桑炭会 島根県伝統の炭焼き 

松江市八雲町で伝統的な八名窯を継承し炭焼き、販売をしています。
メインテーマは自然環境保全。

霙交じりの炭焼2日目

2017年12月25日 17時17分26秒 | 活動報告

昨晩は桑炭会にしては少なめの12人参加で2017年の忘年会があった。開宴に先立ち

この会が創設された時から会長をお願いしていた初さんが退かれ後任に聡さんという報

告がなされた。正式には1月1日付。

桑炭会の宴席はどこで開こうが食べ残しはしない、そのため残った料理は各自が持ち帰

る。実にいい習慣。創設から20年の年月で会員の年齢がそれだけ増えたこと、呑む量が

段々減ってきたことだけは確実だが、木炭の製造意欲は当時のそれと少しも変わりな

い。

昨日に火入れをした今年最後の窯は年末の仕上がりを目指してモクモクとやっている。

朝7時には昨晩の焚き木は燃え尽きておきだけが残っていた。窯出しをして直ぐの窯

立てだから内部温度は高く目標の80℃くらいは早いのではと予測していたが夕方に76

℃、点火の確認はできず温度を保持させ明日を待つことにする。

                        9時頃

                    寂しげな16時過ぎ

 煙は勢いよく出ている


桑炭会のホームページ

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店は盛況、仕事は多し

2017年12月24日 17時17分23秒 | 活動報告

今年最後の店、桑炭会の主力商品の他は普段より少ないものになった。白菜は市価

高騰を裏付けるよう自家作も出来は芳しくない、どうも秋の日照不足が響いているので

はと巷雀のささやき。同様に2番目の種蒔きをした大根の育ちも今一。出品の少ないな

がら銀杏、小豆、黒豆、大根、カブなどが並び店らしくなる。お客さんもボチボチ見え終

わってみれば50束ほどあった割り木、木炭、野菜類はほぼ完売。また木炭の予約は今

焼いている窯分をも飲み込んでしまう勢い。有難い事に感謝々。以前に倒したナラの

大木を運び出す、周辺の清掃、新たな窯立てのパラレル仕事は午前で終了。

夕方からの忘年会に続く。

                   10時半ごろ


桑炭会のホームページを作成中、内容は未定稿を修正しながら完成を目指す。

参考までにアップしますのでご覧ください

桑炭会のホームページ

クリックしてください。外部サイトに移動します。

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HP test

2017年12月23日 20時33分07秒 | その他

クリックすると移動します 桑炭会ホームページ


 

 


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窯出しと次の準備

2017年12月23日 16時43分31秒 | 活動報告

窯出しをする前から予約済みで受注残あり、いつもは『在庫はあるので販売に力を注い

で・・・』と言われるのに経験のしたことのない状況に嬉しい悲鳴を上げる。年の瀬を迎え

て景気のいい話、結構なことだ。焚口を壊して覗いてみると一見して、いつもと変わっ

た様子は見受けられない。窯の中に入ると未だ温かく暫くすると薄っすらと汗がにじんで

くる。窯の中は炭を取り出すたびに灰が巻き上がりもうもうとする。マスクの密着具合が悪

いと隙間から塵埃が入り込み口や鼻の周辺が黒くなりカールおじさんのような様相にな

る。炭出し班、次の材料準備班、施設周りの草刈り班が平行して作業を進める。今日は

午前中の予定?午後にも少しやろうとなり炭木を立てるところまでやり結局4時までとな

る。明日は店を開きながら窯立てをしてお客さんが見学したいようであれば案内しようと

うことにった。明日は今年最後の店、窯立て、年末清掃と忙しく働いたら夕方5時か

ら忘年会。

桑中班は年末の炭焼き当番で暫くのご足労。

                焼き上がった炭

                  裁断、袋詰め

                次の窯立て、敷木を敷く

       入口まで立てた炭木と枝木

                天気で草刈りもはかどる

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焼き分け

2017年12月20日 17時17分00秒 | 活動報告

『林先生の初耳』ではないがブログ管理人にとっての初耳は『焼き分け』という言葉。私

小さい頃、日本は未だ貧しく町中に住んでいた家でもクドがあり熱源は割り木だった。

炬燵はもちろん木炭で炭俵は葦か何かで作られており炬燵の灰づくりに利用され、その

時に落葉と共にサツマイモを焼いて貰った覚えがある。もう消え去ろうとしている唱歌

『焚き火』の歌詞そのもの、年をとると昔が良かったと嘆くが物が圧倒的に少なかったその

頃の子供たち、すべての面で豊か、満たされている今の子供より遊びの発想、生活の中

で経験する幅はもっと広かったと思う。炭焼き作業の休憩時、『焼き分け』なる話題で

話が始まる。昔は山持の分限者(管理人は標準語だと思っていたが・・・分限者とは?

鳥取弁。 金持ち。財産家。ぶんげんしゃ。)の山を小作人たちに一時的に貸し与えそこ

で木を切り炭焼きをして、木炭にしたものの凡そ半分くらいを山の持ち主に納める。

山を持たない、他にも収入源を持たない人にとっては自分の労力だけで現金収入につ

ながる木炭を焼くことができ、いわゆる親方と小作がwin winの関係ともいえる。私の知る

町中の生活に、このような仕組みは見当たらないが、労働に対する対価の得方が異なる

だけだと分かる。

生活環境の変化で言葉も陳腐化を繰り返えしており、今の私たちの言葉もあっという間

置き去られることだろう。

 

 

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