Mayumiの日々綴る暮らしと歴史の話

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◆悪魔教会の呪殺術で事故死した有名女優

2017-09-01 04:28:48 | Weblog

悪魔や魔女の話が、過去のことだと思ったら、それは大間違いだ。
今も世界には悪魔や魔女の集団を自称する団体がたくさんある。
そのうちでも有名なのが、1966年に結成され、世界各国に10万人以上の信者を持つと謂われるアメリカの秘密結社「悪魔教会」である。この教会は、人間のあらゆる肉体的自己を是認している。教祖のアントン・ラ・ベイは、人間は動物としての本能に忠実に生きるべきで、恨みや憎しみを晴らしたい人間が居れば、呪いをかけて殺すのは自然なことだと言っている。

そして、彼は入会者に、「あらゆる悪事を徹底的に行ない、法に触れない犯罪を研究し、実行すること。
いつも復讐心を燃やし、人に呪いをかけて地獄に落すこと。快楽と悪事に徹すること。
サタンこそ教会の最大の友であることを忘れない」と云った規則に従うことを約束させる。

ラ・ベイは催眠術や呪殺術を含む十三種類の黒魔術を行ない、
彼が「我らの王サタンと悪魔長官ルフェルよ。呪いの魔力を与え給え!」と唱えて、呪う相手に呪文を投げつけると、相手はまるで催眠術にかかった様に言う通りに動き出すと謂う。

そんな彼の魔術の犠牲になったのが、セックス・シンボルとして知られた女優のジェーン・マンスフィールドである。
ジェーンは最初、子供の養育権で裁判沙汰になっていた彼女の二番目の夫に呪いをかけてくれる様ラ・ベイに依頼した。
そして、この裁判に勝ったことから悪魔教会の教えを信じる様になる。
また、彼女の息子が動物園でライオンに襲われた時にもラ・ベイに助けを求め、
奇跡的に回復したことから、更に、この教団にのめり込む様になった。
ところが、そんな彼女を見て、恋人のサム・ブロディは、ラ・ベイに対する嫉妬心から「今後ジェーンに近づいたら、ペテン師だと振れ回ってやる」と脅迫した。そして、遂にラ・ベイに呪いをかけられ、自動車事故で足を骨折。それでも脅しを止めなかった。

1967年6月29日、ブロディとジェーンの乗った車はトラックに衝突し、二人は即死する。
ラ・ベイは、ジェーンに対し、ブロディに近づかない様何度も警告していたが、結果的に彼女まで死に追いやったことを後悔したと言う。それでも、この事件が切欠で悪魔教会は益々有名になり、ラ・ベイの著書もベストセラーになったと云うから世の中皮肉なものである。

(画像・ジェーン・マンスフィールド)

      

      




                                              呪い あなたの知らない不気味な世界
                                           -恨みの魔力に命を奪われた人々ー
                                                     呪いの惨劇はこうして起きた


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阿部定 愛する男の性器を持ち去った猟奇殺人犯 (1905~没年不詳)

2017-09-01 04:20:45 | Weblog

「支配欲を満たす為の殺人」

東京の神田にある畳屋の末娘として甘やかされて育った阿部定は、十代の頃には不良少女となって遊び歩いていた。
その放蕩が高じ、十五歳の時に自分から芸者の世界に飛び込んだとも、業を煮やした父親が芸者屋に売ったとも言われている。

やがて、芸者から遊郭の女に鞍替えした定は、それにも飽きて来ると郭稼業から足を洗い、妾や女給などをして遊び暮らした。
その時の遊び相手には、名古屋市の市会議員大宮五郎も居たが、
定は彼の正体を知ると、度々金の無心をする様になったと云う。
だが、真面目に生きる様彼に諭された定は、三十と云う年のことも考えたのか、1936(昭和11)年2月、東京都の中野区にある割烹吉田屋の住み込み女中となる。
そこの主人は石田吉蔵と云う四十二歳の男で、惚れ惚れする様な粋人だった。もちろん彼は妻帯者だったが、
二人が関係をもつのに時間はかからなかった。
そのまま家出した二人は、一か月余りの間各所を転々として情交に耽るが、二人の愛欲は次第に激しさを増し、
定は時折家に帰る吉蔵への嫉妬に気が狂って行く。
そして、相手を独占する為に死にたいと、お互いに口走る様になった。

5月18日、とうとう定は男を抱きしめるかの如くその首を紐で絞め、誰にも触らせたくないと、男の性器を刃物で切り取り、持ち去った。この時、定は初めて吉蔵を独占したのである。惨劇のあった布団には、「定吉二人きり」と血で認めてあったと云う。

定は事件後に6年の懲役を受け、恩赦で出所した後はひっそりと暮らしたとも伝えられるが、
その後の足取りについての詳細は、今だ分っていない。

              

          


                                                   世界の「美女と悪女」がよくわかる本



 阿部定さん65歳の時、置手紙を残し失踪。1974年(昭和49年)浅草で匿われていたという証言を最後にその消息は以後不明となっています。「とある老人ホームで亡くなった」「京都の尼寺でなくなった」「琵琶湖畔で老衰のために亡くなった」と諸説ありますが真相は不明だそうです。


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