東映は11日、都内で吉永小百合主演の新作映画「いのちの停車場」(成島出監督、来年公開)の製作発表を行い、8日に大麻取締法違反(所持)で逮捕された俳優・伊勢谷友介容疑者(44)の出演シーンについて、カットせずにそのまま使うことを明らかにした。 製作発表前、東映・手塚治社長が会見。「逮捕に大きなショックを受けたが、カットせず公開する。作品と個は別物。作品を守る意味で判断した」と話した。
大麻は軽犯罪だ、立小便と変わらないという屁理屈がある。それは隠れて掴まってない中毒患者がいう戯言で、刑務所の中では、「薬の売人、中毒患者」というのは、最低の汚名がある。ほとんどチンピラ扱いだ。あそこにも序列があって、「女が男を殺した」というのは、懲役刑覚悟の実行者で、犯罪人として骨があるという解釈なのである。比べて、他人を薬漬けに弱めて、そこから違法な利益を上げる行為は、できるなら徹底的に一生逃げまくりたいだけのチンピラ。犯罪人にして「人の道にもとる」というわけなのだ。
その刑事犯人が、それは放火犯でも殺人犯でも、発覚する前の行為なら、合法だとは、屁理屈である。他人を殺害して、1億円強奪して浪費しても、逮捕前なら返済義務はないのか。これを「表現の自由」というなら、通行人を跳ねても、忙しいからそのまま走行した「ひき逃げ犯」と何が違うか。「行動の自由」とウソをいう。
無保険映画だから、作品をボツにできない。製作費を補填できない。回収したい。吉永小百合はそう言っているのだ。ああそうですか。無保険車に乗っている人と同じ屁理屈。
河原こじきなどは、自分の容姿をそのまま売りつける商売なのだが、その容姿(含めて、素行、前科ほか)が醜態だと発覚したのに、そのまま実行するとは、大麻の片棒担いでいるのと同じ。せめて公判の結果が出るまで待て。それすらやらないとは、芸能興行も、しょうもなく恥ずかしいほどに廃れた。
本当に来年公開できるのか、誰かが吠えまくれば、こんなのは撤回されないか。
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