Mayumiの日々綴る暮らしと歴史の話

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◆かつての愛人との不義密通 呂不韋と趙姫

2018-02-17 04:05:51 | Weblog

 まだ幼い政が王になったことで呂不韋の権力は絶頂期を迎えた。おそらくは、政が呂不韋の子であると云う噂は当時からあったのだろうが、それは彼の権力を揺るがせるものではなかった。
ただ、彼はそれ以上の爆弾を抱えていた。それは政の母親で太后である趙姫と不義密通の関係を結んでいたことだ。
元々は、自分が囲い者にしていた女ではあるが、現在は王の母親である。ところが、そうした立場の変化に燃えたのかは分からないが、二人は関係を復活させていたのである。...
呂不韋は、絶頂期を迎えながらも、自分の地位が一瞬で無くなる重大過ぎるスキャンダルを抱えていたのである。ともすれば、彼は政に代わって自分が王に成ると云う手段を選択することも出来ただろう。しかし、歴史書や伝承の記述を見ても、彼が王位を簒奪しようとした形跡は一つも見つからない。この時の秦の勢いであれば、彼が王として天下を統一する可能性があったにも関わらず、である。つまり、彼は天下を統一し号令をかけることよりも、自分の地位と権力を維持することを優先したのである。所詮、彼は天下を統一する器量などなく、戦国四君の一人と云うところがせいぜいだったわけだ。
そんな彼にとっての大きな悩みは、太后との関係が露見することであった。王の母との不義密通は、道徳上ももちろん大問題だが、秦の法律で死罪を免れることはできなかったことと思われる。そしてまた、仮に関係が露見せずに続いたとしても、もし太后の寵愛が失われたら、今の地位を失う事態とも成りかねない。せっかく相国の地位まで登り詰めたのだから、それだけは何としても避けたいのが呂不韋の本心であったろう。
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◆手に負えない女に男をあてがう 趙姫と嫪毐

 呂不韋を悩ませていたのは太后こと趙姫の、度を越えた淫乱さであった。元々、色情の気が多かったのかも知れないが、それは年齢を重ねるごとに増していた。故に、呂不韋としては相手をしていては、とても身体が持たないところまで追い込まれたのである。そこで、彼は一計を案じる。それは、自分の代わりに彼女の相手をする男を見つけることであった。
そして見つけたのは、食客の中に居た嫪毐(ろうあい)と云う男である。彼は、大した才能の持ち主ではなかったが、宴会の余興で自らの「イチモツ」を軸の代わりに使って桐の輪(馬車の車輪)を回すと云う芸を持っていた。このイチモツならば、あの淫乱女も満足するに違いないと考えた呂不韋は、早速彼を使うことにする。ただ、男子禁制の後宮に、男を連れて行くわけには行かない。そこで、呂不韋は嫪毐の髭を抜き、偽の手術記録まででっち上げた。偽宦官の誕生である。
かくして、ばれることなく後宮へ.......と云うわけには行かなかった。宦官は性器を切除している為、声も高くなり、体毛も薄くなり、明らかに男性とは違う身体を持っている。そんな中で、髭を抜いたくらいで成りきれるわけがない。「あれは、手術していない男なんじゃ.......」と後宮では誰もが噂する様になってしまっていた。
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◆絶倫伝説の始祖と言ってもいい人物
             子供まで作っちゃった嫪毐

 巨大なイチモツだけで、出世した嫪毐であるが、その切欠になった芸は、単にイチモツで馬車の車輪を回してみせるだけではなかった。何と、そのまま車輪を回して、踊りながら歩くことも出来たと伝わっている。そこまで立派なイチモツを持ち、国家を大事に追い込んだ嫪毐だが、出自などは全く伝わっていない。

 呂不韋の思惑通りに嫪毐のイチモツの虜になってしまった太后は嫪毐と毎晩の様にセックスに励んだ。そして、子供を二人も儲けるまでになったのだ。更に紀元前239年には、太后の後ろ盾により長信候に封じられた嫪毐は、数千人の下僕を雇い、仕官を求めて食客となった者が千人を超えるまでになったのである。

 毎晩の様にセックスに励み、子供までも儲けた上に位まで授けていれば、誰もが「これは、おかしい」と思うはず。遂には、政(始皇帝)のもとに「嫪毐は偽宦官であるばかりか、太后と子供を儲けている。このままでは、太后と謀って自らの子を世継にしようとするに違いない」と云う密告も相次いだと伝わっている。

 後世になっても嫪毐を批評する文献で必ず触れられているのは、詰めの甘さである。本来ならば急に出世すれば妬みを買うのは自ずと想像できるものである。ところが、彼はそうしたことに対して、周囲の人間を買収するなどの対策を、全く行なわなかった。その為に、その末期には政のもとには密告が殺到したと言う。

(画像・嫪毐像、朱太后とは趙姫の別名)

 
     


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