今の人民は、人を恐れて神を畏れず。
天地の神の恵みを、貪り奪い合い、人に勝らむ為に争いを繰り返しておるぞよ。
人間だけの栄えを願いた今の文明は、この地球を汚し穢し、段々と動植物も犯されて滅びゆくもの増えておるぞよ。
その様を目の当たりに見ながら、改める事をせず、我が我がの戦争絶え間無く殺し合いを続けておる事、真に愚かな事である事に何故氣づかぬのか。
先の第二次世界大戦で世界中の多勢の人民が犠牲となり、この日本の国は世界に先駆けて広島長崎と原爆を投下され、そのむごたらしい惨状を世界に見せつけて、もう二度と戦争はしてはならぬ、特に核戦争を起こせば世界は滅亡するぞよと、菊理比売の神、先頭に立ち大警告を発したなれど、人類の利己主義(われよし)強い者勝ちの精神は改まらず、神は全てを見て、原因結果の裁きをいたす畏ろしさも打ち忘れ、恵みへの感謝も薄れ、只の利益信仰になりてしまいたぞよ。
先の大戦の大禊の後も、朝鮮動乱、ベトナム戦争、今も続く中東の紛争、ミャンマーやアフガニスタンの事、この度のロシアのウクライナ侵攻、人類は進歩するどころか、益々悪賢くなりて、争いを繰り返し自ら滅亡を早めておる事に早く氣づかねば、国常立大神が稚姫君命の神霊を受けし、出口直刀自の手を借りて示した、お筆先の如く、世界人類三分一となる如き事も起こりて来るぞよ。
良く良く見てみなされ、ロシアのウクライナへの侵攻は、罪無き人民を多勢犠牲にして許されぬ事であるが、アメリカやヨーロッパの諸国は、ウクライナへの武器弾薬を与援(しえん)してロシアに対抗させておる様は、如何にも美しき事に見えるが、目ざわりになるロシアの力を弱らせる為、ウクライナに代理戦争をさせておる如きであり、ウクライナへの武器弾薬の与援や日本を含めて世界中からの経済制裁は、すでに世界の大戦争が始まっておるとも申せるぞよ。
北朝鮮も、どんどんミサイルを打ち上げて、アメリカに対抗し、ロシアを応援しておる如き様を見せ、静かにしておる中国はロシアの弱るのを待って我が方へ引き寄せようといたして居るぞよ。
赤き辰と赤き鬼の始めからの世界を我等の自在にせんとする策謀に翻弄されておる世界の様。
それぞれ我が身の都合通りにいたさむと策謀いたしておれども、そうはまいらぬ世界であるぞ。
押さえつける程、反抗反発いたすぞよ。
この収拾のつかぬ様を如何に解決いたすか。
神界も苦心いたすところであるぞ。
太陽の強烈なる光も一片の雲で遮られる如く、強き神氣も人民の利己主義(われよし)の思凝にて封じられてしまうのじゃぞ。
皆が素直となり、足らざるは、補い助け合いてゆけば、世界はもっともっと楽しく素晴らしくなるのであるが、それが出来ぬ、人間の自我や欲の思凝、人を恐れて信じ切れず、我が勝らんと争いを起こすのじゃ。
武力で威嚇、攻撃し相手を負かしても、真に安心な平和の世とはならず。
又争いが起こるぞよ。
争いは争いを生み、止まる事は無いぞよと厳しく警句いたすのが、この度のロシアウクライナの戦争であるのじゃぞ。
神は善も悪も使いて、人民の我良しを改心させ、何としても、人民を守りて、その末、神人和楽の世を開きたい念願に変わりはないぞよ。
欧米諸国もウクライナへの武器の与援や経済の制裁だけでは、ロシアも益々反発するばかりで治らぬ事を考えて、真剣になってロシアとの対話の道を開く事に努力せねばならぬぞよ。
武力や経済制裁くらいでは、赤き辰は鎮まらぬぞよ。
アメリカも日本もその他の国々も過去に犯した自国の罪科を反省し、真実の言霊の力で対話し平和の道を開かねば、金力武力で、制裁を加え押さえつけるだけでは、犠牲が増えるばかりであるぞよ。
重ねて申しておく事は、日本の国は、過去、世界相手に大戦争をいたし、その報いに大きな犠牲を受け、原爆まで落とされた試練は、世界平和の要とならねばならぬ神命の国である故であるぞ。
その国が今の世界の流れを見て他の国と同じように、核兵器を持ち、軍隊を待たねばならぬと、先の大戦の苦渋を忘れた考えでは、それこそ日本滅亡の道であるぞよ。
たとえ、外国から攻められても、日本は不戦の誓いを守り、最後迄、平和の道を守り通したと言う誇りを残さねばならぬのじゃぞ。
その覚悟が出来たなら龍宮乙姫、この国をぐるりと囲み、海山河野の八百万の神々総出で、この日本の国を守りて世界平和の要となる神命を果たせてまいるぞよ。
但馬が神鍋山より出し、金勝要神、平和の要の道と門を守るぞよ。
未だ未だ荒れる世界であれど、荒事は新事の道を開く為に起こる事を覚り、荒事に振り回されて道に迷う事無く、苦渋の節に突き当たりた時も、それであきらめず、それを機に一ふんばり、一歩進みて、生き通す勇気の奮い起こすのであるぞ。
時の流れは神の図りであるぞ。
荒れる世界は未だ未だ序の口と思えば良いぞ。
中途半端の平安では人民の改心出来ず、又争い起こすぞよ。
さあ、どんな事も受けて立つ覚悟じゃぞ。
神を畏れ、崇(うやま)い祭り、人は共に助け合い神人和楽万物共存共生の三六九の世を開くのであるぞ。
その為の浄化試練の世界の荒事であるぞよ。
言霊神也 ン。
令和四年五月九日
天橋道士 龍華斎 修聖拝写