隅の老人のミステリー読書雑感

ミステリーの読後感や、関連のドラマ・映画など。

1799.大胆なおとり

2017年11月23日 | リーガル
大胆なおとり
The Case of The Daring Decoy
読了日 2017/11/23
著 者 E・S・ガードナー
E.S.Gardner
訳 者 中村能三
出版社 早川書房
形 態 ポケミス508
ページ数 223
発行日 1959/05/10
ASIN B000JAS4Q8

 

上の著者名をクリックすると、今まで読んだ著者の作品一覧へ移動します。

 

日は自動車運転免許の更新のため、木更津警察署に行ってきた。3年前の前回までは、免許の更新は千葉市幕張の運転免許センターに行って、免許証の即日交付を受けていたのだが、面倒な気がしたことや、高齢者講習が免許有効日の後(12月8日)になるため、警察署に赴いたというわけだ。
必要書類に記入した後、カウンターに備え付けられた検査機で、視力検査を行ったところ、驚いたことに円の切れ目を応えるのに、見えづらくて四苦八苦した。検査官の女性は「メガネが合わなくなっているようですね。少し目を休めてからもう一度やってみましょう。」と言う。椅子に掛けて20分ほど待ったのち、名前を呼ばれて再度の検査をして、なんとか合格したからよかったものの、これでは3年後の更新は無理かな、と思い暗澹たる気分で帰ってきた。
僕の眼は右目が白内障で多少の視野狭窄があり、何年か前には緑内障のレーザー手術を行っている。
だが、遠くを見ることにかけては、全く不自由を感じないできたから、視力検査で引っかかるとは考えてもいなかった。免許の更新も80歳半ばまで、ことによったら90歳くらいまで大丈夫だと、楽観していたのだが、次回81歳の更新が不能の可能性もあることに、自信喪失で目の前が暗くなる。 眼科医の検査と診断を受けてみよう。

 

 

ぺリイ・メイスン・シリーズを読み続けること12冊目となった。一人の作家の作品を追い求めるのは、戸板康二氏の「中村雅楽」シリーズ以来だ。あれは2007年のことだから、10年ぶりのこととなる。
だが、今回のシリーズはまだここで終わりではなく、少なくともあと3冊は続くのだから、僕の読書記録の中でも最長となる。
別に自慢するほどのことではないが、自分の中ではよくも続いたものだと、驚くと同時に半ば呆れてもいるのだ。
さて、本作はシリーズ第54作目の作品だ。1959年初版の発行だから、ビニールカバーがかかっていないのは、3冊前に読んだ「転がるダイス」と同様だ。このポケミスの表紙のイラストは、どれもアブストラクトというような絵画―といっていいのだろうな―だが、時にはその一部分がストーリーの内容を表すような感じの時もあり、本書の表紙もよく見ていると、いかにもそのタイトルにふさわしいような気がしてくるのが不思議だ。
ごく初期の頃は、割と見てわかるイラストだったのが、いつからか全面的にアブストラクトになった。
つくづくと表紙を見ることはあまりないのだが、最近、というより歳をとったためか、一気に読み続けることが無くなって、途中で何度か休みを入れながら読むようになって、その都度表紙を見るので今回のように、表紙のイラストへ一言となった次第だ。

 

 

分でもよくわからないのだが、僕にはある種の拘りのようなものがあって―まあ誰しも多少の差はあれ、そうしたものの持ち合わせはあるようだが―僕は以前本の表紙で好き嫌いがあって、特に今の書店で見るように、様々なイラストで飾られた文庫の平積みを見ていると、若者向けだろうかアニメのキャラを思い起こさせるようで、とても読む気にならなかったことが多かった。
逆に、もの言いたげな表紙の絵に吸い寄せられるように、買い求めてしまうこともあり、そうした心理の動きが自身にも理解できないところなのだ。
そうして手に入れた文庫が、たまたま気に入った内容であったりしたら、若しかしたら僕は面白い本を探す能力に優れているのか?などと一人秘かに思ったりして、すぐに馬鹿じゃねえかと、自分自身に反論したりする。
いい歳をしてもなお、くだらないことを思ったり考えたりして、これまた、一人秘かに恥じ入ったりするのだ。
もう一つ本に関していえば、タイトルには特に嫌いなものはないが、時としてタイトルに惹かれて、買うことはこれまで何度もあって、そうした場合は内容も好みに合ったものが多かった。

そうしたことで今でも忘れず記憶に残っているのは、加納朋子氏の「ななつのこ」や、北森鴻氏の「狂乱廿四孝」、近藤史恵氏の「ねむりねずみ」、「二人道成寺」など数多くある。
過去のことは大概のことを忘れてしまう中、こうしたものが記憶に残っているのは、やはり物語が面白かったからだろうが、それだけではなく好みに合っていたから、ということがもう一つ大きな要因だろう。
面白く読んだ本だって数知れなくあるが、そうしたものをみな覚えているかと言えば、その時いくら面白く読んでも、忘れることはざらで―いや忘れることの方が多い。僕のメモリーのキャパシティが少ないこともあろうが、それだけではなく忘れることも必要なのだろう。
現に、今夢中になって読み続けているこのシリーズだって、最初の方の「恐ろしい玩具」や「重婚した夫」などほとんど忘れてしまった。
だから、次々と面白く読めるのだと、自分では勝手な理屈をつけて、読み続けているのだ。

 

 

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村