桑炭会 島根県伝統の炭焼き 

松江市八雲町で伝統的な八名窯を継承し炭焼き、販売をしています。
メインテーマは自然環境保全。

温度計に関する戯言(ざれごと)

2020年02月25日 17時12分46秒 | 日記

炭焼きは窯の温度変化を見ながら状況を判断、調節していくが加えて視

覚・臭覚も重要な判断要素になる。点火しそうになると煙の中に木酢液の臭

い、喉を刺激し咳き込むようになったり、別の場面では煙の色が灰色、白、

青、透明へと変化するのをみて温度との兼ね合いで窯の中を想像し手を加

える。

久しぶりにデジタルを使用してみたら100℃計で14℃くらい差があり、200

計、400℃計と数字が大きくなるに従い誤差が少なくなり400℃計では1

2℃の範囲だったから、これらの温度計はどちらを使用しても大差ないと考え

られる。双方に差があっても相対的な変化を知ればある程度の状況が判断

できるのは変わりない。極論を言えば窯の中の状況を想像しながら行うもの

だから必ずしも精度の高い温度計を必要としない。差があっても常に同じ幅

で異なる数値を示す温度計で人間の視覚・臭覚・経験の範囲に近いものを示

せばいい。(未だ温度は数十度のはずが100℃を示すことない)

初心者でもデータさえあれば簡単に炭焼きくらいできるのではないかと思え

る、前回の温度カーブをなぞるようにしてやればいいだけのことだから。

でも出来ないのはデータの他にある熟練者の会得した体感からくる重要な要

素が大きく左右するからだ。それにいつも言うように窯の中に入れた材料がど

んなものだったのか、連続した炭焼きなのか等々の条件がつくと同じカーブで

も結果に違いがでる。

あれこれと屁理屈・成り立たない禅問答のようなことになるが・・・2本の温度計

があり双方に差がある場合、根拠はないのに今まで使用していたものを信用

する傾向にある。それと同じように今まで棒温度計をデジタルに変えようとす

るのを妙に気にするのと同じようだ。私論になるが以上のようなことから温度計

を変えた場合に差を生じるかもしれないことを頭に置いておけば余り神経質

になる必要なないと思う。

使用感・・・測定場所は煙突の出口で外気温度の変化を受けやすいところな

のでアナログの棒温度計は外気による変化は少ないがデジタルは瞬時々を

測定するので数字が変化し易い。

トラウマから棒温度計は耐久性がありデジタルは故障を覚悟?

但しこれは本当かフェイクか分からない。

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ワサビは春が来たと決めたようだ

2020年02月23日 18時03分47秒 | 日記

いつもはもっと後に見るはずのワサビの花が開花した。

雪のない冬で植物たちを勘違いさせたのは人間の身勝手な行動からきたも

のなのか、それとも自然の摂理なのか。

どう考えても人間に分があるようには思えない。

日本には天から授かった四季という宝物がある。季節を変えるほどの快適さ

を求める人間の傲慢さは大きく変化していても単に『季節外れ』と一言で括っ

てしまっているのではないか。

国の借金はその国の民が困る。

地球環境は全世界が困る。

誰でも知っていて分かっているのに、まだ地球を怒らせようとしている。

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たかが枝木、されど枝木

2020年01月04日 17時30分28秒 | 日記

正月三が日が過ぎ世間もボチボチと動き出した。次回の窯立てのために

枝木を集めていた時、ふと旧窯での思い出が浮かんできた。窯立てを終え

火入れをし順調に点火した模様と判断してから暫く経ったら、突然というべ

きか煙突から煙は殆ど出なくなり、どうも火が消えてしまったようだ。このよう

なことは想定されるべきことではないから対応方法も想定されてはいない。

しかし、いつものことながら窮すると昔の知恵が助けてくれる。誰が絞り出し

たのか定かではないが・・・・

炭木の上に置かれた枝木が奥の方で消えたものだから、再び焚口から火

を焚いても奥の枝木に火を点けることは無理である。そこで、枝木の所まで

藁を詰め込み火を点け枝木に点火するまで燃やし続けた。窯の中の温度

が下がっていなかったことも手伝ったのか点火状態に復旧させることができ

た。こうして危機を乗り切った末の木炭は従来のものと変わらない質のもの

が産出された。

火が消えた原因は不明であるが以前、以後ともこの1回のみ。

枝木の詰込みがあまりにも疎であれば起きる可能性はあるが、当時の作業

状況からは考え難いものの『うーん』と唸りたくなる。

山行きをして材料を調達する時、炭木のことを中心に考えがちだが、枝木

果たす役目は大きく一目も二目も置くようになってきた。

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紺屋の白袴

2019年12月27日 17時54分14秒 | 日記

以前、同様のテーマでアップしたような記憶がある。ざざーっと調べたが

分からず、重複するかもしれないが改めて『紺屋の白袴』、意味の説明は

釈迦に説法なれど、他人のことばかりに精を出して自分のことができない。

桑炭会の現状をよく表している。

つまり、炭焼きをする目的の一つには自家用の炭を確保することにある。

ブログで紹介の通り、近隣の炭窯の休止、作業開始の遅れなどによりお客

様への供給が満たされていない。大量に注文いただいた方へは分散納入

にして貰い広く、薄くの納品で凌いでいる。そのしわ寄せは会員にも及び

カシ専用の人でも他の炭にしたり、数量を減らす、場合によっては敷木混

じりの屑炭で凌ぐしいった具合。

先日、焼き上げた窯を出せば一息付けそうな塩梅になると思われていたが

年末から寒波の予報もあり、寒くなると再び注文増となるかもしれない。

月並みながら『老体に鞭を打つ』・・・

あんまり強く打たないでボチボチと白袴状態の解消を目指して頑張ろう、と

いうことになる。

***おまけ***

同じ意味のことわざとして

『医者の不養生』

『髪結い髪結わず』

『易者の身の上知らず』

外国にも同様のものがある。

『染物師は白い服を着る』

『靴屋の子供たちははだしで歩く』

 

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稲わら

2019年09月21日 21時16分23秒 | 日記

昨日、会員の厚情により(大袈裟に)、恒例の稲わらをもらい受けることができた。昨今

の稲刈りはコンバイン(言語の意味は組み合わせる)、その機能が稲を刈り脱穀し更に

稲をカットして田圃に還元するもの、稲を束にして収穫する、つまり色々な作業を組み

合わせた機械ということの和製英語では。

稲を畑で使うことを必要としない人にとっては無用の長物。本来の日本型農業に藁は

欠かせないものであった。それが良いか悪いか知らぬが重用される範囲は著しく狭ま

ってしまった。ブログ管理人の戯言ではあるが『藁の有難さも分からずして』と嘆くこと

一しきり。他人様に有難さを思えなどという気はないが、私にとっては欠かせないもの

である。それとまた、酪農家にとっても必需品。保温効果、保湿効果、有機物として

畑の土壌づくりには欠かせないもの。いくら科学が進んでも藁に勝るものを作ることは

できないのではないかと思う。

カンボジアに行った際、見かけた農村の屋根にかけてあった稲わらはみすぼらしく申

し訳ない程度のものだった。稲を鎮長したいけれども屋根にまで手が届かない暮らし

ぶりを垣間見た。現地ではそれほど大切なものであろう。色々な想いが重なり藁に対

する思いもあり、もらい受けた藁は向こう一年の畑の友として活用させてもらう。

自然と人の心に感謝に尽きる。

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