フランスが勝つと、イングランドは悔しい
英仏は連合国と思われているが、実は犬猿の仲である。アメリカが英国から独立しようというとき、英国がそうさせなかった。自立するには早すぎる。いやいや、魑魅魍魎としたヨーロッパのカトリックを出て、清教徒が国造りしたのが米国で。ボストンで有名な茶会事件を起こして、独立戦争を始めた。それの応援をしたのが、フランスである。ルイジアナとか、カナダとかフランスもアメリカに侵入したのであるが、そこが母国から独立するというなら、応援しよう。仏は英が大っ嫌いである。
この戦争に勝って、フランスは米国に自由の女神を送る。まあそれはフランスの市民革命をアメリカにも伝染病する象徴のようなものだが、これで米仏は仲良くなったような気がしたが、しかし仏もアメリカから追い出された。
同じ頃、フランスは市民革命をやって、世界一の自由の国を謳歌するのだが、実はそれも勘違いでまもなくナポレオンが独裁戦争を始める。これがものすごく強くて、英を除くヨーロッパ全土を勢力下においた。かつてのサラセン帝国のようなものだ。この時にナポレオンは英国包囲網として、すべての国の自動車通行を右側に変えたと逸話が残る。アメリカはもちろん、ドイツも、イタリアも、ヨーロッパ全土を。こうしておまぬけな左側通行とは、英国とそれまねた日本だけになってしまった。
ところがそのナポレオンもロシアで失敗して崩壊する。その後はドイツのビスマルクが出てきて、ヨーロッパのわずかな安定を作り出した。
さて一次大戦は飛ばして、ヒトラーが出てきて、彼はソ連もフランスも占領した。フランスなどは、島津の琉球攻めと同じで、一日で陥落してしまったというほど、やる気のない二次大戦だった。仏とは、普段はからっきし弱いものだ。そしていよいよ英国に迫るときに、なぜかチャーチルの英国だけはこの時にドイツに勝った。ドイツは対ソ連で疲れていた。ドイツを向こうに押しやることが大事で、ためにフランスを開放することになったのだが、英が仏にいいことしたのはこれくらいで、でも仏は英などに感謝はしていない。一応、対ドイツのために、英仏は連合したが、それも打算の産物で。
その後EUの時代になって、ヨーロッパの中心になったのはやはりドイツで、フランスはそのおこぼれ。そして英とは、これを離脱するという、トンチンカンなことをしでかした。フランスは政治も芸術も科学も文学も食生活も音楽も、すべてで世界をリードするとはいうのだが、どうにもラテン系のノリで、知性に掛ける。そしてものすごいカトリックで、建前上は離婚も中絶も婚前交渉も一切認めないという、スペイン、イタリアと同じ、偏差値が低いから宗教色を前面に押し出す。なにより、フランス語という方言というか、少数民族言語を大事にするという、どうしようもない後進性がある。セネガルを始め、奴隷海岸地区で商売をしてきたから、フランス代表といっても、金髪は皆無で、全員アフリカ系黒人というのが、それらしい。
ああこんな国が勝ってしまった。しかしパリサンジェルマンは、いつまでたっても二流のクラブチームで、フランスから欧州を制したチームは、ほとんど出ない。イギリスは多分大いに悔しい、ドイツもしかり。
比べてクロアチアという旧ユーゴは、第一次大戦のきっかけの皇室暗殺事件があったところで、バルカンには、6つの国と、5つの言語と、4つの宗教が絡み合うという、世界の火薬庫であるのは今でもそうで、オスマントルコと、ソ連と、ドイツに囲まれて、気むずかしいところだ。真ん中辺は今でも外務省渡航禁止の紛争地帯だ。
英仏は連合国と思われているが、実は犬猿の仲である。アメリカが英国から独立しようというとき、英国がそうさせなかった。自立するには早すぎる。いやいや、魑魅魍魎としたヨーロッパのカトリックを出て、清教徒が国造りしたのが米国で。ボストンで有名な茶会事件を起こして、独立戦争を始めた。それの応援をしたのが、フランスである。ルイジアナとか、カナダとかフランスもアメリカに侵入したのであるが、そこが母国から独立するというなら、応援しよう。仏は英が大っ嫌いである。
この戦争に勝って、フランスは米国に自由の女神を送る。まあそれはフランスの市民革命をアメリカにも伝染病する象徴のようなものだが、これで米仏は仲良くなったような気がしたが、しかし仏もアメリカから追い出された。
同じ頃、フランスは市民革命をやって、世界一の自由の国を謳歌するのだが、実はそれも勘違いでまもなくナポレオンが独裁戦争を始める。これがものすごく強くて、英を除くヨーロッパ全土を勢力下においた。かつてのサラセン帝国のようなものだ。この時にナポレオンは英国包囲網として、すべての国の自動車通行を右側に変えたと逸話が残る。アメリカはもちろん、ドイツも、イタリアも、ヨーロッパ全土を。こうしておまぬけな左側通行とは、英国とそれまねた日本だけになってしまった。
ところがそのナポレオンもロシアで失敗して崩壊する。その後はドイツのビスマルクが出てきて、ヨーロッパのわずかな安定を作り出した。
さて一次大戦は飛ばして、ヒトラーが出てきて、彼はソ連もフランスも占領した。フランスなどは、島津の琉球攻めと同じで、一日で陥落してしまったというほど、やる気のない二次大戦だった。仏とは、普段はからっきし弱いものだ。そしていよいよ英国に迫るときに、なぜかチャーチルの英国だけはこの時にドイツに勝った。ドイツは対ソ連で疲れていた。ドイツを向こうに押しやることが大事で、ためにフランスを開放することになったのだが、英が仏にいいことしたのはこれくらいで、でも仏は英などに感謝はしていない。一応、対ドイツのために、英仏は連合したが、それも打算の産物で。
その後EUの時代になって、ヨーロッパの中心になったのはやはりドイツで、フランスはそのおこぼれ。そして英とは、これを離脱するという、トンチンカンなことをしでかした。フランスは政治も芸術も科学も文学も食生活も音楽も、すべてで世界をリードするとはいうのだが、どうにもラテン系のノリで、知性に掛ける。そしてものすごいカトリックで、建前上は離婚も中絶も婚前交渉も一切認めないという、スペイン、イタリアと同じ、偏差値が低いから宗教色を前面に押し出す。なにより、フランス語という方言というか、少数民族言語を大事にするという、どうしようもない後進性がある。セネガルを始め、奴隷海岸地区で商売をしてきたから、フランス代表といっても、金髪は皆無で、全員アフリカ系黒人というのが、それらしい。
ああこんな国が勝ってしまった。しかしパリサンジェルマンは、いつまでたっても二流のクラブチームで、フランスから欧州を制したチームは、ほとんど出ない。イギリスは多分大いに悔しい、ドイツもしかり。
比べてクロアチアという旧ユーゴは、第一次大戦のきっかけの皇室暗殺事件があったところで、バルカンには、6つの国と、5つの言語と、4つの宗教が絡み合うという、世界の火薬庫であるのは今でもそうで、オスマントルコと、ソ連と、ドイツに囲まれて、気むずかしいところだ。真ん中辺は今でも外務省渡航禁止の紛争地帯だ。