片耳うさぎ | ||
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読 了 日 | 2010/1/6 | |
著 者 | 大崎梢 | |
出 版 社 | 光文社 | |
形 態 | 文庫 | |
ページ数 | 317 | |
発 行 日 | 2009/11/20 | |
ISBN | 978-4-334-74677-3 |
こ何ヶ月か細かな食料品などを買うときに使っていたカードのポイントが貯まって商品券と換えた。
カードはイオン(大手スーパーを経営するグループ企業)のカードだからよく行くジャスコに出店している未来屋書店(この書店もイオングループが経営している)で、文庫3冊を買うことが出来た。こういうことでもないと、例え文庫といえど新刊など買う余裕はない。別に新刊だろうと古書だろうと本の価値に変わりはないのだが、やはり新刊を手に入れたときの嬉しさは何にも変えがたいものがある。こんなことで幸せを感じられるのだから、安上がりな人間だとは思う。
何度か書いてきたような気もするが、中学生の頃必死の思いで溜めた小遣いで手にした文庫本を開くときの感激と、ほのかににおう印刷インキの匂いは、50数年たった今でも忘れることは出来ない。自分でカバーをかけて大事に読んだものだ。
カバーといえば、普段は書店で文庫にカバーを架けてもらうことなどめったにないのだが、今回なんとなく「カバーおかけしますか?」という問いに「お願いします」と言ってしまった。
僕は10年来三越デパートで購入した皮製の文庫カバーを使っており、時折保護剤のペーストを塗って手入れをして使っているから、とても手触りがよく手放せなくなっている。そういうことでカバーは頼まないのだが、今回かぶせてもらったカバーは、濃いグリーン系のカラーでデザインされた地味だが好みのカバーだったから、そのカバーのままで読んでいる。
と、本の内容と関係ない話はすらすらと書けるのに、肝心の本の内容を紹介しようとすると、途端に手先が鈍る。そう簡単にはいかないのだ。感じたことをそのまま書けばいいのだが、そうなると「面白かった!」とか「そうでもなかった」ということで、終わってしまいそうになるのだ。まるで小学生並みだ。
否、「いまどきは小学生だって、もっとましなことを書くぜ!」と、もう一人の僕が言う。そうかもしれない。
切りがないからこの辺にしようか、しょうがないね全く!
大崎梢氏の本は、配達あかずきんのシリーズにすっかり魅せられてしまい、シリーズ3冊を続けて読んですっかりファンになった。その後シリーズ外の1冊も、同様に楽しませてもらったから、本書もそのほかに発表されている作品も読みたいと思っていたのだが、なかなか機会がめぐってこなかった。
元書店員をされていたことからの実体験を活かした書店シリーズは、こういう本屋さんに行って話をしてみたいものだと思わせた。僕もその昔、45歳のときに会社の仲間と一緒に、郊外型書店のチェーン化を目指して起業した経験があることから、書店を舞台としたミステリーには人一倍野関心があった。残念ながら僕の起業経験は能力不足から、1年半ばかりの短い期間で終末を迎えたが・・・。
だが、今回読んだ本書はそれとは関係なく、小学校6年生の女の子を主人公とした話だ。父親の事業の失敗で、住んでいたマンションを引き払わざるを得なく、やむなく父親の実家に世話になることになった蔵波奈都一家。
奈都が小学校1年生の頃一度だけ来たことのある父親の実家・蔵波家は、その昔庄屋だったこともあり、周囲を圧倒する大きな屋敷とともに、現在も周辺に強い影響を及ぼす存在だった。
数え切れないほどの部屋数を持った屋敷には、奈都の祖父・蔵波勝彦、その姉であり奈都にとっては大伯母の雪子、そして奈都の父親・浩三の兄一家が住んでおり、さらには浩三の長兄・故宗一郎の長男・一基が居候をしているという具合だ。
それにしたって誰もいない部屋は数多く、奈都にとって大きな屋敷はなんとなく怖いという印象だった。その上、父親は職探し、住まい探しでしばらく家を空け、母親は実家の祖母の具合が悪くなって、これまたそっちのほうへ1週間ほど行きっぱなしになるという。さあ、広い屋敷に他の家族がいるとはいえ、一人で置いておかれる6年生の奈都にとっては、恐怖体験である。
そんな奈都を気遣って助け舟を出したのは同級生の祐太。姉さんだという中学生の一色さゆりを紹介してくれて、そのさゆりが奈都の母が帰ってくるまで奈都の部屋に泊まりこんでくれることになったのだが・・・。
学6年生と中学3年生の、二人の少女たちの冒険がどのように展開するのか?ちょっと危ぶみながら読み進めると、田舎の大屋敷が舞台ということでなんとなく感じていたが、まさしくそこは横溝正史の世界ではないか。
そういえば、著者のインタビュー記事で確か彼女は、横溝正史氏のファンだといっていたようなことを思い出した。そのときは横溝作品の世界と、大崎梢氏の作品世界とのあまりにもの隔たりを感じて、ぴんと来なかったのだが、本書を読み進めるうちに殺人事件こそ出てこないが、あの横溝正史氏の世界が現代に蘇ったという感覚が強くなってきた。しかも金田一耕助はいないものの、その役割を小学6年生の女の子が無理なくこなす展開に驚かされる。
著者の新たな作品世界に拍手。
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