四元橋へ行きます。
右岸から見た四元橋。手前が春山町、向こうが四元町です。
橋から上流を望む。
上流から見た四元橋。昔は、春山と四元を結ぶ幹線道路でした。
橋長:9.5m
幅員:2.5m
架設年代:大正10年
近景。
右岸部。
下流から見たものです。
近景。
左岸にある架橋記念碑。
隣に四元の石地蔵があります。
全身像。
顔のアップ。
近くに咲いていたネジバナです。
四元橋へ行きます。
右岸から見た四元橋。手前が春山町、向こうが四元町です。
橋から上流を望む。
上流から見た四元橋。昔は、春山と四元を結ぶ幹線道路でした。
橋長:9.5m
幅員:2.5m
架設年代:大正10年
近景。
右岸部。
下流から見たものです。
近景。
左岸にある架橋記念碑。
隣に四元の石地蔵があります。
全身像。
顔のアップ。
近くに咲いていたネジバナです。
伊佐市大口の一之渡瀬橋を紹介します。
大口市街地から国道267号を熊本県方向へ行きます。県境の久七トンネルの手前に現道橋があり、その下流(写真右の白いポールの所)に石橋の一之渡瀬橋があります。
橋の上には木や草が生えており、ここに石橋があるとは気づきません。
現道橋の下から見た一之渡瀬橋。
近景。なかなか立派な石橋です。
橋長:14.75m
幅員:5.26m
架設年代:昭和初期
右岸部。
左岸部。
くっきりと残るノミ跡。
下流左岸より見る。
アーチ部。
前回紹介した薩摩川内市祁答院町の、豊日霎(とよひるめ)神社の前にある成木田橋を紹介します。
神社の前から見た成木田橋。
左岸より見る。地方の重要な幹線道路です。右奥が上手小学校。
上流を望む。左が前回の豊日霎神社です。
下流には田園風景が広がっています。
上流右岸より見る。
上流から見た近景。
橋長:15.6m
幅員:4.4m
架設年代:明治36年
左岸部。
下流より見る。
近景。下流は拡幅されています。
昨日はひな祭り。妻の手作り寿司をいただきました。
鹿児島市の脇田川のレンガアーチ橋を紹介します。
鹿児島本線広木駅から脇田川(左)を上流へ行きます。向こうに鹿児島本線が見え、左端にレンガアーチ橋があります。
脇田川に架かるレンガアーチ橋です。
河床より見る。
内部。
近くにも、水路に架かる小さなレンガアーチ橋があります。
内部。
線路の土手に咲くスミレ。
踏切から伊集院方面を見たもので、先ほどのレンガアーチ橋は向こう側にあります。
踏切を渡って上流へ行きます。白梅がありました。
紅白の椿とヒカンザクラです。
紅い椿。
白い椿。
堰から落ちる滝です。
電車が通過しました。この下にレンガアーチ橋があります。
階段状の滝の上流に橋があります。
堰の上流のレンガアーチ橋。
河床より見る。
霧島市国分の国分小学校前にある石橋を3つ紹介します。
国分小学校の前に水路があり、そこの上流にある石橋です。
近景。
下流を望む。向こうに2つ目の石橋が見えます。
2つ目の石橋です。
欄干は新しいです。
国分小学校の裏門です。
国分小学校。ここは国分新城(別名国分城、舞鶴城)跡で、島津家第16代当主島津義久が築きました。その後、地頭仮屋が置かれ、江戸時代の国分における政治的中心地となりました。
島津義久公辞世の句
世の中の 米と水とをくみ尽くし つくしてのちは 天つ大空
さらに下流へ行きます。向こうに3つ目の石橋、太鼓橋が見えます。
舞鶴城屋形跡の碑。
太鼓橋です。
太鼓橋と朱門(あかもん)。
下流より見る。
階段を上がって朱門へ行きます。
朱門。元々は城の敷地内部にあったものと考えられています。
鹿児島市の谷山神社にお参りしてから、慈眼寺自然遊歩道を歩きました。
慈眼寺跡です。石橋(桁橋)の遊仙橋を渡って、酒水の井戸へ行きます。
崖下から湧いている酒水の井戸。水質がよく酒造に使われました。
遊仙橋の上流にある桁橋です。
慈母観音像。
子供を抱いた観音様。
対の仁王像があります。これは阿像。
吽像。
稲荷神社前の桁橋です。
橋のたもとにある青面金剛像。
澄心橋です。
和田川左岸の遊歩道を上流へ行きます。
双体の石像。
石仏88体のうち19体がここにあります。
右岸にそうめん流しがありますが、今は営業していません。
桜広場の紅葉。
和田川右岸の竹林です。
鹿屋市祓川町の大園橋を紹介します。
下流から見た大園橋。川は肝属川です。
橋長:25.5m
幅員:3.4m
架設年代:明治37年
右岸側アーチ。やや赤味がかった石材(溶結凝灰岩)です。
左岸側アーチ。鹿児島市伊敷の石工によって架けられました。
左岸より見る。現在使用されていませんが、歩いて渡ることができます。
下流の橋は、国道504号の現道橋です。
上流を望む。
上流から見た大園橋。
坊津の丸木埼展望所から博多集落へ行きます。
博多集落に面した博多浦。唐との貿易で栄えたところです。
雰囲気のある石畳の道を歩いて行きます。
石壁の家。
淳厚寺です。
お堂の前の川に石橋があります。
上流から見た石橋。桁橋です。
下流より見る。
石橋から見たお堂です。
お堂の前から見た石橋。
唐人町へ行きます。途中の道の脇にある井戸です。
階段を上がったところに唐人町があります。
博多浦が貿易で栄えていたころ、唐人町があって唐人が住んでいました。
唐人祠。1635年、幕府が長崎を貿易港と定めてから唐人は長崎へ移りました。唐人の墓を一つにまとめたのが唐人祠です。
小さな入江があり、港になっています。
上から見た入江。
知覧小学校から麓川右岸を下流へ行き、大心寺へ向かいます。
大心寺の山門です。
お堂の前の池に、石橋があります。
大心寺の石橋です。
側面。
石橋から見た池です。
お堂から石橋と山門を見る。
立派なお堂です。
豪華な内部。
鐘楼です。
境内にクスノキが2本あります。
上部。
大心寺からイヌマキの通りを西へ行き、島津墓地へ向かいます。
右に御仮屋跡があります。
今は林となっている御仮屋跡。
枕崎市の南方神社へ行きました。
手前が参道橋、階段の横がクロガネモチです。
南方神社参道橋。
欄干。
側面。アーチ橋です。
季節外れの桜が咲いていました。
鳥居が二つあり、その横にクロガネモチがあります。
階段の上から見たクロガネモチ。
樹高などのデータはありませんが、私が見たクロガネモチの中でも最大級です。
上部。
南方神社です。右にも二つの神社があります。
南方神社社殿。
豪華な装飾があります。
右にある二つの神社です。
淡島神社。
招魂社。