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sptakaのブツブツDiary

sptakaさんは、毎日ブツブツ発言しています。

5月9日(火)摩周湖・車規制する愚か者

2006-05-09 07:27:55 | 旅行
 そもそも日本人が「自然破壊をするな」と昭和40年代に声高に叫ぶようになったのは、左翼学生運動を結びついているような気がしてならない。成田闘争も、授業料値上げもしかり。何でもいいから反対するその材料が欲しかっただけ。そもそもは日米安保反対だったのだが、反対などしていたら戦後日本の存在意義がない。
 その自然破壊の象徴が、マイカー規制となる。モデルはスイスのツェルマットだったか。ところが、この規制というのはその後世界的にも普及することなく、未だに真似しているのは日本だけ。上高地、知床、尾瀬、そして摩周湖、何れもこの数年のことだ。歪んだ象徴は南アルプスの北沢峠でもある。30年も前からやっている。
 あの頃の車はひどい排気ガスを出した。自然破壊だけでなく、それこそ人間破壊になっていわたけで、それは四日市喘息にも、水俣病にも匹敵した。ところがマスキー法その他排ガス規制によって、これは車社会のアメリカが技術革新で克服した。排ガス公害は一応一掃されたことになっている。結核や伝染病のようになくなった。いわばツェルマットのマイカー規制というのは、過去の不必要な遺物であって、公害が一斉されたことで撤廃してもいいはずなのに、頑固なスイスが何故かここだけ継続させている。そうした事実に気が付かない愚か者が、上高地であり、知床、尾瀬、摩周湖だと思える。ラジオ体操はいきなり朝からハードに体を動かすからいけない、うさぎ跳びは膝に負担を掛けるからよせ、運動はストレッチに勝るものはないと言われているのに、未だにうさぎ跳びだけが唯一だと信じているようなものである。
 自然に対する規制は、排ガス公害ではなくて、人気スポットが混雑することによる、入山規制であり、公園維持費のための入山料の徴収、トイレなどの処理がより重要であるのに、それに未だに気が付かない。マイカー規制は、観光客に不必要に負担を掛けて、嫌われる原因になっているというのに。歩行者天国が商店に嫌われるのと一緒だ。私は車が大好きだ。
 さらに、知床、摩周湖など北海道の観光地がとんでもなくつまらないのはどうしてだろう。こちらのほうが重要でもある。いずれにしても、一箇所の展望台なりからの「眺め」だけが観光の方法であり、付近を散策するのはもってのほか、「見たらさっさと帰ってくれ」というのが、知床、摩周湖の観光方法なのである。そんなものが面白いわけがない。
 南アルプスの北沢峠に道一本引いたことが自然破壊というならば、ツェルマット付近には、どうして3000mまで鉄道があって、ロープウェーなどは50本以上もある。シャモニでもグリンデルワルドでもそうだ。日本はこの40年、国立公園には、一本としてロープウェーが新設出来ていないのである。すべてが「ダメ」の一言で片付けられてきた。
 いいたいことはやはり無策であったということである。何事も。戦後民主主義は「平等だ」と教われば、隣がゴルフを始めるだけで不平等だと言い出した。「自然破壊はダメだ」といわれたら、何もできない。自主能力と、考える頭がないのかと情けなくなる。だったら、上信越国立公園の谷川岳の真下に、新幹線と関越のトンネルを掘ったことはどう理解すればいいのだ。見えなければいいというそれだけのことか。まあ見えなければといいうわけで、谷川肩の小屋も、尾瀬長蔵小屋も、ゴミを埋めて有罪になったのだけれど。摩周湖マイカー規制のニュースを聞くと、あんな田舎で何を自主規制して、自分たちがどんどん過疎になってしまうよと、気の毒になる。過疎の原因はその愚かさにある。


5月8日(月)しまなみ海道の過疎

2006-05-08 02:13:13 | 旅行
 朝日がどうしようもない暗い連載を始めた。土曜は朝刊が休みで、夕刊の一面だったか。
 尾道から今治までの橋は、しまなみ海道というこれもダジャレで、「街道」といった方が私は好きだが。歩ける橋でもある。延長80キロ。徒歩で二日。4年前だったかここを歩きと自転車で向こうまでいった。楽しいわけだ。ところが連載は「過疎でしなびている」と書いてある。多分事実だろうと思える。端的なのは「橋ができたから賑わうと思った」。しかし、逆に過疎になる。都会人がこの橋を利用して観光に来るかと思っていたが、逆に地元田舎者が便利な橋を利用して都会に逃げた。残っているのは爺とババア。1兆円の橋の意味がない。そのとおり。
 日本の近代史(明治以降)は無策だったといっていい。イギリスのまねして占領政策して、戦争に突入。敗戦後、アメリカに民主国家にしてもらったのが幸いで、以降も無策。おおよそ、寒い国、適当に寒い国は勤勉なのが当たり前で、戦後トヨタが一時期物まね成功した程度のことで、その間なにもなし。アメリカ人のデブ国民は、食い物に無策で手当たり次第に食っているだけなのだが、日本人は政治に無策で、物まね国家が中国に真似されて、再生できない。
 橋を作るのは箱物行政の失政の最たるもので、もの作っただけではもう流行らない。瀬戸内のあれだけの風光明媚を持ってしても、投げやりに橋掛けただけじゃ、さして見向きもされなくて当然か。
 人間自分から移動するなどは、もうほとんどない。メールと携帯が普及して、未だに通勤しているのが不思議なくらいで、連中も会社には行くが、そこから外へはでない。一箇所にとどまってすべての仕事ができる。移動するのは、身内の葬式と、旅行くらいなものだ。体を動かすのも女友達との夜の遊びだけで、他は動かない。人はそんなものだ。従って、観光行政、誘致というのは、車を作ることよりも本来熱心じゃなくてはならないのだが、それに気が付いていない。橋の掛けたのに、昨日も書いた、天ぷらそば1500円じゃ、誰も食わない。その徒歩旅行のときも、因島の砕けた公共の宿で自力でどうにか宿泊したのがせいぜいで、普通の人はあんなところには、泊まらない。もみ手で歓迎する姿勢はゼロ。
 そんなものに対して、何故だか海外旅行のブームは続いているのだが、あれは何も海外でなくてもいいわけだ。5月の旅行に気をよくして、8月の予定を調べてみると、どうも2月からすでに予約が殺到していて、いまさら遅いといわれそうだった。5月の旅行の前に8月の旅行も予約しろというほどの人気らしい。海外など言われるほどいいとも思われない。ただ、黒姫やしまなみの、客を歓迎さえしない近場よりも、遠くてももみ手で歓迎されるところに行きたいとプチブルジョア(古いなあ)が気張っているだけのことだと思うのだが。
 東京だけに一極集中とはいったいなんだ。百頭のヤギを放し飼いにすれば、満腹ならば一箇所に群れるそれだけのこと。せめて牧草が全土に散らばっていれば、牛も群れずにあちこちに散らばるのだが、そういう政策ゼロでは、群れるだけ。せめて最低限の生活ができて、もう少しは充実したい生活をと思っていても、策がなければどうにもならない。アメリカ人の男女デブを笑えるほど日本は豊かではない。

5月7日(日)長野黒姫の大いなる田舎

2006-05-07 09:19:42 | 旅行
 昨日は久しぶりのスキーで長野黒姫へ。田舎なんですここは。高速黒姫で降りてもコンビニゼロ。そのままスキー場方面へ。
 帰り日帰り温泉がスキー地元の杉野沢にありますが、例によって公共の宿。隣の花の湯という食堂併設されていますが、どうしてこういうところは、時代の遺物のような商売しているんでしょう。誰もいない店の席に座ったとたんに「食券買って下さい」。あのなあ、そういう役所のやる気ない商売じゃ客は帰るんだよ。従って私腹がいくら減っていても帰ります。道すがら何かないかと思うのだが、長野ってのは、名産手打ちの天ぷらそばだといっても、1500円もしたんじゃ誰も食わんでしょ。150円の間違いかと思ったよ。ラーメン食いたくても何もなく、高速入り口にようやくあったのが、不評ぷんぷんで有名な道の駅。なぜか最近ここは八百屋と同じになって、店先でリンゴやイチゴ売っているのはどうして。やはり奥の食堂は同じように食券買いましょうだし、妙に地元の客で込んでいて、こんな道の駅に来るのがGWの過ごし方とは悲しいよ。
 腹減らしのまま、小布施までどうにか走ったけど、ここも全く同じ食券でさ、世の中道路公団しかないのか。名産長野カップラーメン売っていて、湯は食堂にあるからと、これ食ったけど、全く不味い。
 スキーは楽しいんだけど、アフターがこういう体たらくで、ど田舎にはよく行くけど、いつまでたっても好きになれずに嫌いになる一方だというのは、こういう理由によるね。過疎はますます加速します。

5月1日(月)大胆に大きな自由

2006-05-01 07:55:25 | 旅行
 アメリカにいってくるといつも思うのだが、自由を獲得するために大胆なことをよくやっていると思うよねえ。だがしかし、それが本当にいいことなのか悪い場合もあるけれど、それでもまあ「実行してみる」というのが優先していると思うわけだ。仮に失敗してもそんなものは後で取り返せばいい。何もやらないで旧態依然、既得権だけを保持しているのが日本のやり方なんだけど、比べればそれよりはましだと思えるわけだ。
 禁酒法
 アメリカの話の中で「馬鹿の見本」みたいに言われるのが、過去の禁酒法を実行したことだ。そのために、意味もなかったマフィアというものが存在して、それを追放するのに大きな時間のロスをした。
 今のアメリカのファミレスは、ビールさえ扱っていない店がかなり多い。4日目くらいにファミレスに入って「とりあえずビール」といったのだが、「ここには置いてない」。諦めて店を出たよね。しかしいい大人がそこで夕飯食っている。ビールもワインも飲まなくて、いきなり「飯」だけとは、「野蛮人がすることだ」と慎太郎は言っていたけど、それは明らかに本当のことだ。その二日後だったか、田舎のレストランでも「アルコールのライセンスがもらえない」とビールはなかった。最後の日に、サンタモニカのショッピングセンターの一階に、10軒くらいの食堂が入っていて、「寿司」なんてのもあったけど、ここもすべての店にビールさえも置いてない。わずか1週間で3回も「ビールダメ」とは多すぎる。何故かアメリカは極度にアルコールとタバコを嫌っているわけだ。「ビールなどは酒の仲間に入らない」といっているのはヨーロッパで、高速のサービスエリアでさえ、ジョッキビールを1杯だけならと売っているのとは大違い。よくぞそこまでビールを目の敵にしているなあとは思うが、ファミレスやショッピングでは青少年対策でビールなしだとは思うのだが、こんな政策は子供過ぎてついていけない。
 手荷物検査
 空港の手荷物検査は、靴脱いではだしでX線を通れというものだったけど、私相当驚いたものだが、普通はこんなこと皆理解しているんですか。靴やベルトまで外されて、そんなことされるなら「アメリカなど行かない」という人がいてもいいとは思うが、そんな話は聞いたことがない。仮にそこまで客に妥協させるのなら、「それなりのいいことしてくれよ」と思うわけで、アメリカ旅行がそれほどいいことだと思えば行けばいいし、嫌だと思えば行かないということでもあるのだが。同じ頃に横田めぐみの母親と弟も米国往復していたけど、あの人たちも裸足になってX線センサー通過したんだねきっと、そう思えばまあ許すか。
 タバコライター
 タバコの百円ライターごときに神経質にうるさくて、もういい加減に嫌になる。頭を使ってずるくすればいいんだけど。機内預けの荷物の化粧品の中に、本当は髭剃りのスプレーもダメだったような気がするが行きも帰りもそれはOKだったね。すり抜けたんだろうか。行くときに百円ライター没収されて頭に着たんだけど、向こうで2個90セントでライター買って、帰りには持ち込み手荷物の中に紛れ込ませたら成功したね。「ライターは?」と聞かれたときにポケットだとダメだから、荷物に入れて「持っていません」とウソつくことが国内線でも必要です。そのくらいの確信的なウソくらいつけないと、馬鹿真面目過ぎてやっていけませんよ。化粧品の中に紛れ込ませても、あんなエックス線カメラなど、めくら検査みたいなもんで通過するようです。ライター一個にこんな気疲れして嫌になる。そう言えば屋久島に登山するときに、ガスカートリッジはすべてダメなんですよ。だから空港の土産物屋で、カートリッジをハイカーのために売っているんです。空港は嫌がらせするからこういうおかしな商売がまかり通るようになってしまうね。


4月30日(日)出国審査

2006-04-30 20:28:27 | 旅行
 29日の昼前の飛行機に乗って、30日の夕方に日本に到着。12時間のフライトだった。アメリカを出国の時に、コリアンエアーのスッチーが、靴を脱いでパンスト姿で一列に並んでいた。ええ、まさか悩ましい格好してくれるのかとワクワクしたのは大はずれで、今時アメリカの出国審査は女性にも靴を脱がせる。男はズボンのベルトも外させた。そこまでテロ警戒していると言う事だ。誰もが靴下のままであのピンコーンという赤外のセンサーの中を通過する。

 容疑者が逮捕拘留のときに「カンカン踊りをさせられる」という。いや、これも相当な差別語だよ。熱帯土人の裸踊りをいまだに法務弁護士の連中はこう言ってるんだから。この隠語は裸になった上に、肛門の中まで検査、女性は性器まで検査されるということだ。そこに凶器は隠し持っていないか。まもなく出入国の審査はそういうことになる。客の素っ裸を覗いても、安全を確保したいということだ。

 本来アメリカ人は人前で靴を脱ぐ事と、ズボンのベルトを外す事は、恋人とセックスをする事を意味していた。大体部屋の中でも靴を脱がないアメリカ人は、ベッドに入る時しか靴は脱がない。同じようにベルトもパジャマに着替える時にしか外さない。そういう実にプライベートな事まで人前で平然とさせられるというのは、あまり歓迎されたことじゃない。お腹が痛いと泌尿器科にいった時に、性器を看護婦にさわられるようなものだ。もしくは妊婦の性器検査を男がやるようなものだ。ブッシュに人気がなくなったとすれば、そういうことまで平然とさせる事への抵抗感が大きい。

 このまま時代が進むということは、出生した時に出生番号が交付されるということだし、成人した時に全員が虹彩検査を受けるということになる。虹彩こそは50億人が千差万別で、指紋の数百倍だったかの識別機能があるらしい。

4月29日(土)LA~日本

2006-04-30 01:48:43 | 旅行
 朝起きて、そのままさっさと空港へ。わずかに1週間の旅行でいつも苦痛なのは、行き帰りの飛行機のこと。10時間も狭いエコノミーに乗って、現地で時差ぼけに慣れたと思った頃に帰国して、また時差ぼけ。4時間くらいしか寝られなくて、午前3時とかに起きてしまう。それでも旅行に出ると言うのは、苦痛を押してでも楽しい事があると思えばそうするし、苦痛になれば出かけなくなる。そこが若さと老人のバランスの境目か。
 帰国後の成り行きは大体知っているのだ。翌日の月曜から会社に行くけど、さっぱり仕事をする気にならずに、1週間くらいしないと東京に体が慣れなくて、またまたつまらない社会生活に流されていく。でもまあ楽しい旅行をしたという記憶はしばらく残っているかもしれない。

4月28日(金) モントレー~LA

2006-04-30 01:35:02 | 旅行
 今日中にLAの近くまで行けばOKだからもう難しくはないでしょう。西海岸の海沿い1号を南下します。しかし昨日の夕方から今日も曇り。太平洋の夕日なんてものが見えません。昼過ぎまで海岸沿いを南に行きましたが、いい加減に飽きてきて途中から東へ。山を一本越えて向こうの街道に入ります。そうすると快晴になってきて、気温も30度を越えてくる。その途中には牧場が相当広がっていて、このあたりは北海道の夏のような感じ。ちょっと南は砂漠で、ここは北海道という、そういえばカリフォルニア州は日本よりも広かったのです。
 谷へ出て、5号線はLAからサンフランへの幹線でした。そういう大きな道は初めて走るのです。途中LAの100キロ北で山を越えるのですが、標高1200mまで5車線の道で上がっていくというのも、ちょっとなかなか日本では経験しませんよねえ。LAに入ってからは海側に出て、「サンタモニカに行きたい」という、分かりやすいリクエストに答えて、その近くのモテルに夕方遅く入る。旅行も今日が最後で明日は午前中に飛行機に乗ります。この1週間で2300マイル。3500キロを超えたわけです。1日500キロと言うのは、若い頃の旅行のノルマでしたが、今回もそれを達成。トラブルもなく満足でした。車の旅行はとにかくどんどん走ることに意義がある。それが面白い。欧米の道は、走ってキャンプして、そういう遊びが出来るように考えられて作られている。日本の高速とは訳が違う。しかも借りた車は新車だったようで、150マイルしか走っていなかった車でした。快適な旅行。

アメリカでの商売
 自動ドア
 アメリカは意外とビルやショッピングセンターで自動ドアが普及していないのです。大型ホテルでも手動で開ける。今後自動ドア商売は流行りそう。
 ウォシュレット
 それとトイレにウォシュレットの普及がゼロ。ヨーロッパでは20年前にもビデなんていう上品なものを見た事が何度もあったけど、アメリカはそういうの無関心ですねえ。我が家でさえつい最近5万円くらいでウォシュレットにして、私毎日快適に過ごしているのに、アメリカにはありません。この商売もこれからいいでしょう。
 ラーメン屋
 日本食などアメリカで流行るのでしょうか。こんな薄味にアメリカ人が耐えられるとは思えない。しかしそれでも、ラーメン屋くらいは流行らせて欲しい。その国の人間が大勢入り込むと言うのは、メキシコ人のデルタコのように、店内にメキシコ語(スペイン語)が煩いくらいににぎやかになるということで、チャイナ、コリアはそういう店や村があるというのに、ジャパンの店やタウンは明らかにない。ほんの数件の日本移民のすし屋が、高級店目指してどこか細々と営業していると言うのが実態で、これじゃトヨタやホンダをどこでも見かけるのとは訳が違う。日本人ももっと肉食獣にならないとダメですきっと。
 交差点
 田舎の住宅街の交差点で気になるのは、アメリカでは両方向ストップで発進というルールになっているのです。一旦停止した順に発進していく。だから右も左も車で詰まっているのに、自分が直進するというのは、ちょっと慣れないと抵抗感と威圧感がありますね。しかしこれは便利で信号がいらないからいい。
 ヨーロッパではロータリーというのが多いのです。交差点の中央にロータリーがあって、車は右方向の一通になっている。これも便利で信号いらず。
 ところが日本は交差点だというと、必ず信号をつけるし、あるいは片方を一旦停止にして、もう片方はノンストップの道にする。左方優先などは教習所で習うだけで、実践するところは全くありません。つまり日本が一番ガチガチのルールで縛り付けて車の自由を奪っていることになる。
 高速料金
 アメリカは高速料金がない。フリーだと言うことでフリーウェーというわけだ。日本はおよそ100キロ走ると2千円だから、3000キロ走ったということは、6万円かかるというわけだ。しかも乗り降りすると割高になるし、走っていても全く面白くない道路公団の高速道路。欧米のアトラスの地図には、「シーニックルート」という景色の良い道には道路に点線がついていて、そういう道を選んで走るだけで楽しいものだ。国内に楽しい道はない。
 キャンプ場
 キャンプはアメリカなどは生活の一部になっているほどで、州や町がキャンプ場を管理していて、道路標識も詳しい。設備はトイレと水とゴミ箱だけの道端の休憩所程度なのに、そんな簡単なものの設置と管理すらできないのだから、日本のオートキャンプのブームも廃れた。しかもあんなもので儲けようとした連中が多すぎた。山のテント場の一人500円が儲からないように、車のキャンプ場などで儲かるわけがない。あれはコンビニが客にトイレを貸すのと一緒で、そういうキャンプ客が来るからトイレと水道の維持費だけを徴収する、そして毎日ちゃんとトイレ掃除はしてくださいよというだけのことだ。
 分別ごみ
 日本の分別ごみはタバコのビニールパッケージすら、本当は燃えないごみに出すようで、刺身皿のパックなども燃えないになっている。それにビン、ペットボトルはすべて別。実はこれはあまり能率の良い方法じゃないと言われている。高熱の燃焼炉にすれば、ガラスでも燃やせるというのが近代的らしくて、アメリカは紙もビンも一緒にごみに出す。ゴミ処理は大きな問題だが、コンビニ袋でさえ「燃えない」という分類は、つまり埋めるということで、これは間違っている。
 
 

4月27日(木)ヨセミテ~サンフランシスコ~モントレー

2006-04-28 12:59:37 | 旅行
 海の方にもいってみたいというお上りさん連れだから、サンフランシスコの方に向かう。途中モデストという町付近を通ったのだが、カリフォルニアオレンジ、イチゴ、スイカなどの果物畑の中を通る。昨日まで三日間は砂漠の中の移動だっただけに、何だか心が和む。この日朝飯をろくに食べないで出発したから、そのあたりのスタンドに寄ったが、そこがコンビニ果物やでこれが安い。マンゴーのシャーベットをコップ一杯入れたのだが、こんな甘くてうまいもんは日本にはない。食いながら運転でサンフランシスコに着く。
 ゴールデンゲートを車で渡ろうということになって、ここは向こう行きがただで、こちら戻りが5ドル。なんと往復。日本にも本州四国の巨大橋が出来たりして、まあ同じようなもの。海岸でシーフード・ビールでうだうだした後に、海沿いをLAに向けて走る。少し南のモントレー近くのモテルで宿泊。海が見える部屋。この日も350マイル。疲れた。
 そうそうサンフランの南のサンノゼは、シリコンバレーの中心地で、夕方たまたまかしら、5車線もある高速なのに渋滞していて、やはりこのあたりは全米1景気がいい町だったかもしれない。車も新車ばかりが走っていた。

 日本車の減少
 前回のアメリカ旅行は5年ほど前だと思ったが、その頃よりも走っている日本車が少なくなった。それでもトヨタはまあいいとしても、ホンダと日産が少ない。対して日本ではポンコツと言われているクライスラーのボンネット系のレトロ自家用車なんてのが走っている。簡単な理屈だ。年収1千万円くらいの家庭は年間300万円くらいの所得税を支払っているのだが、自家用車を買い換えると免税するという政策は、簡単に言えば、自家用を買い換えても買わなくても、300万円の税金を支払いなさいという政策であって、だったら、税金に車代を取られるよりもいいというわけで、誰もが200万円の自家用をこの3年の間に買い換えたというだけの話である。しかも日本車を買ったばあいには半分の免税であり、アメリカ国産車の場合には全額免除となれば、皆GMやらクライスラーを買う。アメリカの車対策の保護貿易というわけだ。
 簡単にいえば、およそそんなもんだろう。国の政策と言うのはこういうものだ。即効性がある。タバコの値段を一気に倍にして、タバコを国内から消滅させようというのも、そういうこと。10年という時間があれば、国は大きく変わっていく。日本人観光客よりも、中国系が多くなった。この10年日本は大きく衰退している事が良く分かる。
 そして何より、おじさん、おばさんの旅行熱は、フロンティア精神に基づいているものなのが、昨日もニューヨークから夫婦でロングドライブというのがいた。夕方になると、走っているのはトラックかキャンピングカーかばかりで、定年後の生活は旅行だというわけだ。子どもが独立すると、広い屋敷を売り払って小さなマンションに住み替えて、差額でキャンピングカーを買って、3年かけてアメリカ中を旅行するなんていう話は、20年前にも聞かされていたが、さながら嘘じゃないと思えるし、今でも続いていると思える。元気な国だ。


4月26日(水)目指せヨセミテ

2006-04-26 22:53:59 | 旅行
 昨晩からはコンフォートインというモテルがまたあったからそこに宿泊。1泊二人70ドルで、朝飯無料。だよね、懐かしい牛乳ケロッグなんて常食で、トースト2枚にジュース、コーヒー。このくらいが適度だよ。更に玉子、ハム、ベーコンなんてのは朝から食いすぎ。食いすぎアメリカ人に戒めだ。
 旅行はすでに後半へ。カリフォルニア旅行に来てヨセミテに行かないというのは大きな欠陥になる。そちらに向かうが、今日もまた300マイル走るか。(朝)。
 ところで気になっていた日本のニュースだが、登山の大日岳事故で国の過失が認められて死んだ学生4人の勝訴になってよかった。しかしこんなものに4年の時間がかかるなど、相変わらずのんびりした裁判過ぎる。
 前にもこんな事は散々書いたのだが、民事の裁判である。登山するのに主催者がまともなスポーツ保険に加入していなかった事が最大の過失であり、学生本人親が、登山をやる息子に生命保険を掛けていなかった事も保護者としての不注意である。それにせっぴ崩壊、雪崩なんてものは、まさか隕石の激突じゃあるまいし、予想可能の範疇に入る。しかも学生の研修、教育登山中のこと。それに主催の文部省が死んだ学生に2億円程度の慰謝料払う事に、何をこれまでためらってきたのか。まともな社会から大きく遅れていたことが、普通になっただけ。何事も遅いと思うなあ。

ヨセミテとギャニオン
 バーストウ~ヨセミテ
 やっぱりなあ。「ヨセミテとグランドキャニオンとどっちがいいのか」なんていう話になった。毎度のことだ。素人だましとしては、キャニオンの方がいいらしい。なぜなら、車に乗ったまま山の頂上に出られて、上から俯瞰できる。普段登山なんてものをしない人にとっては、あの頂上に達した征服感が味わう事ができるのが、満足らしい。キャニオンは上から俯瞰する観光地であり、ヨセミテは上高地のように谷の中の生活となる。しかし玄人好みするのは、明らかにヨセミテだ。ヨセミテには「また来よう」と思うが、キャニオンには「もう一回」とはそう思わない。
 んなわけで、今日も400マイルほど走って、無事に午後3時頃にヨセミテに着いた。エルキャピタンも相変わらず谷を威嚇しているし、ハーフドームも遠くに美しい。すでにシーズンはオンになっていて、ヨセミテロッジは500人以上も宿泊できるのだろうが「予約がないと満員」ということで、午後7時頃に谷を出て、近くのモーテルに入った。
 岩を登ろうという意思がなくなった私としては、ヨセミテのハイキングなんてものに興味あり。25年前に最初にここに来たときには、登山のトレールなんて全く興味がなかったのだが、谷の周囲に日帰りトレールがいくつもあって、チャンスがあったら登ってみたいと思うようになった。

 デルタコ
 タコTacoというのは、メキシカンの食事で、マックと同じくらいにチェーン店になっている。キャベツの繊切りと魚フライ、もしくはビーフが、ピザ生地の薄い小麦粉で巻いてあって、私たちにはこちらが口にあう。メキシカンがアメリカに入り込んで問題になっているが、しかし正当に入国したメキシカン社会が相当に大きくなっていて、だからメキシカンのマックみたいのがアメリカは相当大きくなっている。店員の普段の会話はアレはスペイン語か。雑多な人種と雑多な食事。そのタコスをちょこちょこ食べる程度の食事で実は十分。こってり朝飯、夕飯には少し飽きてきた。


4月25日(火)グランドキャニオン~バーストウ

2006-04-26 20:00:10 | 旅行
 旅行は予想したようにほとんどおのぼりさん旅行になっている。アリゾナのキャニオンからさてどうしようかと昨日から思っていたが、そのままユタを北上するとソルトレイクの東に出てしまって、そうなるとLAから1000キロも離れてしまうわけでもう無謀としか言いようがなく、仕方なく通常通り西のLA方向、カリフォルニアに戻ることにする。何年たっても変わらないのはアメリカのでかさ。
 さてキャニオンだが、ずっと考えていたのだが、隆起と侵食でこういうものは出来たといわれているのだが、重要なのは隆起の方である。5億年という時間で1500mの谷で、何のことはない1センチの隆起や侵食に千年というのろい時間をかけるだけでこの計算はあう。まあ地球の歴史は長いってことだ。ただ残念なのは、このキャニオンではスキーが出来ない。もちろん砂漠だからであって、雪さえ積もればこの1500mの谷底はものすごく面白いと思ったのだが。
 今朝は、朝の4時半起きで、日の出のキャニオン見学など、標高2000m超えて気温もマイナス。なんちゅう旅行だ。そんな時間にも100人くらいの客が集まっていて、アメリカ人観光の食欲も旺盛だ。2時間後ホテルに戻って簡単朝食後に出発。
 高速の40号を西に向かって進むのだが、気がつかなかったがラスベガスの南あたりには200キロ以上もカリフォルニア砂漠が広がっていて、気温は日中すでに30度を越えてくる。馬鹿暑くて運転中も眠くなる。旅行もだらけてきた。
 今回旅行に高度計つきの時計を持ってきたが、アメリカは日本以上に山国である事に気がつく。アリゾナのフラッグスタッフやウィリアムズという町は標高2000mを越えていた。日本に2000mを超えて町になっているところはない。
 それにやはりいつものようにアメリカ食事にすでに飽きてくる。せめて刺身がないのか、焼き魚は、枝豆は。食い物メニューの世界一は日本だといつも思う。
 ロスからシカゴへ昔はテレビドラマにもなったルート66という国道が走っていた。今はなくなったのだが、いわば箱根の旧道のような道で、「ヒストリック66」として、懐古趣味で最近また人気になっている。高速を途中で降りて、この道を走ってみると、カリフォルニアの鉄道に沿った道になっていた。鉄道貨物は延々200両で2キロ以上もの長さで今でも現役で動いている。その道をハーレーに乗って旅行している連中も多くて、オートバイ好きも多かった。