オフィスシオン名古屋 葬儀屋さんのたそがれ日記(2STAGE)

モモクロ狂のS。大和撫子のY。その他30名ほどのスタッフが日々の出来事で感じた事を書きおろしています(*^_^*)

暫しのお別れ

2011年03月29日 06時49分32秒 | オフィスシオン名古屋
出棺直前の所謂最後のお別れは大変辛い

ものが有ります。


今まで慣れ親しんできた最愛の人のお顔を

もう見る事が出来なくなってしまいます。


この場に及んで葬儀担当者として、言葉の

無力さをつくずく感じる時が有ります。


何を申し上げても感情の昂ぶりを和らげる

ことはできません。


むしろ言葉は必要がないのかも知れません。


辛く切ないこのひと時を、どのようにしたら

緩和できるのだろうと、いろいろ試行錯誤して

います。

今私は葬儀担当者として、皆さんにあえてお話し

するとすれば、・・・・・


「死は誰しも免れる事の出来ないものです。

ここにご参列の皆様も、やがてその時は

必ずやってきます。


またの再会の時まで、暫しのお別れなのです。」


このようにお話をさせて頂くと少し納得されるのか

安堵の表情をお見せになるような気がします。


私自身今年亡くなった父との再会を楽しみに

生きています。


葬儀直前に父と交わした約束を、現世で果たせるよう

そしてやがて訪れるであろう自分の死を迎えるまで

精一杯生きてみようと思っています。


生前の父と話残したことを、また語らう事が出来ると

思えばまた死も楽しからずやという気持ちでいます。









素直

2011年03月27日 06時46分20秒 | オフィスシオン名古屋
葬儀について詳しくご存じの方は、ほとんど

おみえではないでしょう。


ご自分の経験の中から、想像する以外に

知るすべは有りません。


当事者の方ですら初めての経験の方が

大半のはずで、あっという間に終わって

しまったという印象をお持ちでしょう。


総てが葬儀担当者任せで、親族様との調整や

お寺様への連絡、そして火葬許可証の交付等

めまぐるしさの中で時間だけが過ぎ去って

行った事でしょう。


看病中の不安な思い、臨終のときの激しい感情の

高まり、そして何よりも故人様への思い等

どこまで葬儀に反映された事でしょう。


恐らく何もなかったのではないでしょうか。


そうした思いをされた方は、またこのような葬儀を

希望されるのでしょうか。


オフィスシオン名古屋では、まず「素直」に故人様に

対する思いを語って頂くようにしています。


たとえ上手くお話が出来なくとも結構です。


会話の中に必ず、故人様への願いや思いは、

伝わるものなのです。


繰り返しになりますが、葬儀に見栄や虚飾や、恥じらいは

必要ありません。


大切なのは「素直」にご自分のお気持ちをお伝え

いただく事です。


そのお気持ちを最大限表現させて頂く事が、プロとしての

仕事です。




救い

2011年03月26日 06時33分35秒 | オフィスシオン名古屋
救う。

救われる。



人は亡くなるとどうなるのだろう。

この命題から永遠に逃れることはできない。


亡くなった人はどのようにすれば救われるのだろう。

また残された者たちは、悲しみの呪縛から救われるの

だろうか。


太古の昔から現代まで延々と結論の出ない問題を

解き明かそううと努力している。


残された者たちにとって、死者の偉大さは、形となって

ピラミッドや陵墓となって数千年の時を刻んでいる。


また鎮魂の営みは、死に追いやった者たちの怖れの

中から生まれたのであろう。


菅原道真や平将門のように畏敬の念と同時に

追いやった自分達の安寧を願い、陰陽師という人々

まで輩出する事になった。


プリミティブな世界には必ず死にまつわる

さまざまな伝承が今日まで脈々と受け継がれている。


現代ではこの古代から継承されてきた多くの

事柄が一気に大変革を見せ、宗教ですら見方を

根底から覆そうとしている。


葬儀に係わる多くの人々の中にあって、歴史と

このリアルタイムの現状を理解しなければ、まさに

歴史から抹殺されてしまうだろう。



そしてパワーとコンビニエンスだけの提案はすでに

氷河期の恐竜のごとく姿を永遠に消す事になるだろう。


葬儀は今「原点」に立ち戻ろうとしているのでは

ないだろうか。


日は東から昇りやがて西に没する。

日常と悠久の流れの狭間にあって、唯一残るものは死者に

対する「思い」と「救われたい」と思うこころだけだ

と思う。


オフィスシオン名古屋は、この願いこそが総てであり、

そしてその願いを叶えてられてこそ、初めて存在理由が

明確になると考えています。



付加価値Ⅲ

2011年03月24日 06時29分03秒 | オフィスシオン名古屋
「死」を考える事は、「生」を考える事。


今生きる事の大切さを知ることは、人の「死」から

学ぶことができる。

故人の人間性や家族との絆の深さが、葬儀の

形を決める。

しかし葬儀の規模や会葬人数とは正比例しない。

どのような葬儀が望ましいのか、その答えは

有りません。


送る、送られる関係の狭間にあって、互いに

癒され、励まされ、そして明日に繋がっていく、

そんな「きっかけ」になれば最高の葬儀と言って

良いと思います。


「死」は悲しいもの。

「生」は楽しくも有り、辛く、苦しくもある

ものです。

そして「死」はおそわるもの。


この事をしっかりと自覚できるような葬儀内容が

「付加価値」というべきものなのでしょう。

それは人から人へ伝わるものであり、

言葉だけではなく五感に訴え、感じとって

もらうものでも有るのです。


オフィスシオン名古屋ではこの「付加価値」を

ノウハウと呼んでいます。


付加価値Ⅱ

2011年03月23日 06時59分50秒 | オフィスシオン名古屋
家族葬の付加価値とは・・・・

今まであまり具体的に記述した事は有りません。


理由は簡単です。

各社競争が激化している中にあって、具体的に

内容を明記する事によって、企業機密が外部に

漏れてしまう事を恐れていた事が上げられます。


しかし最近気が付いたのですが、外部に漏れ、

内容を「真似」をされた結果、お客様を

奪われたとしても、簡単に「真似」をされる

ようなものを「付加価値」と呼んでいいの

だろうかと・・・・

やはりその会社のコンセプトのもとに、社内風土や

長年培ってきた企業努力が有ってこそ、独自固有の

「付加価値」が生まれるのではないでしょうか。


その根本は人です。

そして人間性です。


葬儀担当者の家族葬に対する情熱と、葬家様への

優しさと思いやりだと思います。

そこから生まれるものが「付加価値」となって

発芽育成され、やがて大輪となって輝きを見せる

のです。

すなわち大輪とは顧客満足でありその指標が

顧客満足度として評価の対象となるのです。


オフィスシオン名古屋では、人間の「死」を

忌み嫌うものではなく、人間として避けて通れない

普遍的なものとしてとらえ、「死」と「生」を

相対的に考えられるような企業を目指しています。


「死」を考える事は、「生」を考えることであり

今ある事の大切さを葬儀の中に見出して頂けるような

そんな人間集団でありたいと考えています。







付加価値

2011年03月22日 06時35分31秒 | オフィスシオン名古屋
家族葬・直葬の寡占化はますます進み、

関東・関西の首都圏では、全体の

80パーセントを上回る勢いです。


数字上では葬儀10件に8件は家族葬

直葬で執り行われているという事です。


名古屋地区でもこの傾向は一層進む

ものと考えられます。


大手葬儀社ではこの影響を受け、従来の

葬儀価格を引き下げ、売上げ確保に、

懸命になっているようです。


しかし今後の予測として、寡占化状況は

さらに進むものと思われ、家族葬・直葬の

波は一気に現状の葬儀形態を変えてしまう

パワーを持つことになるでしょう。


従って大手葬儀社はさらに大幅なコストダウンを

余儀なくされ、その結果葬儀の質的レベルが、

懸念されるところです。


オフィスシオン名古屋では家族葬専門葬儀社

としてのコンセプトのもと、コストパフォーマンス

以外にも家族葬の「付加価値」を求め続けています。


家族葬とは家族や親族だけによる葬儀という

認識はもう過去の産物という考え方を

持っています。


家族葬ならでは、あるいは家族葬にしか、

できないような「付加価値」を探求しています。

旅行

2011年03月20日 06時22分28秒 | オフィスシオン名古屋
親しい人と旅行の話をしていると

ここ3年間プライベートで旅行を

していない事に気が付きました。


この仕事はなかなか時間に余裕が

持てなく、気を休める事が出来ぬくい

職業です。


少し最近ではストレスもたまっている

ような自覚症状すら出始めていました。


私はある意味、スイッチの切り替えが

下手くそなのかも知れません。


でもこの春から少し環境が変わりそうです。


やはり24時間365日スクランブル態勢を

自分なりに調整してきましたが、なかなか

マインド・コントロールが難しく、軽い

鬱状況になりそうでした。


今年は桜の花咲く頃、休日に京都や奈良など

訪ねてみたいと思っています。


生活に少しめりはりを付け、頑張って

仕事に励みたいと思います。




一般化

2011年03月19日 06時31分35秒 | オフィスシオン名古屋
現在でも家族葬に対する認識は

イレギュラーな葬儀だとする

考え方が多くみられます。


しかしここ半年の間に多くの

マスコミに取り上げられ、

ドキュメンタリーとして報道

されたりした結果、かなりの方が

家族葬に対する認識に変化が

現れるようになりました。


つまりイレギュラーと言うイメージが

薄れ、本来あるべき葬儀形式であるの

ではないかと思われるようになりました。


その状況を踏まえ中小の多くの企業が

家族葬や直葬を取り組むようになり、

新しく商品アイテムとして開発が

進みました。


新聞を始め多くの広告媒体を利用して

消費を促しています。

また小さな家族葬用の葬儀会館も

一段と増加の傾向を見せ、野立て看板

なども多く目にするようになりました。


そして予想どうり価格競争が始まり

いよいよ葬儀業界の下剋上の幕が

上げられようとしています。


単価下落ため総売り上げのマイナスを

補うために低単価な家族葬を高回転

させるような政策をとるようになった

のです。

今後ますますこのような傾向は助長され

家族葬や直葬の寡占化が進むようになる

半面、葬儀内容の質の低下が問われる

ようになるでしょう。


オフィスシオン名古屋では、単価とは

関係なく葬儀内容のレベルアップを

図るとともに、付加価値の創造を

心がけ、低単価高レベルな葬儀提案を

させて頂いています。






フェイルセーフ

2011年03月16日 06時23分36秒 | オフィスシオン名古屋
今回の福島の原子力発電所の事故を

見ていると、かつて御巣鷹山に日航機が

迷走のはてに墜落した事故を思い出し

ました。

当時流行語にもなった「ダッチロール」と

「フェイルセーフ」という言葉です。


原発への対応は「ダッチロール」であり

そして安全性はまさに「フェイルセーフ」と

言う訳です。


私の記憶に間違いがなければ、リスク、

とりわけエマージェンシーには2重3重の

保全性が必要で有り、そうでなければ

安全を最優先に考え、建設するべきでは

ないと思います。

一部報道では1000年に一度というような

表現をしているようですが、自然災害は

ともかく人為災害の場合は、たとえ1000年に

一度の確率で有ったとしても憂慮する必要は

有るのではないでしょうか。


今回の原発事故が無事終息する事を切に

願っていますが、今後の政府、東電の対応に

注視したいと思います。


我が家の歴史

2011年03月15日 06時26分16秒 | オフィスシオン名古屋
私は祖父や祖母の事は殆んど

知りません。

それは私が生まれる前に二人とも

亡くなってしまったからです。

私の知る祖父祖母は、父が話してくれた

想像の世界でしか存在しません。

まして曾祖父の世界は全くと言って

よいほど分かりません。

父の生前中には我が家の家系について

話す機会が有りましたが、今では

私の記憶の中だけにとどまっています。


恐らく父にか知りえない、多くの話が

有った事でしょう。

父から得た「我が家の歴史」については

子供にできるだけ正確に、また多く伝承して

いくべきだと思っていますが、残念ながら

あまり興味がないようです。

きっと年齢がそうさせているのでしょう。


我が家の分からないことを、いつも聞いてきた

父はもういません。

いつでも聞く事ができると甘えてきた事が

残念でなりません。

私の記憶が定かなうちに書き留めておく必要が

有るのかも知れません。


戦争の話

2011年03月14日 06時23分46秒 | オフィスシオン名古屋
戦争体験者、とりわけ国外に出兵された

経験のある人は戦争の話をよくされます。

私の父もその中の一人です。

私が幼い頃より食事の時は決まってその

話です。

また何かにつけ暇なときは、決まって

戦争体験談です。

幾度となく繰り返し繰り返し同じ話を

するため家族はいつもブーイングです。

ストーリーも結果もすでに暗記するほど

聞かされているため、私の子供たちも

「おじいちゃん、その話もう1000回

ぐらい聞いた」と窘められる始末です。


1年に1~2度戦友会が有るらしく、時々

嬉しそうに出かけていました。

恐らくその場では同じ話を、何の気兼ねも

無くお互いに話したのでしょう。

たとえ結果の分かっている話でも当時の

過酷さや悲惨さを共有した者同士にして

みれば、生死を分かち合った時の話に

終わりはないのでしょう。


死の直前、病院のベットで父と二人

戦争の話を聞く事になりました。

どちらからともなく話し始めたのですが、

私にはこれが最後の話になるのかも

知れないという予感が有り、不思議な

緊張感と激しい侘びしさを感じる事に

なりました。


今思えば戦争の話もそうですが、それ以外にも

もっといろいろな話をするべきだったと

後悔しています。


結局その時ベットで聞いた話が最後に

なってしまいましたが、父も私が「聞く耳」を

持って接した事が嬉しかったのか、本当に

楽しそうでした。


たとえ今までに一万回聞いたかもしれませんが

もう一度聞いてみたいと思うのは

どういう訳でしょう。


巨大地震

2011年03月13日 06時52分49秒 | オフィスシオン名古屋
東北・関東大震災に被災されました

皆様方に心よりお見舞い申し上げます。



誰しも予想していながらも、想像を

はるかに超える巨大地震の到来に今更

ながら驚きを隠しきれません。


ご家族やご親族様を亡くされました

方々におかれましは重ねてお悔み申し

上げます。


ここしばらく前より度重ねて地震が

発生しており、大きな揺れが収まった

後の大津波に多少の油断が有ったのかも

知れません。

揺れによる家屋の倒壊や火災による

被害よりも津波による被災が圧倒的に

大きいような気がいたします。


今後さらに調査が進む事によって

地震の大きな爪痕が明らかになって

行くことと思いますが、東南海

東海沖地震の事を考えると、決して

他人ごとでは有りません。


二度とこのような跌を踏まないためにも

巨大地震に対する備えをしなければ

なりません。

末尾ながら被災されました地域の皆様の

一刻も早い復旧を衷心よりお祈り申し

上げます。

戒め

2011年03月12日 06時33分06秒 | オフィスシオン名古屋
時間の経過は良くも悪くも、様々な事を

忘れさせます。


忘れてはいけない事までも、時として

その対象となります。


故人を偲ぶとは、あたかもこのような事を

戒めるためにあるような気がします。


私のいえの仏壇には、私が生まれる前に

亡くなった祖父が書き残したノートが

入っています。

「亡くなった人の事や命日は決して

忘れてはならないと・・・。」


一度もあった事のない祖父の人柄が僅か

ながら伝わってくるような気がします。


故人を偲ぶ事や、記憶に留めておく事の

大切さを言いたかったのでしょう。


しかし同時に自分自信がいかに生きるべきか

問いかけているような気がします。


そして常におのれを律して、祖先を敬い

感謝の気持ちを持ち続けるような人となれと

言っています。


見上げれば祖父の遺影が私を見降ろしていました。



グローバル化

2011年03月11日 06時37分29秒 | オフィスシオン名古屋
決められた事を決められたとうりやる。

簡単そうに見えて、実はとても難しい事

なのです。

葬儀の世界も同様、従来から決められた

内容にもとづいて受注し、決められた

スケジュールどうり施行する。

ケースバイケースという状況もあるものの

ほとんどがこのパターンの繰り返しです。


この繰り返しを誰一人疑うことなく、

積み重ねてきた結果、暗黙のうちに

ルールが自然発生的に生まれ、そつなく

間違いなく、約束どうり施行する事が

最も重要であるとの認識が生まれて

きました。

しかしこの認識はあくまでも葬儀社の

認識であり、消費者にとって最善の

方法かと言えば決してそうではない

ような気がします。

限られた範疇の中で、選択肢を制限され

そのなかで、一方的な組み立てを受動的に

受け、その完成度だけで顧客満足度を推し

量るなど時代錯誤としか言いようが有りません。

そのなかでこれからの葬儀は、単純な完成度

ではなく、顧客満足度が基準になってきます。

知らない世界のルールがマスコミやあらゆる

メディアによってあからさまに報道される事に

よって、葬儀への認識が大きく変化しました。


オフィスシオン名古屋ではお客様目線に立って

まずご葬儀の内容提案からご理解を得ることを

基本とし、既存型葬儀の遂行度よりも、お客様の

求める葬儀への提案力を重視していく考えです。




庭木

2011年03月09日 06時13分38秒 | オフィスシオン名古屋
さぞかしお庭いじりが御好きだったのでしょう。

今どきのガーデニングと言う表現はあまり

当てはまらないような、和式のお庭です。

隅々まで手が入り、故人様の性格が如実に

現れています。

恐らく自慢のお庭であったのに違い

ありません。

残念ながらこの先「管理人」を失った、お庭は

この先どのようになってしまうのだろうかと

少し心配です。

葬家様にとっては、お節介と言われかねない

お話ですが、生前とお亡くなりになった後の

違いが一番大きく現れるところではないで

しょうか。

きっと私よりも誰よりも、その事をご存じ

なのは喪主様だと思います。

単にお金を出して庭師をあてがうという

お話では有りません。

きっとプロの手が入れば、まとまりは良く

なるとは思いますが、故人様の面影は

逆に薄らいでしまう事になるはずです。


故人様が係わっていた総ての事に、思い出が

漂い、辛い余韻がしばらく続きます。