竹田神社から、いにしへの道を通って島津忠良(日新公 じっしんこう)の墓へ行きます。
いにしへ(いにしえ)の道。
島津忠良は、室町時代の1492年に伊作亀丸城で生まれ、加世田でなくなりました。人間として社会に生きる道を説いた日新公いろは歌をまとめ、薩摩の郷中(ごじゅう)教育の聖典とされ、薩摩武士に大きな影響を与えました。
いろは歌の碑47基が並んでいます。最初の碑です。
いにしへの 道を聞きても唱へても わが行ひにせずばかいなし
楼(ろう)の上も はにふの小屋も住む人の 心にこそはたかきいやしき
イヌマキの並木といろは歌の碑。
碑はそろそろ終わりで、向こうに日新公の墓があります。
対の仁王像があります。廃仏毀釈で埋められていたものが昭和57年に発掘されました。
阿像。
吽像。
向こうが日新公の墓、手前が夫人の墓です。
日新公婦人の墓。
日新公の墓です。
中の墓石。
殉死者2名の墓です。
墓の隣にある池です。
今の社会にも必要と思われる「いろは歌」の数々
偉大な先人輩出した故郷、鹿児島、自慢です。
恥ずかしながら勉強不足で詳しく知りませんでした。
二年後、両親の鹿児島での法事で訪れる楽しみが又一つ増えました。
そして殉死者取り巻く時代背景、人間関係に
ドラマ・・・ロマンも感じます。
こんにちは。
いつも、応援ありがとうございます。
加世田は、いろは歌とイヌマキの街です。
武家屋敷跡もあり、なかなかいい街です。
島津の殿様は名君が多いですが、島津忠良もその一人です。
2年後に法事で帰省するのが楽しみですね。
いにしへの 道を聞きても唱へても わが行ひにせずばかいなし
耳が痛いですがその通りですね。
腕を欠損した阿像 それでもこれ以上傷めつけられないように
埋められたんでしょうね。
埋める人も 掘り起こされた人も
また 腕を壊した人さえも・・・みんな泣いてたかも・・・
おはようございます。
いろは歌は、知らないものが多いですが、今も役に立つ教えが多いようです。
薩摩武士に大きな影響を与え、明治維新の原動力の一つになったかもしれません。
この仁王像は、まだ完全に近いです。
破壊されないように埋めたのかもしれませんね。