南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

ゴアを再び訪れることはあるのだろうか?

2010-03-11 18:50:42 | インド
インドのゴアから香港に戻ってきて三日が経ちます。香港からはほとんど
縁のない場所ですが、ゴアは不思議な場所です。もともとはポルトガルの
大航海時代のアジアへの拠点だった港ですが、そこからポルトガル人たち
は、マラッカや、マカオ、そして日本までやってきたんですね。何年か前
ポルトガルのリスボンに行ったことがあるんですが、リスボンの港から、
アフリカの喜望峰を回って、ゴアに、そしてアジアに来て、ポルトガルの
教会や街並を作ったポルトガル人たちは本当にたいしたもんだと思います。

ゴアは、インドで一番小さな州だと言われています。ポルトガルの植民地
だったので、ポルトガル風の建物はあちこちに残っています。またポルト
ガル風でない普通の建物でもカラフルなペイントがされていたりします。

こんなピンクがあったりします。黄緑やオレンジやブルー。その色彩は
とても鮮やかです。

色鮮やかといえば、ちょうどこの時期、春の訪れを祝うホーリーのお祭
りをしていました。普通は一日だけのようですが、ここゴアでは少し長め
にやっていました。こちらが車で偶然通りかかったホーリーの一団です。

鮮やかな色の粉を塗りたくってお祝いします。

また、日本ではちょっと想像ができませんが、ゴアではずいぶん沢山の
ロシア人を見かけました。撮影で使ったエキストラの白人モデルは全部
ロシア人でした。そういえば去年仕事で使ったダンサーたちの多くも
ロシア人でした。我々の知らないところで、インドとロシアは結びつき
を深めているようです。

プーケットやコサムイでは、ドイツ人やヨーロッパ系の人が多くいまし
たが、ゴアはロシア人です。ビーチでも白人の人が多く見受けられまし
たが、おそらくロシア人が大多数だと思います。

熱帯地方の植民地を持っていなかったリゾートに縁のなかったロシアに
とって、ゴアは人気のデスティネーションになっているようです。

ホテルの近くにこんなロシア語の店がありました。

カラオケのモスクワという店のようです。ロシア人もカラオケをするの
かというのも驚きです。


こちらは撮影で使ったアシュウェンビーチのレストランですが、この
白人の二人は昼間からずっと躍り続けていました。ビーチパーティー
の雰囲気が何となくわかります。


土日はゴアは「ドライデー」でした。お酒の販売をしないし、バーや
レストランでもお酒をだささないという日でした。たまたまゴア州で
選挙があったのでそうなっていたらしいのですが...
ホテルのバーはやっていないし、酒屋も酒類は白い布で覆い隠して、
販売をしていませんでした。


でもこのビーチでは、そんなの関係ないとばかり平気でビールを出して
いました。おそらく街から遠く離れていて、こんなところまで警察が
来るわけないとでも思っているんでしょう。こちらはインドでは
メジャーなビールのキングフィッシャーです。

ゴアを去る日の月曜日、ゴア州の州都のパナジを訪れました。ランチ
はゴア料理の老舗のモティ・マハールというお店に。

ゴアはもう一度来るチャンスもそうそうないだろうということで、
締めのゴア料理でした。

蟹のザクティとマトンのビンダルーです。赤い色のほうがビンダルー
ですが、これはちょっと辛かったです。でも美味しかった。
左に見えるのはナンですが、小さく切ってくれていました。これも
美味しかったです。
だめ押しでゴア産のポートワインと、フェニーのライムソーダ割も
飲みました。いつかまたこの街を訪れることがあるだろうかと思い
ながら昼間から酔ってしまったのですが、連日の日焼けで顔がすで
に赤くなっていたので、酒を飲んでいることを気付かれないですみ
ました。という感じでゴアを後にしたのでした。

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