そしてその結果「内耳性=迷宮的なめまい vertige labyrinthique」が生じる。~とすれば私たちはそこから逆に、エクリチュールの観念を、声―意識から逸脱するものとしてではなく、むしろ、その外に満ちたさまざまなリズムを互いの差異を維持しつつ声―意識の中へと導き入れる、ある種のゲートの隠喩として考えることができるだろう」(東浩紀『存在論的、郵便的』P186より抜粋)

 いよいよ凄い話になってきた。ここからが本番だ。(続く)

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1 コメント

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場違いだったら削除お願い致します(*'o'*)☆ (加藤朋成)
2006-12-09 17:25:21
「西谷荘」で検索してみたらこのブログに辿り着きました~。
えっと……Nサマでしょうか??? (いちよ名前の方伏せておきます)
もし御関係のある方であれば、
……えっと……西谷荘のHPの方に
見学希望のメールを入れてありますので
お手数ではございますが御確認の程宜しくお願い致します。
御返答がなくちょっとドキドキしながら過ごしているモノで
ここならアポが取れるかなと思い、無礼を承知で
書き込んでおります。
もし場違い・及び人違い的な内容であれば
容赦なく削除して頂ければと思います。
以上、スミマセンが御確認の程宜しくお願い致します。
突然の書き込み大変失礼致しました、お許し下さい。
        k-tomo@dream.ocn.ne.jp  加藤朋成
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