中国三国時代、蜀の劉備に仕えた丞相諸葛亮(孔明、181~234年)は、優れた戦略家として知られる。
孔明は234年8月、五丈原で魏の司馬懿(仲達、179~251年)と戦っているうちに病死したが、
その時、仲達は次の様な情景を見た。
赤い芒角(かど)のある星が、東北から西南へと流れ飛んで蜀の陣営に落ちて行く。
二回までは落ちてからも空中に戻ったが、三度目には遂に地に落ちた。
占星術では、流れ星が落ちるのは敗戦の兆候を表わす。
仲達はこれを孔明の敗戦の前兆と見て蜀軍の後方に奇襲をかけたが、この時はまだ孔明の死は伝えられていなかった。
陣営に火を着けて蜀軍が突然撤退を始めたので、付近の住民たちは何かが起こったことを魏軍に知らせに来る。
仲達は迫撃を開始したが、蜀軍一行の最後にいた楊儀が鼓を鳴らして防ぎ止め様としたので、「切羽詰った敵を追い詰めては却って危ない」と仲達は迫撃を一旦中止した。
数日後、孔明の陣営跡を見た仲達は、そこに軍事に関する機密書類や作戦書、軍糧などがそのままになっているのを見て初めて孔明の死を知り、「孔明は天下の奇才だ」と言ったと謂う。
まだ孔明が生きているのかも知れないと言う部下の辛毗に、「軍人が一番大切にするべき、謂わば内臓にあたるこれらの物を捨てて行くなんて、生きているとは考えられない」と言い放った。
これを見ていた住民が、仲達の弱腰な様子を目にして言った言葉が「死せる孔明、生ける仲達を走らす」である。
これは唐の太宗の648年に完成された晋王朝一代の歴史を扱う『晋書・宣帝紀』によるものだ。
また、孔明の遺体は遺言によって、218年から219年にかけて蜀の大将黄忠が魏の夏侯淵を破った定軍山に葬られた。
孔明が望んだのは、塚を築くこともない質素な埋葬だったと謂う。
(画像・司馬懿仲達「歴史人 完全保存版 三国志の真実」より)
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