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◆日本最古の歴史書「記紀」は何故編纂されたのか?

2019-04-25 04:13:57 | Weblog


日本の誕生から、国としての形成過程を描いた神話「古事記」。
古事記は「世界最古のエロ本」と称されることもあるらしい。


古事記


日本書紀


「古代の日本の神話と歴史を伝える『古事記』と『日本書紀』は、共に天武天皇によって編纂が企画されたが、近年、『古事記』の序文に疑いの目が向けられている」

日本神話や古代の歴史を伝える有名な史書に「古事記」と「日本書紀」がある。
二つの書を一つにとらえて「記紀」と呼び、そこに記載された神話を「記紀神話」と呼ぶことが多い。 記紀は奈良時代に編纂されたが、「古事記」は和銅5(712)年、「日本書紀」は養老4(720)年の成立で「古事記」の方が先に成立したと謂われている。 一見同じように見える二つの史書だが、古くから謎とされているのが、何故ほぼ同時期に編纂されたのかということ。而も、いずれも編纂を企画したのは天武天皇なのだ。 「古事記」の始まりは、天武が「帝紀」「旧辞」の誤りを正して後世に伝える為に、稗田阿礼に読み習わした(誦習という)ことだった。「帝紀」と「旧辞」は記紀以前に存在したと謂われる書物で、前者は天皇の系譜や事績、後者は神話や物語を内容とした。 阿礼は舎人とも巫女とも謂われ、極めて記憶力が良かったと謂う。和銅5年、学者の太安万侶が元明天皇に命じられ、阿礼が覚えた内容を筆録し上奏した、と「古事記」の序(序文)にある。
一方の「日本書紀」は、天武10(681)年、天武が川島皇子・忍壁皇子ら12人に命じて、帝紀及び上古の諸事(旧辞に相当)を記し定めさせたのが始まり(『日本書紀』天武10年3月条)で、養老5年に舎人親王が撰修し元正天皇に上奏したと伝えられている。 記紀は成立年や編纂の経緯以外にも、幾つもの違いがある。 「古事記」は天地開闢から推古天皇の時代までの全3巻からなり、日本語を漢字の音訓によって表記し、物語的・文学的などと謂われる。 これに対して「日本書紀」は天地開闢から持統天皇の時代までの全30巻からなり、漢文の編年体で表記し、文献的・記録的などと謂われる。 そこで、二つの書の性格を「古事記」は天皇家の正当性を誇示する国内向けの史書、「日本書紀」は中国王朝を意識した律令国家の正史であるとも謂われて来た。

*「古事記」の編纂は本当に天武の企画なのか  
二つの書のうち「日本書紀」については、前述したような編纂の経緯が「日本書紀」以外にも「続日本紀」などに掲載されている。ところが、「古事記」には序以外に他の史書に記載がない。そこで、古くから古事記偽書説も唱えられて来たが、現在では古事記偽書説をとる学者・研究者は少ない。 では、天武は何故史書を二つも編纂しようと企画したのだろうか。これについて、歴史学者の溝口睦子氏は「国家的事業としての歴史書の編纂が天武10年に開始された後で、天武はそこに多くの問題点や困難があることを、初めて具体的に知ったのではないか」(溝口睦子『アマテラスの誕生』岩波新書)と推測する。そして、「そこで天武は、とりあえず独自にプランを立てて、新しい国家の基礎となる、神話と歴史のあるべき姿を自ら提示しようと考えた」。
一方、天武の死後に編纂された「日本書紀」は、「天武の意図から完全に離れたところで、『古事記』とは、また全く別の意図・目的を持って編纂されている」(溝口氏 前掲書)という。 また、溝口氏は「古事記」は「日本書紀」に比べて「極めて大胆な、過激ともいえる」編纂がなされているとし、その例として従来からあった神話の一元化(アマテラスの項1-1参照)を挙げている、溝口氏によれば、天武は「古事記」によって「神話を一元化し、統一国家に相応しい一元的な世界観を創出した」(前掲書)というのである。 立正大学文学部教授の三浦佑之氏はこれまでほとんどの論者が「古事記と日本書紀との違いを問題にすることがなく、二つの書物は一体化され、途絶えることのない天皇家の由緒を語る神話、一つの日本を保証する歴史書として『記紀』を称揚した」(三浦佑之『古事記を読みなおす』(ちくま新書)とする。
そして、二つの書の違いを「律令国家が自らの根拠を主張する為に編んだ日本書紀と、それに抗うかのように古層の語りを主張し続ける古事記との違いである」(前掲書)という。
また、三浦氏は「古事記」の序から後に付け加えられたとし、「『序』の執筆者には古事記本文に対する認識不足があって、本文を筆録したのと同一人物であるとは到底考えられない」(前掲書)とも述べている、その認識不足として三浦氏があげるのが出雲神話の扱いで、「上巻を紹介するのに古事記の神話の中で最もまとまった分量を持ち、前後の展開を考えて主要な位置を占める『出雲神話』について、大蛇(オロチ)を斬った場面を除くと全くふれていません」(前掲書)と指摘する。 三浦氏によれば、「古事記という作品は、『序』が付けられることによって国家の枠組みに組み込まれ」たが、「古事記が律令国家の求めた歴史であったことは一度もなかった」(前掲書)という。 三浦氏が指摘するように「古事記」の序が後に付け加えられたものであれば、そこに記された編纂の経緯も信用出来なくなる。つまり、「古事記」は天武が編纂を企画した律令国家の為の史書ではない可能性があるのだ。


                                            日本史最後の謎
                        天皇制が確立した律令国家と院政の謎

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