南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

義父の旅立ち

2010-07-27 12:44:15 | Weblog

平成22年7月22日未明、肺癌を患っていた義父が、
帰らぬ人となりました。

まだ71歳でした。22日の深夜、東京にいる妻から電話で悲報
を聞き、木曜日、香港の会社で仕事を大急ぎで片付け、23日の
香港発成田行きの飛行機で東京に戻って来ました。22日の飛行機
で帰ろうと思ったのですが、香港ビザの延長申請中で、それが取
れるのが23日の午前中だったので、ビザを受け取り、急ぎ、空港
に向かったのでした。

夜の8時過ぎの到着予定が、一時間ほど遅れ、東京の家に到着
したのは11時近くでした。6月に病院で会った時は、まだ冗談を
言って笑えるほどの元気さだったので、こんなに早く亡くなって
しまったのが信じられませんでした。その前の週に、田原の弟から
送ってもらったメロンが間に合って、日曜日には自宅で、その
メロンを美味しそうに食べていたのだそうですが、月曜日に
再入院。病状が急激に悪化して、帰らぬ人となったのでした。

東京は連日の炎天下。7月24日夕刻から通夜。翌25日に葬儀・
告別式。初七日の法要。数々の儀式がめまぐるしく過ぎていき
ました。

東京下町で材木屋を営み、お祭りが大好きで、総代でもあった
義父は、地元のお祭り関係の方々を始め大勢の皆さんに見送って
いただきました。また出棺の際には、由緒正しき木遣りで送って
いただきました。義父らしい、大変立派で、粋なお葬式でした。
ご参列いただきました皆様、またおお世話いただきました皆様
には心より御礼申し上げます。大変ありがとうございました。

妻との結婚の承諾を得るために、初めて挨拶に来たのがほんの
数年前の出来事。この町には新参者の自分を暖かく受け入れて
くれたことに感謝しています。日本にはたまにしか帰ってこら
れないので、一年のうちに数日しか会えなかったのですが、
きっともっと、うちとけて話しがしたかったんだろうな、きっと
もっと一緒に飲みたかったんだろうなと思うと、後悔の気持ち
でいっぱいです。もっと親孝行できなかったことが悔やまれます。

おとうさん、妻のことは私が守りますので、どうぞ、安らかに
お眠りください。

というわけでしばらくブログが更新できませんでした。
アクセスしていただいた方も、私はどうなってしまったのか
とご心配されたかもしれません。

今後は、そんなに頻繁には更新できないかもしれませんが、
よろしくお願いいたします。