Mayumiの日々綴る暮らしと歴史の話

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★怨霊から都を守った陰陽師・安倍晴明

2017-09-10 04:11:37 | Weblog

平安京と云えば、優雅で風情のある都と云うイメージが強い。
ところが、記録によれば、何ともオドロオドロしい一面があったらしい。
何しろ夜ともなれば、鬼が行列を作って歩き、怨霊が飛び交っていたと謂うのだ。
そんな恐ろしい都の平和の為に活躍したのが、陰陽道を司る陰陽師の安倍晴明(921~1005年)だ。
陰陽道とは、古代中国の陰陽五行説に基づいて、天文・暦数・卜筮・相地などを扱う術。

元々は大宝令に規定があり、陰陽寮を中心に成立したが、平安時代になると摂関家と結びついて呪術的な要素を益々強めた。
そして、平安中期以降は賀茂氏と安倍氏が官職を独占し、その支配を確立したのだ。
その中でも、安倍晴明の活躍ぶりは群を抜いている。
先ず、最も凶悪だと謂われていた大江山の酒呑童子の力を封じ込めることに成功した。
酒呑童子は公卿や殿上人の姫君などを次々にさらい、人々を恐怖に陥れた。
だが、晴明は呪術を駆使して、式神・護法と云う鬼神を使役し、京の都を守護した。
その為、酒呑童子は、以前の様な悪事が働けなくなったと謂われている。
また、晴明は病気の治療にも能力を発揮したらしい。
ある貴族の妻が難産で苦しんでいる時、晴明は同じ陰陽師の賀茂光栄と共に、解除を行なった。
解除とは穢れを祓い清めること。
当時は、お産が上手く行かないのは、物の怪などの祟りの仕業だと考えられていて、それを除こうとしたのだ。
すると、間もなくお産は順調に進む様になり、その妻は無事に女の子を出産したと謂う。

こうした縦横無尽の活躍が評価され、晴明は花山、一条天皇から厚い信頼を得る様になる。
一条天皇が病気になった時には占いを行ったり、皇太后が病気になった時には祭りを行なったりして、治癒に貢献したと謂われる。

都には、人間の悲劇や怨みがたくさん存在する。
そして、それに関わった人々は、祟りや怨霊を酷く恐れる様になる。
平安京に鬼や怨霊がたくさん現れたのも、そうした人々の心理に基づくものだったのだろう。




画像・安倍晴明は意図的に駿河の地を選んで住んだと謂う
   また、晴明の母親は白狐だと謂われている

   

         


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