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論争を根本から覆した? 邪馬台国はなかった?

2018-10-06 03:58:33 | Weblog

古代史研究家の古田武彦氏は、現存する最古の『三国志』に
 『邪馬臺国(邪馬台国)』と云う表記がないことに着目した

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*「邪馬台国」と云う名の国はそもそも存在しなかった?
 これまでに多くの邪馬台国の所在地に関する学説を見て来たが、そもそも「邪馬台国はなかった」と云うセンセーショナルな説を唱えた人物がいる。古代史研究家の古田武彦氏だ。
古田氏は、昭和46年(1971)に著書『「邪馬台国」はなかった』を朝日新聞社から出版、当時の邪馬台国論争の盛り上がりの中で、この本はたちまち大きな反響を呼んだ。古田氏が「邪馬台国はなかった」と唱えた根拠はいったいどの様なものだったのだろうか。
実のところ、現存する『三国志』には、「邪馬臺国(邪馬台国)」と書かれた箇所はどこにも存在せず、「邪馬壹国(邪馬壱国)」と書かれているのである。ただし、後世の書物には「邪馬臺国(邪馬台国)」と書かれていた為、多くの学者たちは、これは「書き違い」や「写し間違い」でそうなっているのだろうと解釈して「邪馬台国」と云う表記を採用したのである。
ところが、古田氏が現存する最古の『三国志』の刊本である南宋の紹煕本(12世紀)にあるすべての文字を精査したところ、「臺」を「壹」と書き間違えた様な箇所は一つもなかった。従って、「邪馬壹国」は「邪馬臺国」の書き間違いだと断定するのは誤った見解であると主張したのである。

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*邪馬台国は原典を無視した恣意的な表現か?
 古田氏曰く。「やまたい」と云う音は「やまと=大和」と云う音を彷彿とさせる。現在に至るまで綿々と続いている天皇家が、3世紀前半にはすでに日本列島に於ける支配的な勢力であったとする説を支持したい人々が、恣意的に原典の「邪馬壹国(邪馬壱国)」と云う表記を無視して、「邪馬臺国(邪馬台国)」に変えてしまったと言うのだ。また、古田氏は『三国志』に「臺(台)」と「壹(壱)」と云う文字がどれだけの回数出現するのかを調べたところ、「臺(台)」が56個で「壹(壱)」が86個の合計142個であった。その86個確認された「壹(壱)」の文字のうち、「邪馬壱国」と「壱与(いよ)」を表わす文字を除いた82個の「壹」が「臺」と混同されたり誤写されたりした例は一つもなかったと言う。その為、二つの文字の混同や誤写が起きる確率は極めて少ないと結論づけた(最終的に古田氏は邪馬台国の比定地を北九州の博多沿岸とした)。

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*邪馬壹国説へ湧き上がった専門家からの批判
 しかし、この古田氏の主張には何人もの学者が反論を寄せることになった。その中でも取り分け知られているのが邪馬台国甘木・朝倉説を唱える安本美典氏である。安本氏は、古田氏の「邪馬台国はなかった」とする論を徹底的に解明、批判した。
その大まかな主旨は以下の通りである。
先ず、3世紀に刊行された『三国志』の原典は現存していないこと。
『三国志』が刊行された3世紀から、古田氏が取り上げた紹煕本が刊行された12世紀までの約900年間に読まれていたであろう『三国志』を参考にして書かれたと思しき複数の文献(『後漢書』『隋書』『通典』など)には、すべて「邪馬臺国(邪馬台国)」と書かれていること。
こうした反論があったものの、古田氏の「邪馬台国はなかった」とする主張は現在も根強い支持を集めている。またもう一つ、原文にある表記を後世の学者が変えるべきではないのではないか、と検証を続けた古田氏の功績は大きい。

       
            完全図解 邪馬台国と卑弥呼
                    第五章 刺激に満ちた新説・珍説
                         邪馬台国はどこにあったのか?2

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