縄張り根性
縄張り根性というのは、縄を張って「こっちに入るな」と、どうせ入ったところで、そこにあややがいるわけじゃなくて、ヤマンバみたいのがいるだけなのに、尻の穴が小さい田舎者という意味なのだが、昨日はその縄を張られたという話。
山形県の西玉置小国町というのは、本州の北海道という大いなる田舎で嫌いじゃないのだが、スキーのためにそこに行ったわけだ。普段は何もないところだよ、自分の尻も拭けないような土田舎なのだが、金曜日に、それまで半年も積雪閉鎖されていた、わずかに6キロの山道が開通したわけで、だからというのだろうか、未明の午前四時といえば、追剥ぎが出るような真っ暗な時間にヘッドライトをつけて、人がざわざわ山道にゲートができていた。たぶんそれは、旅客機が墜落して百人くらいが死んだ事故でもあったんだろうと思ったら、ここから先に進む車は「山菜取りの料金を支払え」というゲートだった。私目の前が真っ白になって「俺はスキーだ」といい、相手が「なに?スキーだと」と阿呆になっている瞬間に、入ってしまった。
田舎というのはそういうものだろうというのは知っている。入会地といったか、で山林を少し所有している。そこに槇が転がっていたとしても、部外者は勝手にそれをもっていくなと、それが日本の農村の歴史である。槇は風呂のた炊きつけの重要な石油であって、勝手に持って行かれれば困る。というわけで、午後にそこに下ってきたときには、6キロの林道左右12キロにわたって、テープは張り巡らされて、無断進入禁止というわけだ。
田舎者の縄張り主義とはまさにこれで、本当に縄が張ってある。真夜中の関所がそこにあった。そんなおいしいものが、その縄の向こうにあるのか?どうせゼンマイがあって程度である。熊を撃てるわけでもない。不法駐車が一年間止めてあっても、廃車との区別もつかずに、そこに硫化水素で人が白骨になっていても、われ関せずという土田舎者にあって、たったこれだけの山菜取りに血眼で監視するとは、本当にどこの縄張り根性。呆れて、吹きだした。時代は入り鉄砲と出女と同じか? 同じだ。
今月はつくづく田舎に因縁がある。ネバダの田舎は旅行の最中のことだが、先週の知床斜里も同じようなもので、真昼だというのに、人っ子一人町の中に見当たらないとは、北欧の白日夢と同じで、今は深夜12時かと間違うわけだ。西玉置の小国というところも、町中は同じで、昼間なのに誰もいない。日帰り温泉でもあるのかと、ようやく探した爺さんに聞くと、開発センターとやらがあると、しかしどこにも宣伝していないし、料金200円と聞いたときにいやな予感がしたわけだ。探し当てて、どうにかたどり着くと、確かに壊れそうな鉄筋の一階にそれがあって、受け付けに誰もいなくて、勝手に200円入れて、民宿程度の家族風呂4人満員があったのだ。しかも今どきシャンプーも置いてないとは、石鹸で洗髪して、剥げないか心配になった。爺さんは「あのセンターは本当にいいよ」といったのは、五右衛門風呂しかない爺さん宅にあっては、温泉とは立派なものだったのだろうか。でもまあ、いいよ、一応下山後の風呂には入ったわけだから。
外にでると、これは竹下の一億円ふるさと創生という悪あがきらしくて、当時の町長がその金で、このぼろっこい開発センターを建てたというわけで、会議室とか、どこにこの田舎に会議する人材がいるんだと思うが、その一階に風呂だったわけ。
しかしねえ、セブンイレブンの「トイレだけご自由に」という時代にあって、200円だからシャンプーは置かないとは、やはりどこの縄張り根性かと思ったよ。200円だから、シャンプーを置きますという時代じゃないのかね。安いのにシャンプーが置いてあるとね。結局腐った風呂だから、地元の若い子は皆目こんなところに行かないわけで、しかも宣伝しないから観光客は私だけで、残りは地元の爺と婆で、5年後にこの風呂に入るものは誰もいないというわけさ。数年前の町長といっても程度はそんなもので、田舎の財政再建の悪循環のどつぼというのは、こういうことなんだね。今月はよくよく過疎地に縁がある。嫌いじゃないけどね。
自宅に戻ると、ついにHPのソフトが壊れて、しばらく本編のクロカンページは更新できません。ブログだけです。でも私写真ページというのは実はあまり信用してなくて、衝動的な即興人間だけは、写真が大好きなわけですが、ちょっとの知識人とは実はやはり活字で物事知るわけで、だから活字だけというのも嫌いじゃないです。でもまあ、このままHPが壊れっぱなしで消滅させるには惜しいわけで、今度は写真多用のページ(似合わない)を作り直しますよ。
自宅に戻って、民奥の国有林でゼンマイを少し持ってきたから、夕方はそれのてんぷらで、まあ山菜がうまいといっても、それは酒のつまみとしてピーナツ、サラミ、マグロ、ちーたらより、全然薄味、まずい。こんなものが季節の珍味なわけだから、山の農村というのは、今でも相当に貧しいと思う次第。しかも猫に小判、豚に真珠で目と鼻の先に、残雪豊富な石転び沢というのがあるのに、東京人は日帰りで800キロ運転してもそこに行くというのに「何それ」と地元は言うわけで、後進国のチベット、ネパール、インド、中国、パキスタンに世界のヒマラヤがあるというのに、地元で登る人が皆無で、歴史は英国の現地進入から登山家が育ったのだが、国内でも同じなのでした。
飯豊・石転び沢 08・5・18 快晴 気温2度 ☆☆☆☆
山荘P450~石転び雪渓600~出合710~稜線梅花皮小屋1860m1010=1100~下降~出合1120~雪渓末端1140~山荘P1250
週末に山荘までの道が開通するというわけで、早速入山。新潟を抜けて入る。今年は農家の田植えの時期を見逃してしまったから残念だと思ったが、田舎の田んぼじゃ、カエルがゲコゲコ鳴いていて、明らかに初夏の雰囲気。明け方現地到着したのだが、暗闇の中にゲートがあって「山菜取りは入山料を支払え」と言われて、スキーですよで通過。山持ちの関所である。
白馬なら百人単位でスキーヤーが入山するが、こちらはポツポツで、実にローカルである。
いつものように林道から堰堤先で高巻きすると、もうそこから雪渓が始まっていた。何しろ下流の滝沢出合も、雪渓の下。昨年は2週遅かったのだが、今年は相当に残雪がある。去年はここから1時間半も高巻き藪こぎでそれだけで疲れてしまった。
石転び出合までシールで1時間少し。つぼ足組みもぐんぐん迫ってくる。石転び出合いの大岩3mほども、雪の下。綺麗な雪渓がつながっていて、上空快晴。そのままシールで1500m平坦地まで登る。そこからアイゼン。先行4人組のバケツトレースに助けられて、さらに1時間ほどで稜線小屋。すでに数人が滑降をしてくる、宿泊組みかもしれない。
小一時間ほど休んで、頂上(北股岳)はパスして早めにここから下る。
出だしですぐに分かるが、快適なザラメが続いている。去年はザラメがすでに固く凍りついて、比べれば条件は格段にいい。昨年転んだところも無事に通過。流れに沿って滑るが、平坦地手前で小さなクレバス数か所はゆっくり回避。この時間になるとさらに登ってくる人が多い。1200mで本石転びと合流するが、登りの時にここを登っている人もいた。山頂から南面とか、門内岳とか、各方面の支流も残雪が豊富だし、客も少なくて、静かすぎるほどの滑降が楽しめそう。今年の冬は東北方面にかなり雪が降っていたように記憶するが、その成果か。
途中休憩したが、40分ほどで雪渓末端へ。さらに徒歩1時間でPまで。すでに気温24度。
縄張り根性というのは、縄を張って「こっちに入るな」と、どうせ入ったところで、そこにあややがいるわけじゃなくて、ヤマンバみたいのがいるだけなのに、尻の穴が小さい田舎者という意味なのだが、昨日はその縄を張られたという話。
山形県の西玉置小国町というのは、本州の北海道という大いなる田舎で嫌いじゃないのだが、スキーのためにそこに行ったわけだ。普段は何もないところだよ、自分の尻も拭けないような土田舎なのだが、金曜日に、それまで半年も積雪閉鎖されていた、わずかに6キロの山道が開通したわけで、だからというのだろうか、未明の午前四時といえば、追剥ぎが出るような真っ暗な時間にヘッドライトをつけて、人がざわざわ山道にゲートができていた。たぶんそれは、旅客機が墜落して百人くらいが死んだ事故でもあったんだろうと思ったら、ここから先に進む車は「山菜取りの料金を支払え」というゲートだった。私目の前が真っ白になって「俺はスキーだ」といい、相手が「なに?スキーだと」と阿呆になっている瞬間に、入ってしまった。
田舎というのはそういうものだろうというのは知っている。入会地といったか、で山林を少し所有している。そこに槇が転がっていたとしても、部外者は勝手にそれをもっていくなと、それが日本の農村の歴史である。槇は風呂のた炊きつけの重要な石油であって、勝手に持って行かれれば困る。というわけで、午後にそこに下ってきたときには、6キロの林道左右12キロにわたって、テープは張り巡らされて、無断進入禁止というわけだ。
田舎者の縄張り主義とはまさにこれで、本当に縄が張ってある。真夜中の関所がそこにあった。そんなおいしいものが、その縄の向こうにあるのか?どうせゼンマイがあって程度である。熊を撃てるわけでもない。不法駐車が一年間止めてあっても、廃車との区別もつかずに、そこに硫化水素で人が白骨になっていても、われ関せずという土田舎者にあって、たったこれだけの山菜取りに血眼で監視するとは、本当にどこの縄張り根性。呆れて、吹きだした。時代は入り鉄砲と出女と同じか? 同じだ。
今月はつくづく田舎に因縁がある。ネバダの田舎は旅行の最中のことだが、先週の知床斜里も同じようなもので、真昼だというのに、人っ子一人町の中に見当たらないとは、北欧の白日夢と同じで、今は深夜12時かと間違うわけだ。西玉置の小国というところも、町中は同じで、昼間なのに誰もいない。日帰り温泉でもあるのかと、ようやく探した爺さんに聞くと、開発センターとやらがあると、しかしどこにも宣伝していないし、料金200円と聞いたときにいやな予感がしたわけだ。探し当てて、どうにかたどり着くと、確かに壊れそうな鉄筋の一階にそれがあって、受け付けに誰もいなくて、勝手に200円入れて、民宿程度の家族風呂4人満員があったのだ。しかも今どきシャンプーも置いてないとは、石鹸で洗髪して、剥げないか心配になった。爺さんは「あのセンターは本当にいいよ」といったのは、五右衛門風呂しかない爺さん宅にあっては、温泉とは立派なものだったのだろうか。でもまあ、いいよ、一応下山後の風呂には入ったわけだから。
外にでると、これは竹下の一億円ふるさと創生という悪あがきらしくて、当時の町長がその金で、このぼろっこい開発センターを建てたというわけで、会議室とか、どこにこの田舎に会議する人材がいるんだと思うが、その一階に風呂だったわけ。
しかしねえ、セブンイレブンの「トイレだけご自由に」という時代にあって、200円だからシャンプーは置かないとは、やはりどこの縄張り根性かと思ったよ。200円だから、シャンプーを置きますという時代じゃないのかね。安いのにシャンプーが置いてあるとね。結局腐った風呂だから、地元の若い子は皆目こんなところに行かないわけで、しかも宣伝しないから観光客は私だけで、残りは地元の爺と婆で、5年後にこの風呂に入るものは誰もいないというわけさ。数年前の町長といっても程度はそんなもので、田舎の財政再建の悪循環のどつぼというのは、こういうことなんだね。今月はよくよく過疎地に縁がある。嫌いじゃないけどね。
自宅に戻ると、ついにHPのソフトが壊れて、しばらく本編のクロカンページは更新できません。ブログだけです。でも私写真ページというのは実はあまり信用してなくて、衝動的な即興人間だけは、写真が大好きなわけですが、ちょっとの知識人とは実はやはり活字で物事知るわけで、だから活字だけというのも嫌いじゃないです。でもまあ、このままHPが壊れっぱなしで消滅させるには惜しいわけで、今度は写真多用のページ(似合わない)を作り直しますよ。
自宅に戻って、民奥の国有林でゼンマイを少し持ってきたから、夕方はそれのてんぷらで、まあ山菜がうまいといっても、それは酒のつまみとしてピーナツ、サラミ、マグロ、ちーたらより、全然薄味、まずい。こんなものが季節の珍味なわけだから、山の農村というのは、今でも相当に貧しいと思う次第。しかも猫に小判、豚に真珠で目と鼻の先に、残雪豊富な石転び沢というのがあるのに、東京人は日帰りで800キロ運転してもそこに行くというのに「何それ」と地元は言うわけで、後進国のチベット、ネパール、インド、中国、パキスタンに世界のヒマラヤがあるというのに、地元で登る人が皆無で、歴史は英国の現地進入から登山家が育ったのだが、国内でも同じなのでした。
飯豊・石転び沢 08・5・18 快晴 気温2度 ☆☆☆☆
山荘P450~石転び雪渓600~出合710~稜線梅花皮小屋1860m1010=1100~下降~出合1120~雪渓末端1140~山荘P1250
週末に山荘までの道が開通するというわけで、早速入山。新潟を抜けて入る。今年は農家の田植えの時期を見逃してしまったから残念だと思ったが、田舎の田んぼじゃ、カエルがゲコゲコ鳴いていて、明らかに初夏の雰囲気。明け方現地到着したのだが、暗闇の中にゲートがあって「山菜取りは入山料を支払え」と言われて、スキーですよで通過。山持ちの関所である。
白馬なら百人単位でスキーヤーが入山するが、こちらはポツポツで、実にローカルである。
いつものように林道から堰堤先で高巻きすると、もうそこから雪渓が始まっていた。何しろ下流の滝沢出合も、雪渓の下。昨年は2週遅かったのだが、今年は相当に残雪がある。去年はここから1時間半も高巻き藪こぎでそれだけで疲れてしまった。
石転び出合までシールで1時間少し。つぼ足組みもぐんぐん迫ってくる。石転び出合いの大岩3mほども、雪の下。綺麗な雪渓がつながっていて、上空快晴。そのままシールで1500m平坦地まで登る。そこからアイゼン。先行4人組のバケツトレースに助けられて、さらに1時間ほどで稜線小屋。すでに数人が滑降をしてくる、宿泊組みかもしれない。
小一時間ほど休んで、頂上(北股岳)はパスして早めにここから下る。
出だしですぐに分かるが、快適なザラメが続いている。去年はザラメがすでに固く凍りついて、比べれば条件は格段にいい。昨年転んだところも無事に通過。流れに沿って滑るが、平坦地手前で小さなクレバス数か所はゆっくり回避。この時間になるとさらに登ってくる人が多い。1200mで本石転びと合流するが、登りの時にここを登っている人もいた。山頂から南面とか、門内岳とか、各方面の支流も残雪が豊富だし、客も少なくて、静かすぎるほどの滑降が楽しめそう。今年の冬は東北方面にかなり雪が降っていたように記憶するが、その成果か。
途中休憩したが、40分ほどで雪渓末端へ。さらに徒歩1時間でPまで。すでに気温24度。
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