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戦争賠償金 総額 第一次世界大戦 100兆円 第二次世界大戦 7兆2000億円 第一次世界大戦の戦争賠償金は2010年に89年かかって完済

2017-07-17 04:03:45 | Weblog

*第一次世界大戦の賠償金はドイツのGNPの20年分

戦争の世紀と言われた20世紀。二度に渡る世界大戦で、敗北を喫したのがドイツである。
1914年6月28日、オーストリアの帝位継承者夫妻がボスニアの州都サラエボでセルビア人によって暗殺された。
オーストリアは、ドイツの支持を得て、7月28日セルビアに宣戦。列強は、ドイツ、オーストリアなどの同盟国側と、フランス、ロシア、イギリス、日本などの連合国側とに別れて戦うこととなった。
イタリアは、中立の後、連合国とロンドン秘密条約を結んで三国同盟を離れ、連合国側に立って参戦。やがて1917年、ドイツが無制限潜水艦作戦を始めると、中立を保っていたアメリカがドイツに宣戦布告。形成は連合国側に傾き、ドイツ皇帝はオランダに亡命し、ドイツは休戦条約を結び、大戦は終わった。
しかし、4年以上の長期戦となった第一次世界大戦の結果、連合国側は多額の対アメリカ向けの戦争債務を抱え込む。
この結果、ヴェルサイユ条約で勝者となった連合国側は、1921年のロンドン会議に於いて、敗戦国ドイツに対して、1320億金マルクの巨額な戦争賠償金を突きつけた。
1320億金マルクの戦争賠償金は、当時ドイツのGNP(国民総生産)の20年分に当たり、ドイツの支払い能力を遥かに越えるものだった。而もフランスはドイツの支払い不履行を理由に、1922年から23年にルール工業地帯を占領。ドイツ経済を、更に悪化させる原因となった。
これに対してアメリカは、1924年「ドーズプラン」を提案し、賠償金の支払いを1年に25億金マルクに抑制。
更に1929年「ヤングプラン」によって、賠償金総額を358億金マルク、而も59年間払いに緩和されたものの、世界恐慌が発生し、再びドイツの経済は破綻した。1931年の「フーバーモラトリアム」で1年延期が認められ、1932年のローザンヌ会議で賠償金残高を30億金マルクまで減額されたものの、翌33年に政権の座に就いたヒトラーは、一方的に賠償金の支払いを拒否。
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*世界大戦の巨額な賠償金がナチスの台頭を許す

第一次世界大戦の巨額な戦争賠償金が、ひいてはナチスの台頭を招いたと言える。
1939年9月、ナチスドイツはポーランドに侵攻。イギリス、フランスはドイツに宣戦布告し、第二次世界大戦が始まった。
一時はヨーロッパを席巻する勢いを見せたドイツも短期決戦に失敗し、アメリカ、ソ連が連合国側が参戦すると、総攻撃の前に、1945年5月、ドイツ軍は無条件降伏する。第二次世界大戦後の賠償金は、ヴェルサイユ条約での苦い教訓と、冷戦の影響から、東西双方とも分断された同盟国の経済的な弱体化を恐れて、正式な講和条約を結ぶことはなかった。
ただしソ連に対しては賠償金200億㌦と生産設備や動産を支払うこととされたが、1953年、賠償金の支払いは停止された。
第二次世界大戦とその後の冷戦下でも支払いはおこなわれなかったが、東西統一後、再び債務利子の支払いを開始して、2010年、89年をかけてドイツは、すべての支払いを完了させた。




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