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旅行記、世相独言

長城と明の十三陵 罰金とディスコキング!-北京-(異文化体験21 改革解放の国の旅4)

2012年04月21日 11時42分46秒 | 異文化体験_アジア
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長城と明の十三陵 罰金とディスコキング! -北京-  1994.9.17

 フランクフルトからの機窓から見えた万里の長城

 「ガス・チャイナ94」を終えて、今日は待望の郊外ツアー。兄弟が運転する2台の車をチャーターし、万里の長城へ出発。車は中古とはいえ、まだ新しい真っ赤なセダン。それにしても狭い道を結構なスピードで走らせる。郊外に出るまではクラクションを鳴らし放し。

 秦の始皇帝が築いたと言われる万里の長城は、その長さ6000km。中国里程で約1万2千華里あるところから万里の長城と言われる。始皇帝時代の長城はほとんど崩れてしまって、現存の長城は明代に100年かけて改修されたもの。

 
 (左)慕田峪へのロープウェイチケット          (右)慕田峪の長城入場チケット

 北京の東北72kmの慕田峪は、1986年から開放された場所でロープウェイで長城まで行くことが出来る。ほとんどの施設が内国人と外国人で料金が異なるが、こことて同じ。

         
 (左)長城入口の軍服衣装の守備兵                     (右)長城美人? 

 長城入口にはラクダや古代の軍服衣装の守備兵がいて、ショウアップされている。長城の上に立つと澄み切った空の下、緑の木立の間をぬうように山々の起伏の稜線に沿って長城がはるか彼方まで続いている。110m毎に見張り台があり、当時はのろしを焚いて要塞としての機能を果たしていたようだ。

 
(左・右)澄み切った空の下、山々の稜線をどこまでも続く万里の長城

 
 (左)110m毎の見張台、有事の際はのろしで伝達 (右)慕田峪の長城一番端の未復旧箇所で。

 数キロ先に長城が崩れて修復出来ていない場所があるというので、挑戦することに。結構山を登る形になり、早足で息を切らせながら歩を進めること、およそ40分ほどで急斜面を登る階段に行き着く。はあ!はあ!言いながら登りきると、雑草に覆われた崩れたままの石積みの壁が更に上に続いている。何とか元気を出して50mほど先の上まで挑戦。

     
(左)物議を醸し出した5枚50元のTシャツ (右)昼食の11品、満漢全席より格段に安くて美味い!

 入口の土産物屋でTシャツを買おうと値段交渉。同行者と2人で5枚買うから50元にと粘りに粘って交渉成立。ところが隣で同行のI嬢が同じ物をもう少し高い値で交渉中。こっちの店が安いよ!と連れていくと、店の女将が凄い形相で隣の店の女将に食ってかかり、大喧嘩。いやはや大変。
昼食は1品を11品とって豪華な昼食。なすびの甘醤油炒めは、絶品であった。



 
 (左)北京の北西50km、明の十三陵を遠望する。 (右)明代14代皇帝「万暦帝」の陵墓

 明の3代皇帝「永楽帝」が南京から北京に遷都した際、北京の北西50kmの天寿山の麓に陵区を定め、自らの陵墓を造営(長陵)、その後13人の皇帝が同様に陵墓を造営した。
 今回訪れた定陵は、14代皇帝「万暦帝」と2人の皇后の合蔡陵で、地下20mの地下宮殿である。造営には6年の歳月と国費2年分を要したと言われている。

 定陵・陵墓の入場チケット

 地下の陵墓を見終えて、外に出た所で喫煙していると日本の一昔前のバスの車掌さんのように、首から小さなかばんを提げたおばさんが寄って来て、何か言っているが要領を得ない。どうもここは禁煙のようで注意されたようだ。注意だけならいいが、罰金を払えと言う。禁煙の看板が後ろにあるのはあるが、看板の前か後ろでその有効性が変わるはずだが、議論する術を持たない小生にとって払うしかない。結局10元の罰金。内国人にとっては大金である。

 初体験のディスコで、いきなりディスコキング?

 市内に戻り、夕食後、展示設営担当の I 嬢からディスコに行こうと誘われる。そんなものあるの?と聞くと王府井界隈にあるという。小生にとってディスコ初体験ではあるが、ここは若い女性に従おうと入場すると、北京の若者達で大賑わい。
顔で日本人と分かるようで、日本の最先端の踊りを体得しようと、小生のいい加減な踊りやI嬢の踊りを見様見真似でついてくる。気の毒に!と思いつつも、小生の踊りものってくるとそこそこのもの? ごめんね!北京の若者よ。