Mayumiの日々綴る暮らしと歴史の話

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◆人の気を読む「望気術」とは

2017-09-20 05:45:12 | Weblog

『史記』項羽本紀の一説に次の様な話がある。
鴻門の会.の会の直前、沛公(劉邦)は快進撃を続け、秦の都咸陽を破り関中に入って王を捕らえようと云うところまで来た。
それを知った項羽は怒り、沛公を攻撃しようとする。
沛公の兵10万に対し、項羽方は40万。
しかし、老将軍范増は項羽に言う。「故郷の山東にいた時の沛公は、財貨を貪り美姫を好んでいた。だが、関中に入ってからは財物にも婦女にも手をつけていない。これはその志が小さくないと云うことだ。私がある人に沛公の気を望見してもらうと、それは五采を成す竜虎の形をしていると謂う。これは天子の気だ。急に攻撃して気を失っては為りません」

古代中国では、空の雲の形、目に見えない空中の気、太陽や月の周りの嵩(かさ)、虹などで戦争の勝敗や、人事、農作物の出来などを占っていた。これは、祥瑞思想の一つ、体が発する気を見てとる「望気」と云う術で、天子になる者には先立って天帝が予見してその気象を表わすと謂う。

易に「雲は竜に従い、風は虎に従う」とある様に竜虎は英雄を示し、特に竜は天子の象徴で祥瑞(吉兆)を示す霊獣である。
青、黄、赤、白、黒が交わった美しい模様である五采も、やはり古代の神秘思想と結びついて天子の祥瑞と考えられた。
つまり、沛公は、将来、天子になるはずだと予見されたのである。
この様な体から外部に発散される気を、現代の気功科学では「外気」と呼び、外気を異常に発出する能力を持つ者を「特異功能者」と言う。外気についてはまだ研究中の段階だが、電磁波だとする説が有力となっている。また、生命体の表面からコロナ放電が行なわれていることも、平面電極と高電圧低電流を用いて写したキルリアン写真によって確認されている。

    

     


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                                                   -不吉な未来を見通す神秘ー
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イサベル1世 スペインを統一し大航海時代をもたらした女王(1451~1504)

2017-09-20 05:40:08 | Weblog

15世紀半ばのイベリア半島にあった、カスティーリャの国王の娘として生まれ、兄に次いで国王になったのがイサベル1世である。
隣国アラゴンのフェルナンド2世と結婚後、アラゴンとカスティーリャの連合を成し遂げ、
これがやがて、スペイン王国へと発展して行く。また、コロンブスをバルセロナに迎え入れ、新大陸発見に寄与したことでも歴史に名を残している。

「不遇だった少女時代」
カスティーリャ王国の長女に生まれたとは云え、イサベルにはすでに二十六歳も年の離れた腹違いの兄が居て、後には実母が弟を産んでいる。彼女が生まれた時点では、後に彼女が国王となり、強大なスペイン王国の基礎を築くなどとは誰も予想だにしていなかった。その上、イサベルは王女とは云え、不遇な少女時代を強いられている。
彼女が三歳、弟が八か月の幼児の時に父王が急死するが、これは、母が不仲だった宰相を死に追いやったことに、ショックを受けてのことだった。母は父の跡を継いだ兄王エンリケ4世とも不仲だったから、イサベルたち母子三人は田舎の城に追いやられ、そこでは農民と大差のない暮らしが待ち受けていた。
王妃時代の生活とあまりの落差から、発狂してしまった母を抱え、幼い弟の面倒を見なければならなかったイサベルを支えたのは、最早カトリック信仰だけだった。
アラゴンの皇太子フェルナンド2世との結婚は十八歳の時だったが、これは兄王の反対を押し切ってのもので、信仰心を支えに自分の信じる道を進もうとする強さを持った女性ならではの決意だった。
その強さは、後にイサベルが王位に就いてからも発揮される。
彼女の即位で、自分たちの権益にのみ拘る貴族たちは、女性ならば与しやすいだろうと考えていたが、これが読み違いとなった。
イサベルは貴族たちの思惑に反し、優柔不断な父や兄の統治下で崩れかけていた王権の確立を試みた。対立する勢力を利用しながら権力を王に集中させる一方で、国中を周って国民生活の改善と向上に努めた。彼女の五人の子の出生地が、国のあちらこちらに散っていることを見ても、如何に頻繁に巡行していたかが分る。
こうして、ヨーロッパの外れにある小国は、三流国からの脱却を目指して行ったが、その根底には、少女時代からイサベルを支えて来たカトリック信仰に根ざした、強固な国づくりがあったことも忘れてはならない。

「コロンブスの新大陸発見に貢献」
イサベルが即位してから十年が過ぎた頃に出会ったのが、コロンブスだった。彼は「地球は丸い」と云う説を信じ、当時は東航路・アフリカ経由で行くのが当然だった東南アジアや中国、日本へは西へ航海して行けばもっと早く着けるはずと考えていた。
実はその時も、西航路を航海する為のスポンサーを探してポルトガルを訪れ、断られたばかりだった。だが、イサベルはこの話に興味を抱く。この頃のカスティーリャは、イベリア半島に唯一残るイスラム国グラナダ攻略の戦費が嵩んでいた。それ故、国の重臣たちはコロンブスへの投資に反対したが、イサベルは敢然と決断する。
航海で見つかった島や土地をスペイン領にすると、コロンブスが提案したからだ。
彼が望んだ成功報酬は、新発見の土地の総督になると云う事と、その土地との貿易に寄る利益の1割をいただくと云うもので、もし実現すればカスティーリャの国庫は潤い、一流国の仲間入りができる。イサベルはそれに賭けたのである。
その結果は、歴史が証明しているが、イサベルが基礎を築いたスペイン王国は、ヨーロッパの各王室と婚姻関係を結び、コロンブスのもたらした富はスペインの強大化に大いに寄与したのだった。

             

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