ボクが東の国に行く前に、この国でアーチェリーを始めるきっかけをお話しようと思います。
ボクは2003年の夏にこの国にやってきました。実は、東の国を出る時に、北の国に立派な射場があると教わっていたので、その射場に行きました(この射場は、後にM次長と一緒に2級審判員の試験を受けたところでした。)。でも、その国の方々となかなか馴染めませんでした。それで、インターネットで知ったK市の射場に行こうと思いました。どのくらいの距離があるのかも分からず、とにかく最寄駅からゴロゴロとボウケースを引きながら、トボトボと歩いていました。今行動しないと、アーチェリーから遠ざかってしまうと思ったからです。
坂道を登っていると、車が一台通り過ぎました。それから減速し、また加速し、今度は停止し、なんとボクの方に向かってバックしてきました。「アーチェリーですか?」「はいっ!」「乗って行きなさい」。それがコーサクさんとの出会いでした。コーサクさんはK市の射場(現在は閉鎖)に連れて行って下さいました。コーサクさんは、この時、いつもの射場があることを教えてくれました。
今度はそこで出会ったTさんに連れられて北の射場に行ったのです。北の射場の方がボクの家に近いから。それからしばらく、北の射場で練習しました。北の射場には車がなければ行けません。でも、北の射場に通うFさんが「行きたい時は連絡を下さい、車で迎えにきますから」と言って下さったのです。それで、2週間に一度、練習に通うことができました。
2004年の春、いっこさんが東の国からやってきて、いつもの射場の近くに住むことになりました。まったく偶然でした。コーサクさんからゆみ組のことと、ゆみ組の先代の電話番号を教えてもらいました。ボクは先代に電話をかけ、ゆみ組の練習会に行って、初めて先代にお会いしたのです。それからずっと、いつもの射場とゆみ組での練習に通いました。
それから4年が過ぎて、ボクは先代から、ゆみ組の勘定奉行を命じられました。そのわずか1年後、先代が急死され、U村さんとボクが引き継ぎました。対外的な活動はすべてU村さんが担当され、日々の活動はボクが担当するという体制で何とか危機を乗り越えました。ゆみ組の人数も随分少なくなり、先代の頃の半分以下でしたが、活動は続けました。ゆみ組は、先代からの大切な預かりものだったから。
また4年が過ぎ、今度はボクがゆみ組を離れる日が来ました。でも、今度は大丈夫。なぜなら、O工場長とシローさんがゆみ組を守ると約束してくれたから。
ボクはずっと、神様に導かれるように、次々に出会う方々が、それまで全く知らなかった方々が力を貸して下さって、ボクはこの国でアーチェリーを始めることができ、いろんな関わりを通じてより多くの人と知り合い、みなさんに仲良くしていただいて、こんなすてきな、心に深く残る時間を過ごすことができました。不思議な経験でした。「お前が何かを望めば、宇宙のすべてが協力して、それを実現するように助けてくれる」(パオロ・コエーリョ『アルケミスト』)に書かれていることって、本当だったんだと思いました。
今日、タケちゃんと一緒に、初めて先代のお墓まいりに行きました。この5年のご報告と、これからの無事を先代にお願いしようと思って、タケちゃんにお願いしたのです。お墓まいりをして、先代のことをたくさん思い出して、それで、こんなことを書きました。また思い出したら、この国でのアーチェリーの思い出を綴ってみようと思います。