南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

母からのプレゼント

2006-03-17 20:24:27 | 故郷
母の葬儀を終えて、3月9日の飛行機であわただしくシンガポール
に戻ってきた。その翌日、会社に出社した。母が亡くなってまだ
一週間たっていない。不在中にたまっていた仕事を片付けていると
マックの専門店から電話があった。2月に注文してあった、新製品
のMacBook Proが入荷したという。2月の中頃入荷する予定だったが
製品の調整などで少し遅れた。インテルの新しいチップが入った
高速スピードのマシーンである。

2月2日の木曜日の夜、それまでメインのマシーンとして使ってい
たPowerBook G4にミネラルウォーターをこぼしてしまい、突然機能
が停止した。このブログにアップするために織田信長の絵を描こう
として、消しゴムをとろうとした際にミネラルウォーターのボトル
が倒れてしまったのだった。ひょっとしてそれは本能寺の恨みか。
私は明智光秀とは何の関係もないのに。

翌日すぐにマックの専門店に走った。プレゼンも控えているし、
パソコンがないことには、メールもブログもできない。これは大変。
同じ製品でいいからすぐに買おうと思っていた。「お客さん、それ
買うんだったら、新しいのがじきに出るんで、そっちのがいいので
は?」と囁く店員。シンガポール人なので日本語ではない。最初、
私を中国人だと思ったみたいで、中国語でなんじゃらかんじゃら説
名していたが、英語で質問すると、すぐに英語になる。そのへんの
切り替えがシンガポール人はすばやい。

結局、私は新しいiMacと新しいMacBook Proの両方とも買ってしまっ
た。どちらもインテルの新しいチップを搭載している。某PCクライ
アントの広告の企画をしていたので、1月に発表されたばかりの
インテルのチップについてはちょっとばかり知っていた。MacBook
Proがすぐに入手できるんだったら、そっちだけでよかった。しかし
早くて2月の中頃になるらしい。その間の中継ぎが必要だ。という
ことでiMacを買った。中継ぎにしてはちょっと贅沢だ。二つ合わせ
ると何十万円にもなる。こんな高額な買い物をしたのは始めてだが、
その時は躊躇せずに決めてしまった。

MacBook Proを待っている間に、母が入院し、やがて母が亡くなり、
葬儀があった。このMacBook Proは母と入れ違いにやってきた。
ひょっとして、これは母が私にプレゼントしてくれたものなのかな
という気もする。金を払ったのは自分なのだが、誰かに背中を押さ
れて、気がついたら買ってしまっていたような気がする。

今まで使っていた古いマシーンは、かなり老朽化していた。DVDの
スロットはついているのだが、ディスクドライブが使えなくなって
いた。バッテリーは10分も持たないようになっていた。キーボード
のJのキーがはがれ落ちてしまっていた。周辺部の塗装がはげ落ちて
見苦しくなっていた。使っている自分がなさけなくなるようなそん
な状況だった。

もし古いマシーンがそのまま壊れなかったら、おそらく私は我慢し
てそれを使い続けていたと思う。しかし、水をこぼしたことが、
買い替えるというきっかけを与えてくれた。それは災難であると
同時にチャンスでもあった。そのことが、母からのプレゼントと
いうふうに思えてならない。大切に使おうと思う。これを使って
いろんな仕事を生み出していきたいと思う。パソコンってなんか
打ち出の小槌みたいだなあ。使い方次第でどんどんいろんな物が
生まれてくる。これはすごいプレゼントだ。

私は母にいろいろ贈った。母の日にカーネーションの花を。カー
ディガンを。上着を。扇子を。マッサージの機械を。万歩計を。
洗濯機を。電子レンジを。湯沸かしポットを。ラジカセを。暖房
ヒーターを。手提げ鞄を。財布を。ほかにもいろいろ買ってあげ
たと思う。

母が私にプレゼントしてくれた物は品物としては思い当たらない。
しかし、私が贈った品物よりももっと大事なものを母からもらった。

まずは、私という生命をもらった。

これは生涯最高のプレゼントだと思う。いくらお金をつんでも
これを買うことは誰にもできない。金があれば何でも買えると
豪語していたホリエモンでもこれは買えない(今の彼は自由も買え
ないでいるが)。

そして、ここまで育ててくれた。病気や危険から守ってくれた。
子供の頃の思いでをくれた。夢見る力を与えてくれた。
言語能力をさずけてくれた。
数えきれないほどのいろんなものをくれた。
自分がいまあるのはそういういろんなものの集合の結果だ。

母が死んで、物理的な存在はなくなった。
しかし、母はまだ私たちの心のなかに生き続けている。
そしてブログを通して、まったく母のことを知らなかった人たち
にも母が生きていたということが伝わっていく。

母はコンピューターなど全然わからないのだが、私のブログを通
して母のネットワークがどんどん広がっていく。これは母にとっ
ては想像もできなかった事態だと思うが、なんかこれは素敵な
ことのように思う。

母の記憶が、通信ネットワークを通じて、星屑のように散らばって
いく。デジタル空間の中に漂う銀河のように、母の存在の断片が
細かくくだけて漂っていく。

これはとても素敵な供養なのかもしれない
と勝手に思ったりしている。