Mayumiの日々綴る暮らしと歴史の話

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★名僧祐天が 悪霊祓い師 になった理由

2017-09-18 08:14:49 | Weblog

五代将軍徳川綱吉と云えば、「生類憐みの令」でお馴染みだが、生母桂昌院に頭が上がらなかったことでも有名だった。
仏教を熱心に信仰する桂昌院の強い要請で、1681(延宝元)年には現在の東京都文京区に護国寺を建立したほどである。
そんな親子から生き仏として尊敬された僧がいる。
1711(正徳元)年に芝の増上寺三十六世住職に抜擢された祐天(1637~1718年)だ。
祐天は、増上寺の檀通のもとで修行し、その後、諸国を巡って仏教の布教に努めた。
1699(元禄十二)年に江戸伝通院の住持に就任した。
そして、綱吉親子のお声がかりで、浄土宗の最高機関増上寺の住職にまで昇りつめた。

この祐天は「江戸の悪霊祓い師」とも呼ばれている。何故なら、怪談の中で悪霊を祓う役を演じているからだ。
土佐浄瑠璃や歌舞伎でお馴染みの『怪談累(かさね)の原』は、殺された妻が少女の体を借りて現れると云う物語。
与右衛門と云う男の娘菊が、ある日突然、口から泡を吹いて倒れ、「我は菊にあらず。汝が妻の累なり」と与右衛門に向かって喚き立てた。聞けば、与右衛門は前妻累を殺して鬼怒川に投げ込み、素知らぬ顔をして後妻を貰ったと謂う。だが、後妻は累の怨念によって殺され、その後も与右衛門が後妻を迎える度に同じことが起きた。結局、6人の後妻が累の怨念に取り殺されたのだった。
菊に乗り移った前妻の怨念はどんな祈祷師がお祓いをしても出て行かない。
そこで当時、飯沼弘経寺にいた祐天が呼ばれ、悪霊に巧妙な誘導尋問を行なって除霊を成功させた。
このことから祐天は悪霊祓い師と呼ばれる様になったのである。

     

     




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