今日は、少し余裕があったので、砥部の岩盤浴に行った。
天照の癒だと思っていたが、張り紙を見ると「龍王館」となっていた。
水天龍王社の土地を持っている人が経営しているので、この名前になったのだろう。
私は6年前、この人のお陰で、秋田県にある玉川温泉の岩盤浴で湯治をすることができた。
岩盤浴は15分入って5分休むのを3セットするのが基本だ。
私は、無理せぬよう短めで出るようにしている。
今日もそうしたが、十分に汗をかき、身体が芯から暖まった。
帰る途中、玉川温泉で知り合ったHさんから電話があった。
すごく久しぶりだ。
出ると奥さんの声だったので、顔が曇った。
先週12日の早朝亡くなられたとのことだった。
何度かこのブログに書いたと思いますが、もう一度書かせてもらいます。
有名医大大学病院の研究職で、同僚に手術をしてもらったが、開腹してすぐに閉じられた。
余命は数ヶ月のようだった。
1年以上生きた人はいないと言われていたようだ。
絶望の中、奥さんと秋田県の玉川温泉に来られた。
最初は、肉好きで玉川温泉でも肉をたくさん食べていた。
でも、知り合いになった女性がそれを見て、「あんた死んでもいいの」。
玉川温泉の友情は凄いのだ。
彼は私に「肉がなぜ身体に悪いのか論理的に説明してくれ」と怒って言ったので、徹底的に説明させていただいた。
※ 肉食ががん患者の全てに良くないということではありません。
完全にはやめなかったが、少しづつ玉川に慣れていった。
私と同じ治療がしたいと言ったので、松山でお灸ができるよう段取りをした。
玄米菜食が可能な宿を紹介し、激烈なお灸を始めた。
毎日2時間。
本気でないと耐えられない。
火曜日は鍼灸院が休みなので、ハイパーサーミアで温熱療法をしてその後は、枇杷の葉温灸。
私と同じパターンだ。
その頃、玉川で知り合った別の女性2人も同じ行動だったので、病院の理学療法士の人は火曜日は平蔵ファミリーの日ですねと笑っていた。
3週間松山で治療し、1週間関東に帰り病院に行く。
自宅では奥さんにお灸をしてもらう。
途中からすごく元気になって、毎日、鍼灸所の帰りに城山に登り、道後まで歩いて帰っていた。
健康な人でも、しんどい行程だ。
結局、1年8ヶ月という長期間、松山で治療を続けた。
もう、愛媛県人だ。
抗がん剤もやめたが、その後上がったマーカーは2ヶ月で下がり、抗がん剤無しで正常値になった。
その後自宅に戻り、数ヶ月に1度、松山に来てお灸をして診断を受ける。
ここ2年ほどはお灸をやめ、玉川温泉を主体にして、いろいろな治療を見つけて治療されていた。
今日奥さんは「平蔵さんと同じ治療をしたらと言っていたけど頑固なので」と言われていたが、自分が信じる治療が一番ですとお話しした。
身体は人それぞれ異なる。
自分がいいと感じる治療が一番だと思う。
最近連絡がなかったので、心配していたが、3月までは普通に生活されていたようだ。
奥さんに、私は何とか働いていますと伝えると、「平蔵さんはみんなの目標ですから元気でいてください」と言われた。
そして、「主人は5年以上生きることができ、70歳の誕生日をなんとか迎えることができました」と言われた。
でも、奥さんがさみしそうだったので、旦那さんは今、明るい光の中で神様か仏様に抱かれて幸せですよとお話しした。
でも、今、これを書いていると涙がこぼれてきて止まらなくなった。
天照の癒だと思っていたが、張り紙を見ると「龍王館」となっていた。
水天龍王社の土地を持っている人が経営しているので、この名前になったのだろう。
私は6年前、この人のお陰で、秋田県にある玉川温泉の岩盤浴で湯治をすることができた。
岩盤浴は15分入って5分休むのを3セットするのが基本だ。
私は、無理せぬよう短めで出るようにしている。
今日もそうしたが、十分に汗をかき、身体が芯から暖まった。
帰る途中、玉川温泉で知り合ったHさんから電話があった。
すごく久しぶりだ。
出ると奥さんの声だったので、顔が曇った。
先週12日の早朝亡くなられたとのことだった。
何度かこのブログに書いたと思いますが、もう一度書かせてもらいます。
有名医大大学病院の研究職で、同僚に手術をしてもらったが、開腹してすぐに閉じられた。
余命は数ヶ月のようだった。
1年以上生きた人はいないと言われていたようだ。
絶望の中、奥さんと秋田県の玉川温泉に来られた。
最初は、肉好きで玉川温泉でも肉をたくさん食べていた。
でも、知り合いになった女性がそれを見て、「あんた死んでもいいの」。
玉川温泉の友情は凄いのだ。
彼は私に「肉がなぜ身体に悪いのか論理的に説明してくれ」と怒って言ったので、徹底的に説明させていただいた。
※ 肉食ががん患者の全てに良くないということではありません。
完全にはやめなかったが、少しづつ玉川に慣れていった。
私と同じ治療がしたいと言ったので、松山でお灸ができるよう段取りをした。
玄米菜食が可能な宿を紹介し、激烈なお灸を始めた。
毎日2時間。
本気でないと耐えられない。
火曜日は鍼灸院が休みなので、ハイパーサーミアで温熱療法をしてその後は、枇杷の葉温灸。
私と同じパターンだ。
その頃、玉川で知り合った別の女性2人も同じ行動だったので、病院の理学療法士の人は火曜日は平蔵ファミリーの日ですねと笑っていた。
3週間松山で治療し、1週間関東に帰り病院に行く。
自宅では奥さんにお灸をしてもらう。
途中からすごく元気になって、毎日、鍼灸所の帰りに城山に登り、道後まで歩いて帰っていた。
健康な人でも、しんどい行程だ。
結局、1年8ヶ月という長期間、松山で治療を続けた。
もう、愛媛県人だ。
抗がん剤もやめたが、その後上がったマーカーは2ヶ月で下がり、抗がん剤無しで正常値になった。
その後自宅に戻り、数ヶ月に1度、松山に来てお灸をして診断を受ける。
ここ2年ほどはお灸をやめ、玉川温泉を主体にして、いろいろな治療を見つけて治療されていた。
今日奥さんは「平蔵さんと同じ治療をしたらと言っていたけど頑固なので」と言われていたが、自分が信じる治療が一番ですとお話しした。
身体は人それぞれ異なる。
自分がいいと感じる治療が一番だと思う。
最近連絡がなかったので、心配していたが、3月までは普通に生活されていたようだ。
奥さんに、私は何とか働いていますと伝えると、「平蔵さんはみんなの目標ですから元気でいてください」と言われた。
そして、「主人は5年以上生きることができ、70歳の誕生日をなんとか迎えることができました」と言われた。
でも、奥さんがさみしそうだったので、旦那さんは今、明るい光の中で神様か仏様に抱かれて幸せですよとお話しした。
でも、今、これを書いていると涙がこぼれてきて止まらなくなった。
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