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玄徳道

道を語るブログです。

愚かなる道

2012-07-11 21:47:12 | 考察
人の本性は、本来、優劣は無いのです。人とは根源神より派生した木の実であります。いわば、神から見たら、木の実に大小があるが如く、個性を表しているにすぎません。そして、人は内在神を掲げる生き宮でもあります。神は愛である以上、人と人同士は慈しみ合い、思いやりを持ちながら、発展していく道を大道、惟神の道と述べるのです。

素直で純粋な人ほど、人に好悪を感じずに、誰とでも仲良くなりますよね。人が幼い時は素直で純粋で、皆が友達でありました。それがいつの間にか、「俺の方が力が強い、頭が良い、私の方が奇麗」等と他人と比較する心が生まれます。まして、その子の親たちは、競争世界と云う知識を子供に埋め込み、他人に負けることは恥ずかしい事だと教えます。ここに我が子に悪の因を知らずに創る結果となるのです。その小さな悪の因果は長ずれば巨大な業となり、人々は競い合い、国々もまた、同じくし、戦争が起きるのです。戦争とは互いに殺し合う、いわば、根源神から派生した者同士が行うのであるから、お互いの神を殺し合うことになるのです。人の一念一動は三千世界に影響します。ここにおいて、人は仇を知り、他人を呪い、うけた苦しみを更なる苦しみで返し、その因果応報は治まることが無くなります。業は膨れ上がり、刧と成り、一たび潜伏する刧が吹き出れば、地球の形状を変え、多くの人を生命を死に追いやる大災刧となるのです。しかし、同じ内在神を持つ、神同士が殺し合い、呪い合うことの愚かさを悟る人は、一握りしかいません。

人の心は自分より下に居るものを見れば蔑み安心する性質があるようです。しかし、これは欲心から出たエゴです。人は赤子を見れば当然自分より下の存在であるにも拘らず、この赤子を慈しみます。これが孟子が述べた、惻隠の情であり、人の本性が善性である事を示しているのです。自分が優位であると考えることは欲望なのです。欲心で見る人は蔑み、道心で見る人は慈しむのです。

人倫の道とは秩序であり、長幼の順が出来るのは自然の慈道です。これに優劣はありません。

伊勢○山道批判、ワール○メイト批判などで半島との差別観を得意げに述べておる人達がおりますが愚かであります。その背後に牛頭魔神たらなんやら、書いておりますが、差別する己が内に悪魔が潜んでいる事を知らないのです。

上記の内要では、道院紅卍字会もその悪の流れであるように書かれていました。

道院には、至聖先天老祖が迷いの境界にある人を渡(すく)うのに三大要項を明らかにしています。

「党派に渉らず。政治を語らず。種族を分かたず。」

道院とは自己済度であり、他者救済の道であります。道を明らかにし、慈を興し、普く世界の平和の基礎を創る学府であるのです。


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