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1115 七五三とその他の記念日

2012-11-15 00:16:36 | 雑記

1.七五三

*子供の成長を祝う行事

*男子は三歳と五歳、女子は三歳と七歳に当る年に、氏神に参詣して、成長を報告し、福運を祈願す

 る。

*祖父母や近親者を招き、赤飯とお頭付きの膳で子供の成長を祝う。

2.きものの日

全日本きもの振興会が1966年設立の時に制定。七五三の日に、家族揃って着物で出掛けてほしい

との願いから、七五三の日を記念日とした。

3.こんぶの日

七五三の日に、子供達に昆布を食べて丈夫になってもらおうと、全日本昆布協会が1982年に制定。

4.かまぼこの日

全国蒲鉾水産加工業協同組合連合会が1983年に制定した。

かまぼこが初めて文献に登場したのが1115年の祝宴の膳の図に描かれていたものとされており、

この数字(1115年)の並びから11月15日を記念日とした。

5.のど飴の日

1981年に日本で初めて商品名に「のど飴」と名のつく「健康のど飴」を発売したカンロ株式会社が制

定。2011年の販売30周年を記念したもの。日付は発売月の11月と、11月中旬頃から最低気温が

一桁になりのど飴の需要期になること、11と15で「いい一声」の語呂合わせから決定した。

6.「森のたまご」の日

コクとうまみ、鮮度と栄養価で人気の鶏卵「森のたまご」を製造販売するイセ食品株式会社が制定。

ブランド卵の定番と称される「森のたまご」のすばらしさを多くの人に知ってもらうのが目的。

「森」の字には「木」が3つあることから、毎月第3木曜日を記念日とした。

7.蔵(KURA)の日

信州を愛する大人の情報誌「KURA」の創刊日「2001年11月15日」を記念して、出版元である長

野県長野市のカントリープレスが制定。「KURA」は智恵や資産の詰まった蔵になぞらえ、信州の暮

らしに関わる「情報の蔵」を目指す人気の月刊誌。

8.口腔がん検診の日

2008年11月15日に開催された「第21回日本歯科医学総会」において口腔がん検診の普及をテ

ーマにシンポジウムが行われ、口腔がん撲滅運動のシンボル「レッド&ホワイトリボン」が発表され

た。このことを記念して、口腔がん検診の普及と啓発が目的に社団法人東京都玉川歯科医師会が

制定。

9.いい遺言の日

りそな銀行が2006年に制定。「い(1)い(1)い(1)ごん(5)」の語呂合わせ。併せて、この日から

11月22日(いい夫婦の日)までの1週間を「夫婦の遺言週間」とした。

10.一般鳥獣狩猟解禁日

「狩猟法」に基づき、この日から翌年2月15日まで鳥獣の狩猟が解禁される。北海道のみ10月1日

から翌年1月31日までとなっている。

 七五三

七五三の由来

もともとは公家や武家で行われていた成長を祝う儀式が由来だと言われている。

貴族や武家社会では、男女三歳になると「髪置(かみおき)」の祝いといって、男子はそれまで剃って

いた髪を伸ばし始め、女子はおかっぱ頭から髪を結い始めた。

男子の五歳は、「袴着(はかまぎ)」の祝いといって、初めて袴をはく儀式が行われた。平安時代は女 

子も袴をはいていたため、古くは男女共行われていたが、女子の服装の変化に伴い、五歳の「袴着」

は男子だけの儀式となった。

女子の七歳は、「帯解(おびとぎ)」の祝いといって、それまで帯の代わりをしていた付け紐をとり、初

めて帯を結ぶ儀式を行った。

江戸時代中期になると、呉服屋が商業政策としてこれらの儀式取り入れ、これらの行事をまとめて

お祝いする「七五三」の原型となる風習が始まり、武家や有力商人の間で流行したものが、明治以

降庶民の間に広まった。

■何故七五三なのか?

もともとは七歳・五歳・三歳と言う年齢に限らずに祝いをしたり、神社に詣でる地域もあったが、奇数

を陽とする陰陽道の影響を受け、七五三に統一されていったのだろうと言われている。

昔は医療が進んでいなかったため子供の死亡率が高く、七歳までが「ヤマ」と考えられていた。この

ため子供は「七つ前は神のうち」とか「七つまでは神の子」と言われ、神がその運命を決めると考え

、人々は数々の儀式を行うことで、子供の無事の成長を願った。 

三歳、五歳、七歳は子供の成長過程の節目とされ、七歳を過ぎてからようやく人間社会で生きてい

けるとされ社会の一員として認められ祝福を受けた。

11月15日に祝うわけ

成長の祝いは、昔は正月の吉日か、誕生日に行われていた。11月15日は陰陽道における最大

吉日のひとつにあたり、多くの大掌会(だいじょうえ)が行われる日であった。

江戸時代(1681年)三代将軍家光の子の徳松君(後の五代将軍綱吉)の祝儀がこの日に行われた

ことkら、江戸末期から明治にかけて11月15日に祝うことが定着したと言われている。

また、旧暦の11月は、収穫を終えて農作業が一段落する時期でもあり、農作物の実りと子供の成長

を感謝して、氏神様にお参りするよになったということである。

千飴(ちとせあめ)の由来

七五三のお祝いに欠かせいものは千歳飴。子供たちの千歳飴を持った着物姿はほのぼのして絵に

なる。千歳飴は、いつから七五三に用いられるようになったのであろうか。千歳飴の由来には2つの

説がある。

1つは元禄のころ、浅草で飴売りの七兵衛が紅白の棒状の飴を「千年飴」「寿命糖」と名付けて長い袋

に入れ、売り歩いたのが始まりと言われる説がある。

もう1つは、1615年、大阪の平野甚左衛門が江戸に出て、売り始めたと言う説である。

千歳飴は子供の長寿を願い、粘り強く細く長い形状で、縁起の良い紅白の飴となっている。

千歳飴の袋にも縁起の良い鶴亀や松竹梅が描かれ、長寿と健康を願う縁起物となった。

七五三を控えた多くの神社では、この千歳飴の袋詰めの作業が行われる。千歳飴のほか、祝い箸や

学業成就の鉛筆、お守りなどを入れているところもある。

近年は11月の混雑を避けて10月にお参りする人が増えていることから、この準備も早めになる傾

向がある。レンタル衣装が多くなったことから衣装を汚さないようにと、長い千歳飴だけでなく短い千

歳飴も販売されている。千歳飴を入れる袋も鶴亀だけでなく、キャラクターなどが描かれるようになっ

てきた。また、地域によっては、七五三の祝い返しとして、千歳飴、赤飯、菓子折りなどを渡すところ

もあり、お祝い返し用に熨斗袋いりの千歳飴も販売されている。

型に拘らない現代の七五三

神社で祝詞(のりと)をあげ、お祓いを受ける場合と、ただ参拝してお賽銭(さいせん)をあげて子供

の成長を祈願する場合があるが、現在は後者が多いようである。また、お参りする日も11月15日

に拘らずその前後に、都合を合わせて行く人も多い。北の地方では1ヶ月繰り上げて10月15日に

行う慣習もある。

正式な服装は、三歳の女子は肩揚げをした着物に、帯を結ばず、「被布(ひふ)」という朱赤のベスト

のようなものを羽織る。三歳、五歳の男子は紋付き羽織に仙台平(せんだいひら)の袴、七歳の女子

は揚げをした本裁ちをした着物にかかえ帯である。ただ、現在では子供が晴々とした気分でいられ

るよう、疲れない服装、無理のないスケジュールで祝うことが多くの本などで紹介されている。

昔は数え年(生まれた年の12月までを1歳とし、年が明けると2歳になる年齢の数え方)で、七五三

を祝っていたが、現在は満年齢(生まれたときは0歳で、それ以降1年経つごとに1歳加齢する数え

方)でもしばしば祝われる。