昨日、鹿児島港の北埠頭を紹介しましたが、そこにある鹿児島港旧第一防波堤を紹介します。
北埠頭は、この防波堤を護岸として、その沖を埋め立てて造られました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/22/75/ed75cde0108b0192b6976f8a4a626fef.jpg)
陸と北埠頭の間の水路。
右の護岸が、旧第一防波堤です。
左は、板の広場となっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/a8/4790d8d4cce544fa04a94e4860a97119.jpg)
石造りの旧第一防波堤。
前の写真の橋から南を見たものです。
この防波堤は、明治5年に造られ、平成5年に埋め立てで護岸化されました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/b3/bb2f7aaa9d820389bd54300338c22206.jpg)
前の写真の突端。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/5f/c4ae72fed141141c90a3dca40eaa2591.jpg)
階段状の護岸。
石は、石橋と同じ材料の溶結凝灰岩です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/14/71ea2b028b08db4fe760f98a0cb12229.jpg)
北埠頭に渡る橋の北の護岸。
右は、鹿児島水族館です。
南の延長130m部分が「一丁台場」、その付け根から30度の角度で延びている部分が「新波止」と呼ばれます。
巻石の至るところに、石工の名が刻まれているそうです。
この旧第一防波堤は、土木学会選奨の近代土木遺産に選定されています。
北埠頭は、この防波堤を護岸として、その沖を埋め立てて造られました。
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陸と北埠頭の間の水路。
右の護岸が、旧第一防波堤です。
左は、板の広場となっています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/a8/4790d8d4cce544fa04a94e4860a97119.jpg)
石造りの旧第一防波堤。
前の写真の橋から南を見たものです。
この防波堤は、明治5年に造られ、平成5年に埋め立てで護岸化されました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/b3/bb2f7aaa9d820389bd54300338c22206.jpg)
前の写真の突端。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/5f/c4ae72fed141141c90a3dca40eaa2591.jpg)
階段状の護岸。
石は、石橋と同じ材料の溶結凝灰岩です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/77/14/71ea2b028b08db4fe760f98a0cb12229.jpg)
北埠頭に渡る橋の北の護岸。
右は、鹿児島水族館です。
南の延長130m部分が「一丁台場」、その付け根から30度の角度で延びている部分が「新波止」と呼ばれます。
巻石の至るところに、石工の名が刻まれているそうです。
この旧第一防波堤は、土木学会選奨の近代土木遺産に選定されています。
まるいですよね。
とても柔らかい曲線ですね。
珍しい。。。
熊本城にまた行きました。
今度は外から眺めただけですが。。。
石垣の曲線はどちらかと言えば反っていますが
ここのように膨らんだのは ほんと珍しい。。
昔の人の技術のすばらしさに感心します。
こういうものをよく残したと思います。
土木遺産には、現在使用されていないものが多いですが、これは護岸として現役で活躍しています。
熊本城に・・・
よく県外まで遠出されますね。
石橋探訪でしょうか。