玄徳道

道を語るブログです。

龍宮水火土(しほつち)伝授 日の出世開きΘ三六九神示5

2017-06-19 04:42:38 | 神示道
新しき年の始めも穏やかな、平成二十五年の幕開けであり、日本の国も新しき政権に替わりて国民は景気もよくなるであろうと期待いたして居るが、真の改革は一つも出来ておらず、難問山積みのままの出発であり、これ迄通りの経済の発展のみに力を入れた施策であるぞよ。一時は、景気も良くなるかと見れども、先は借金を重ねるばかりで国も行き詰まりてしまうぞよ。未だ未だ今の世界は、宗教思想人間の利己主義(われよし)の念の凝りた、思凝霊(しこりがみ)が、金力武力で権力を得て世界を自在にいたさんとする世の中であり、日本の国もその流れに翻弄されて、国の頭(かしら)も国民も真の姿を失いておるぞよ。思凝霊の荒振りに、天地の元からの神理(かみ)は、真の力を発揮する事が出来んぞよ。何とかして、清き安全な世を開かんと、立ち上げりた者等も、思凝神の策謀によりて、出る杭は、打たれ足をひっぱられ、押さへつけられておるぞよ。神は残念なぞよ。時節まいりたら、必ず世の改革をいたす身魂の者を引き上げるぞよ。今のまま危ない道を歩むなら、その末は、食う物も無く、金を枕に飢え死にせねばならんような事になるから、神は氣をもむぞよ。真の改心無ければ、善き世は物金だけでは開けんぞよ。真の改心精神の改めは、現の世の始めの事から良く良く、顧りみて、神の理にてらさねば、今今の目先の利害損得に目をうばわれて、おるような事では、益々道に迷うばかりであるぞよ。大昔は、天地の恵みを分けあいて、皆で助けあいて暮らしておりたのであるが、人間も次第に知恵がつき、強い者勝ちの世となり、今の世は、地獄の沙汰も、金次第と金が無ければ暮らせぬ、金が無ければ、何も出来ぬ世になりてしまいたから、人民が金を求めるのも、やむえぬ、今の世の仕組みであるぞよ。それ故、経済の発展を国の頭(かしら)も人民も望むのであるが、只、経済の発展のみに走る道は、天地を汚し穢し地球の資源を使いはたし、国と国との戦争も止まず、末は核によりて人類が亡びねばならん事となるのであるぞ。物質文明は華と栄えど、核兵器や原爆や、何時人類が滅亡としてもおかしくない恐ろしき物をかかえての今の文明である事をしかと考えねば、何千年の人類の努力も水の泡となりてしまうぞよ。何事も無ければ良いが、未だ未だ、地球の修理固成(つくりかため)は続くのであり、大地の上り下りする地震も噴火も津波も雷もあるぞよ。そんな事になりては、想定外では済まされんぞよ。まず先に、危なき物は始末いたさねばならんぞよ。核を如何にあつかうか人知弥益し思い上がりた人類が残るか亡びるかの大なる神の試練であるぞよ。神の道は生命の道…生命よりも物金大事となれば、人類は神の道を外れ亡びの淵に、さ迷うぞよ。教育も大いに改めねばならんぞよ。立身出世の為の理のみ学ぶ道であってはならんぞよ。それぞれの御魂の特技特性を開発する教育にいたさねばならんぞよ。八百万の神より神霊(みたま)を分けて授けられた人民じゃ、その御魂の特性が発揮出来るようになりたら自ずから、世も治まり、運不運の無き世のなるが、その指導の出来る者も無く、是はむずかしい事ではあるが、それぞれ心に止めておけば、時がまいれば、その役目の者を現すぞよ。是を為さねば、金の力で腑ぬけの者が権力や地位名誉を得られるような、思凝霊(しこりがみ)のやり方では、益々世は乱れるばかりであるぞよ。慈悲も情けも無いものが、金の力と口先で、のし上がり国の政治をいたしても決して善き世とはならんぞよ。人の上に立つには、まず御魂がふさう者で無ければならん。親の血筋や金力では、真の使命は果たせぬぞ。慈悲仁愛の親心その徳があってこそ、人民を導く事も出来るのじゃ。世界の様も見なされよ。国々輪となり和やかに助けあえば良きものを、我が我がの固意地を付け合い、ゆずりあうと、言う事が無いから末に戦争いたさねばならんのであるぞ。戦争の恐ろしさを身にしみて、その上に原爆まで落とされた日本の国じゃ。しっかりといたさねばならんぞ。外国に振り回されて、真似ばかりいたしておりて何とするのじゃ。この年はよほど日本も性根を入れてかからぬと、甘い考へでは、世界の流れに呑み込まれて、ぬきさしならぬ事となるぞよ。日本の国は、言霊の助くる国、金力や武力より先に、強い者勝ちの世を言向け和平(やわ)して、大きな戦争を避けねばならんぞ。一人よがりや内弁慶で無く世界の流れをしかと見きわめ日本は日本の芯(真)を立ててまいらねばならぬぞ。昨年、七月から大戦(おおいくさ)と申してありたが、この年も七月から国の戦(いくさ)であるぞ。どうにもならん難問を山積みで、世界の荒波に船出の日本丸、さあその行き末は如何になる。和の道を忘れ、国民一人一人が目先の利害や利便のみに走るので無く、この国を清く安全な世界の鑑(かがみ)といたすべく、生命幸倍(いのちさきあ)う道を開きて、欲は八分とあたらしき道を踏み出さねばならんぞ。あまりにも人民の好き勝手が過ぎると二二(富士)の山とて火を吹くぞ。水氣をもちて、それを鎮めておるのが、白山の神、菊理姫(くくりひめ)であるぞ。日本人の大切な基(もとい
)の道、括(くく)り、結びの絆を忘れてはならんぞ。思凝霊(しこりがみ)の為に利己主義(われよし)となりはて、ばらばらになりておる日本人、元の道を見直さねばならぬ、この巳の年であるぞよ。

天鑑無私

言霊神也 ン

平成二十五年一月八日 天橋道士 龍華斎 修聖拝写
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする