宗恒の茶庭

「茶道 思いつくまま」や「和の美術」など

楽しみの書

2017-07-18 12:12:38 | 書道


自主グループで一年半かかって「雁塔聖教序」を書き上げました。

書の先生がお亡くなりになってから有志だけが会を続け、楽しみながら書いています。自宅ではなかなか得られない区民センターでの書の静かな時間・・・とても貴重です。

昨日「雁塔聖教序」を和綴じにしました。主人に得意そうに見せると、「これはお経?」と質問されました。
楷書の字のある教科書として「雁塔聖教序」をみんなで選んだので、内容については恥ずかしながら詳しく知りませんでした。主人はまたたたみかけるように「雁塔って知ってるの?」と聞きます。「うーん???」と私。
「雁塔って中国の何重にも重なって作られた塔だよ」と主人。
早速ネットで検索。ナルホド・・・
菩薩が浄肉を食べた僧を戒めようと雁に化し、空から落ちて死んだ跡に塔が建てられたのが雁塔…とありました。(大唐西域記の故事に由来)

「雁塔聖教序」は唐の三蔵法師がインドより将来した仏典への序文ということが分かりました。
これらの経典・仏像を保存するために雁塔が建てられたそうです。
これで「雁塔聖教序」の何たるかが理解できました。

博学の主人の質問から思いがけなく勉強になりました。
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RYUSHI川端龍子-超ド級の日本画展 @山種美術館

2017-07-16 12:49:14 | 美術

龍子没後50年記念の展覧会です。
龍子の絵は迫力あるスケールの大きいものです。

確かに「代表作《鳴門》は一双六曲の屏風に色彩は青と白で単純なのですが、力強く渦が描かれています。そこに一羽の海鳥が飛んでいるのも臨場感を増しています。


また、これと似たような《黒潮》は荒々しい群青色の海に七匹のトビウオが羽を広げて飛んでいますが、これも望遠レンズで切り取ったような画です。

《鯉》↑の画も何枚かありましたが、写実的で素晴らしいです。

俳句もされていて(ホトトギス同人)、自句に画を入れた短冊もいくつかありました。

また、年賀状も十二枚それぞれのウィットの富んだ干支の絵が描かれていて、もらった方はどんなに嬉しかったことでしょうと思いました。ご家族の方もこれがもらいたくて、龍子宛てにわざわざ年賀状を書いて返事をもらったというエピソードも・・・・
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やっと茶道に自信が・・

2017-07-10 20:06:05 | 茶道
茶道を稽古して半世紀弱経ちますが、70歳を越えるころからやっと自信をもって茶道をしていると人に言えるようになりました。

大昔、私が大学生のころ「茶道を稽古している」と同じクラスの男子学生に言ったところ、「茶道って何をするの?」と質問され「お茶を点てる稽古」と薄っぺらな返事しかできませんでした。「侘び・さびなんでしょ」と言われますます混乱したことでした。

稽古場では点前の稽古すること以外何もなかったですし、当時は歴史についても軸についても花についても道具についてもまして侘びさびについても全く関心がなく、ただひたすらに点前の稽古をしていました。ですからそう答えるしかなかったし、今から考えると若かったのですから恥ずかしいことでなく当然のことでした。
しかしこのことがトラウマになって以後、「茶道をしている」と軽々しく言わないことにしました。

しかし徐々に点前以外のことに目が向き、茶道に関する本を読み始め、茶道の歴史・道具・掛軸のことなど自分で調べノートにまとめたりしました。こうして知れば知るほどますます茶道の奥深さがわかり、知識豊富な先輩方の話を聞いたりすると、めったに変な事を云えなくなりました。
齢を重ねていろいろとお茶会にいくと亭主(席主)とお正客との素敵な会話を聞き、如何に自分が無知であること実感、怖くなりました。

しかしこんな私も茶道はずっと好きでした。
そして茶名を頂いた頃、先生から「一人でも教えられたらすごく勉強になりますよ」と言われました。祖母も茶道の先生であったので茶道を教える人になりたくなりました。
確かにお教えするとなると生徒さんから色々質問されたりしますのでもっともっと勉強しなければなりません。茶道は底なし沼のような世界ですから・・・
又知識ばかりでなく人間としてもちゃんとしなくてはなりません。

生徒さんに鍛えられて私もだんだん茶道について自信がついてようやく70歳過ぎたころから「茶道をしています」と言えるようになりました。
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吉田博 展

2017-07-09 14:31:06 | 美術

吉田博展が昨日から東京で始まりました。明治生まれで生誕140年を記念する回顧展でもあります。既に千葉美術館から巡回して東京は最後です。
主人は千葉美術館に来た時から東京に来るのを楽しみにして待っていましたので二日目の今日行ってきました。
既にNHK日曜美術館では取り上げられていて予備知識はありました。

この画家、外国でのほうが有名で日本ではちょっと知らない方のほうが多いようです。私も知りませんでした。
ダイアナ妃も彼のフアンで、執務室に版画(↓)を掛けていたそうです。



当時はフランスへ留学する画家が多かったところ吉田博はアメリカへ行きました。ちょっとつむじ曲がりの所があります。

水彩画は素晴らしいです。空気の湿り具合まで感じられる農村風景、水面に移る樹木、夕方や朝という時間まで分かります。水彩でここまで描かれるとは天才!

油絵も描きます。剣岳はじめ槍ヶ岳等高い山も実際に登って描きます。昔山男であった主人は絵の前で懐かしそうに眺めていました。外国の山の絵もあります。山岳画家と云われたこともあったそうです。

そしていよいよ木版画に取り組まれます。
日本の浮世絵が外国で大変人気なのを実感し、吉田博は今までの平面的なものから奥行きのある影までつける木版画に挑戦しました。
淡い色合いで水彩画と同じく空気感・時間の変化も感じられる素晴らしい木版画です。
とくに海景や渓流(↑)など水の表現に私は感銘を受けました。とにかく「絵の鬼」と呼ばれただけあって水彩・油彩・木版画を精力的に多く描いた素晴らしい画家だと思います。
今まで注目されなかったのが不思議です。
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田中仙翁氏を悼む

2017-07-09 08:28:54 | 茶道

私は裏千家茶道を学んでいますが、他流派の茶道にもとても関心があります。
ですから各流派のお家元の著した本は大体読んでいます。
茶道は元は利休からですから、流派が違うといっても細かいところは違っていても、根本は同じと思います。
大日本茶道学会の元会長・田中仙翁氏がお亡くなりになりました。
7月8日の朝日新聞夕刊「惜別」欄に記事がありました(↑)。
その中に仙翁氏の言葉として私が感銘を受けたものがありました。
それは《茶道は客人をもてなすものといわれている。》そして《もてなされる側の感謝と慎み深い態度を学ぶことも茶道の本質と捉えている》という言葉です。

確かに普段の稽古ではもてなすことに主眼が置かれがちですが、もてなしを受ける側の態度・心構えも学ぶこと大切です。

「賓主互換」という言葉があります。賓は客人、主はもてなす側でお互いに役を入れ替えればお互いの気持ちを理解することができるという意味です。

普段の稽古では点前をする側になったり客の側になったりの稽古です。客になった時もお菓子を頂いたり抹茶を頂くだけでなく客としての態度・心にも気を配りたいと思います。
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