長野市八幡原史跡公園にある武田信玄(左)と上杉謙信(右)の一騎打ち
歴史ファンはもちろんそうでない人でも、武田信玄と上杉謙信による川中島合戦での一騎打ちは知られているだろう。
この2人がライバル関係にあったということもあり、胸が熱くなる勝負の1つだ。
しかし、これも真実かどうか怪しいのである。
信玄と謙信の一騎打ちがあったという根拠になっているのが、武田方に伝わる「甲陽軍鑑」という軍記物である。
それによると、1561年9月10日の第4次川中島の戦いにて、一騎打ちが行われたとされており、
また、幾つもの川中島合戦絵巻にも描かれている。
しかしこの史料は言わば物語である為、信憑性に欠けるうえに、
上杉側の史料には一切そういった記述は残っていない。
「川中島五箇度合戦記」と上杉方の史料では、
信玄と謙信の一騎打ちがあったのは1554年8月のことであると記されており、既に食い違いが見られる。
また、同史料には「甲陽軍鑑」に記される日付と同じ日に一騎打ちがあったという記述はあるのだが、
その時、信玄との一騎打ちに名乗り出たのは謙信ではなく家臣の荒川伊豆守だったと伝えられている。
それによると、1561年9月10日の第4次川中島の戦いにて、一騎打ちが行われたとされており、
また、幾つもの川中島合戦絵巻にも描かれている。
しかしこの史料は言わば物語である為、信憑性に欠けるうえに、
上杉側の史料には一切そういった記述は残っていない。
「川中島五箇度合戦記」と上杉方の史料では、
信玄と謙信の一騎打ちがあったのは1554年8月のことであると記されており、既に食い違いが見られる。
また、同史料には「甲陽軍鑑」に記される日付と同じ日に一騎打ちがあったという記述はあるのだが、
その時、信玄との一騎打ちに名乗り出たのは謙信ではなく家臣の荒川伊豆守だったと伝えられている。
考えてみれば、戦いで大将が自ら一騎打ちに進み出るという可能性は非常に低い。
もし本当に大将同士の一騎打ちが繰り広げられていたならば、双方の記録に大々的に残されるのではないだろうか。
一騎打ちは史実か否か、新しい史料の発見が待たれるばかりである。
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戦乱と歴史のウソ