Mayumiの日々綴る暮らしと歴史の話

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シャルロット・コルデー 断頭台に消えた正義の女暗殺者(1768~1793)

2017-09-05 04:19:34 | Weblog

「革命の指導者マラーを殺害」
フランスのノルマンディー地方にあるリニュリー村に生まれたシャルロット・コルデーは、
後にカーンと云う町に住んでいたことから、「カーンの処女」とも呼ばれていた。

シャルロットが二十代になった頃、フランスは革命の嵐に巻き込まれていた。
勉強家だった彼女は、革命の理想に燃え、国民公会の主導権を握っていたジロンド派に共鳴して行く。
だが当時のフランスは、革命が高じて残虐行為が日常茶飯事に発生しており、流血の惨事が繰り返されていた。
そして、その先頭に立っていたのが、恐怖政治を敷いた過激な扇動者ジャン・ポール・マラーだった。
マラーは医学書や思想書も出版した医者で、革命勃発後には新聞「人民の友」を発行し、その過激な内容で市民の関心を集めていた。だが、彼は非常に残忍な男としても知られ、虐殺行為を繰り返し、革命時の流血は止まるところを知らなかったと云う。

二十五歳になり、益々革命への情熱に燃えていたシャルロットは、順発する惨事を見るに見かねて、平和を取り戻す為にはマラーを殺すしかないと思い詰め、パリへと向かった。
そして、1793年7月13日、首尾よくマラーの家に侵入したシャルロットは、入浴中の彼の胸に短刀を突き刺した。
その場で直ぐに逮捕された彼女は、その四日後には革命広場(現在のコンコルド広場)において、ギロチンの上に立たされた。

シャルロットは革命裁判で尋問された際、「10万人の人々を救う為に、1人の人を殺しました」と、悪びれることなく言い放ったという。

            

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