今年は、これまでの慣習を規範とすることが困難となるような、激変の年でしたね。
でも、今年も無事、大晦日を迎えることができたので、一年を振り返ってみます。
私にとっても今年は大きな変化の年だった。
昨年大晦日にも書いたが、昨年11月末のPET-CTで骨転移を指摘され、再々発したと診断された。
腫瘍マーカーはずっと前から上がり始めていた。
2年前から基準値を超えていたが、身体の大きな変化も画像上の変化もこれまで見つからなかった。
ただ、薬を長く飲んでいるため、薬剤による肝機能障害によってマーカーの上昇が起きた、偽陽性の可能性もあるので、医師に薬を変更するのではなく、休薬したいと伝え了解してもらった。
昨年12月から分子標的薬を休薬すると、3週間後の1月の検査では、肝機能が基準値の範囲まで下がり、腫瘍マーカーも久しぶりに下がっていた。
2月はどれくらい下がっているか楽しみにして検査に臨んだが、同じ数値だった。
PETで骨転移を指摘されていたが、骨転移の痛みがだんだんひどくなり、3月からマーカーはまた急角度で上がり始めた。
3月末には痛み止めを飲み始めるが、それも効きにくくなりもう限界と感じたので、新しい分子標的薬を開始したいと言うが、コロナの影響で入院治療は1ヶ月後と言われ、少しがっくり。
でも、気分転換でいろいろ行く。
4月には、横河原の重信川河川敷で花見。
石鎚山の雪景色と桜も見ることができた。
この頃は、コロナで外出がはばかられるような雰囲気だったが、人混みの少ないところは大丈夫と考え楽しんだ。
そして、浄明院の牡丹。
5月は入院して、分子標的薬を「アレセンサ」に変える。
服用して2日後、痛みが劇的に消える。
2週間ちょっとで退院したが、すぐに皮膚の下の炎症で発熱が長く続く。
これはたぶん副作用ではない。
6月は新宮にアジサイを見に行く。
書くのがしんどくて、これもブログに載せていない。
コロナであじさい祭りは中止になっていたが、地元の方々がちゃんと手入れをしてくださっていた。
ちょうど見頃だった。
7月から少しずつ仕事復帰。
8月に腫瘍マーカーが基準値内になった。
10月は石鎚山の紅葉。
11月はこっそり山口県に行ってきた。
ブログに載せた後、コロナ感染するとそれ見たことかと言われそうなので、ブログに載せることができず自粛。
こんな気遣いは嫌だ。
旅行の前にはいつも美味しい店を調べて、予約が取れたら宿を予約するが、今回は食事付きの旅館で外出せず。
嫁さんの還暦祝いを子供達がしてくれて、その時に旅行に行ってきたらとお祝いをくれていた。
嫁さんは金沢に行きたかったが、安全そうな山口県にしたけど、いい旅行だった。
子供達に感謝。
そして、11月は20年前にがんの初めての治療として手術をしたので、ちょうど20周年記念だ。
よく生き延びたものだ。
今年、仕事を休んだとき、家の庭で野菜と花を育てた。
本当に心が癒やされた。
耐えがたい痛みも和らいだ。
園芸じじいという自称もできた。
支えてくれた嫁さん、家族、友人、医師等医療関係者の方々に感謝。
紅白が始まってブログを書き始めたので、完成するかどうか心配したが、ほぼ完成だ。
今年も嫁さんと、紅白歌合戦を見ながらおいしいお酒と肴を頂いています。
途中、朝ドラの「エール」特集が始まった。
毎朝エールを楽しみに見ていた。
「あまちゃん」以降、ずっと朝ドラファンだ。
今年は、エールがずっとそばにいた(?)、気がする。
入院中も楽しみにしていた。
録画したものをほとんど2回以上見た。
10回近く見た回もある。
何度泣いたことか。
免疫力をかなり上げてもらった。
今晩、「長崎の鐘」と「栄冠は君に輝く」を聴いたときは、またうるっときてしまった。
正月は毎年子供達が我が家に集まり、賑やかに過ごす。
だが、今年は東京の息子は帰省をやめた。
私の体調やみんなの仕事の関係もあり、もしものことがあると困るので集まるのもやめた。
自粛の年だ。
でも、他の子供達や孫達が、玄関まで正月の挨拶には来てくれるので、楽しみにしている。
来年も、皆様方にとって、よりよい年でありますよう、心からお祈り申し上げます。
よい年をお迎えください。
でも、今年も無事、大晦日を迎えることができたので、一年を振り返ってみます。
私にとっても今年は大きな変化の年だった。
昨年大晦日にも書いたが、昨年11月末のPET-CTで骨転移を指摘され、再々発したと診断された。
腫瘍マーカーはずっと前から上がり始めていた。
2年前から基準値を超えていたが、身体の大きな変化も画像上の変化もこれまで見つからなかった。
ただ、薬を長く飲んでいるため、薬剤による肝機能障害によってマーカーの上昇が起きた、偽陽性の可能性もあるので、医師に薬を変更するのではなく、休薬したいと伝え了解してもらった。
昨年12月から分子標的薬を休薬すると、3週間後の1月の検査では、肝機能が基準値の範囲まで下がり、腫瘍マーカーも久しぶりに下がっていた。
2月はどれくらい下がっているか楽しみにして検査に臨んだが、同じ数値だった。
PETで骨転移を指摘されていたが、骨転移の痛みがだんだんひどくなり、3月からマーカーはまた急角度で上がり始めた。
3月末には痛み止めを飲み始めるが、それも効きにくくなりもう限界と感じたので、新しい分子標的薬を開始したいと言うが、コロナの影響で入院治療は1ヶ月後と言われ、少しがっくり。
でも、気分転換でいろいろ行く。
4月には、横河原の重信川河川敷で花見。
石鎚山の雪景色と桜も見ることができた。
この頃は、コロナで外出がはばかられるような雰囲気だったが、人混みの少ないところは大丈夫と考え楽しんだ。
そして、浄明院の牡丹。
5月は入院して、分子標的薬を「アレセンサ」に変える。
服用して2日後、痛みが劇的に消える。
2週間ちょっとで退院したが、すぐに皮膚の下の炎症で発熱が長く続く。
これはたぶん副作用ではない。
6月は新宮にアジサイを見に行く。
書くのがしんどくて、これもブログに載せていない。
コロナであじさい祭りは中止になっていたが、地元の方々がちゃんと手入れをしてくださっていた。
ちょうど見頃だった。
7月から少しずつ仕事復帰。
8月に腫瘍マーカーが基準値内になった。
10月は石鎚山の紅葉。
11月はこっそり山口県に行ってきた。
ブログに載せた後、コロナ感染するとそれ見たことかと言われそうなので、ブログに載せることができず自粛。
こんな気遣いは嫌だ。
旅行の前にはいつも美味しい店を調べて、予約が取れたら宿を予約するが、今回は食事付きの旅館で外出せず。
嫁さんの還暦祝いを子供達がしてくれて、その時に旅行に行ってきたらとお祝いをくれていた。
嫁さんは金沢に行きたかったが、安全そうな山口県にしたけど、いい旅行だった。
子供達に感謝。
そして、11月は20年前にがんの初めての治療として手術をしたので、ちょうど20周年記念だ。
よく生き延びたものだ。
今年、仕事を休んだとき、家の庭で野菜と花を育てた。
本当に心が癒やされた。
耐えがたい痛みも和らいだ。
園芸じじいという自称もできた。
支えてくれた嫁さん、家族、友人、医師等医療関係者の方々に感謝。
紅白が始まってブログを書き始めたので、完成するかどうか心配したが、ほぼ完成だ。
今年も嫁さんと、紅白歌合戦を見ながらおいしいお酒と肴を頂いています。
途中、朝ドラの「エール」特集が始まった。
毎朝エールを楽しみに見ていた。
「あまちゃん」以降、ずっと朝ドラファンだ。
今年は、エールがずっとそばにいた(?)、気がする。
入院中も楽しみにしていた。
録画したものをほとんど2回以上見た。
10回近く見た回もある。
何度泣いたことか。
免疫力をかなり上げてもらった。
今晩、「長崎の鐘」と「栄冠は君に輝く」を聴いたときは、またうるっときてしまった。
正月は毎年子供達が我が家に集まり、賑やかに過ごす。
だが、今年は東京の息子は帰省をやめた。
私の体調やみんなの仕事の関係もあり、もしものことがあると困るので集まるのもやめた。
自粛の年だ。
でも、他の子供達や孫達が、玄関まで正月の挨拶には来てくれるので、楽しみにしている。
来年も、皆様方にとって、よりよい年でありますよう、心からお祈り申し上げます。
よい年をお迎えください。