南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

インドからの帰還2

2010-01-16 17:05:31 | インド
昨日(2010年1月15日)インドから香港に戻ってきました。おそらく
香港をベースにインドの仕事をしている人はそれほどいないんじゃない
かと思うのですが、中国の仕事もかけ持ちしているので、世界の二大大国
の狭間で、両大国を相手に仕事しているということになります。日本と
違って、インドも中国もこれからさらに成長していく超大国です。そんな
国に仕事で関わっていられるのは、ラッキーなことなのかもしれません。

上の写真はデリーの郊外のグルガオンのホテルから見た日の出の様子です。
冬のデリーは霧が立ちこめた日が多く、霧のために飛行機が結構すること
もしばしばです。ちなみに一昨日は飛行機が何便か欠航したと新聞に出て
いました。グルガオンという町は、正確にいうとデリーではなく、隣の
ハリヤナ州にある都市なのですが、デリーの空港からも近く(といっても
30分から1時間くらいかかる)、自動車産業を始めいろんな会社が拠点を
持っていて、急成長中の都市です。

ショッピングモールもところどころにできています。でも歩いて出歩ける
ようなところは少なく、基本は車での移動となります。日本の会社も数多
く、日本食のレストランも二三軒あります。しかしながら、町の雰囲気は、
荒涼とした感じで、最先端のビルもある一方で、ホコリっぽく、野生の牛
や豚がいたり、工事現場も多く、あまり綺麗な印象はありません。

雰囲気は全く違うのですが、これってアメリカの西部開拓時代の新興都市
がこれに似た雰囲気だったのではないかという気がします。美味しい
レストランなどあまりなく、自分の身は自分で守らなければいけない
ような厳しい状況で、はてしない大きな夢だけを頼りに生きていた。
そしてここインドにいる現地人たちも奇しくも「インディアン」。
将来必ず大きな成果がもたらされるという確信のもとに、開拓者たち
は苦難を耐え忍んでいる。インドにいると、たしかに成長のエネルギー
は感じるし、チャンスが渦巻いている感じはします。

デリーの空港を出るときに、インドの新聞にGoogleの中国のことが出て
いました。中国から撤退するかもしれないということでインドの新聞が
かなり大きく取り上げていました。英語で世界中の情報にアクセスで
きるインドではGoogleの利用率はかなり高いと想像されます。世界の
ITを実質的に支えているのはインド人なので、こういうのは大ニュース
になります。

たしかにGoogleの気持ちもよくわかるような気がします。上海にたび
たび出張にいくことがあるのですが、現地から日本のサイトや、YouTube
にアクセスしようとして繋がらなかったことがかなりありました。
別に政治的な内容のものだとかではなく、ほんのちょっとしたことでも
繋がらなくなっていました。中国という国家の検閲による情報統制の
恐ろしさを感じるとともに、こういう国で仕事をやっていくにはこういう
ことでは妥協していかなければダメなのだと感じたのでした。Googleに
とって妥協することは自らのアイデンティティを崩しかねない問題だった
のではないかと思います。

YouTubeはほとんど見られませんでした。仕事の資料で、コマーシャル
映像とかビデオクリップとかを調べたいのがあり、見ようとしたのですが、
ダメで。中国のサイトのBaidu(百度)とかYoukuで探さなければならな
かったのですが、中国の検索サイトを使うことを強要されているようで
ちょっと気分がよくなかったです。中国の検索サイトは、基本的に中国語
なので、我々外国人が英語でキーワードをいれても出て来る内容はかなり
限られているし、おまけにほとんどのサイトが中国語なのであまり役に
たちませんでした。ということで私も中国の言論統制にはちょっと
うんざりしておりました。

もしもGoogleが中国を去ることになり、中国が万里の長城のように自国
の周りに"Great Firewall"(万里の防火壁)を張り巡らせて、情報世界から
孤立するようになった場合、中国はこの先どのようになってしまうので
しょうか。あと15年か20年くらいで、中国の人口はインドに抜かれること
が予測されています。インターネット人口もいずれインドが中国を抜くの
でしょう。このGoogle問題が、中国の歴史的なターニングポイントとなら
ないことを祈ります。

ちょっと話がアンチ中国的になってしまいましたので、このブログも検閲
されてしまうかもしれません。
さてこちらは、インドの鳩です。

鳥人(トリジン)ではなく、人鳥(ジンドリ)でもなく、鳥の頭が鳥につい
ているという鳥鳥=鳥です。偶然にもインドの鳩の鳴き声が「グーグル」に
聞こえたのは私だけでしょうか。

インドからの帰還

2009-12-20 02:33:21 | インド
木曜日の夜にデリーから香港に戻ってきました。タイ航空を利用
してバンコクでのトランジットだったのですが、預けたスーツ
ケースがトランジットで間に合わず、香港の空港で受け取ること
ができませんでした。翌日、オフィスに届けてもらいましたが。
こういうことは何度か経験しているのですが、すぐに移動があっ
たら大変なところでした。

上の写真は、デリーの街角で見た白い牛の写真。牛はインドでは
神聖な動物なので、車道でもどうどうと歩けるのですが、白い牛
は特に神聖度合いが高いようなのです。でもこれ、かなり痩せて
いるので牛というよりもヤギのようにも見えます。まあ牛でも
ヤギでもどちらでもよいのではありますが。

交通渋滞の道路で、悠然としている動物を見ると、渋滞でイラ
イラするのも馬鹿らしく思えてきます。人間って何でこんなに
あくせくしているのかなと、動物たちに教えられる気がします。

そしてこちらは象。なかなかデリーでは見る機会がありませんで
したが、今回は見られました。

どうどうと車道を歩行しています。なんかすごいです。

インドでは、移動も疲れるのですが、仕事でインド人と会議を
するのは、とても疲れます。しゃべらないと負けだという感覚が
あるので、喉をからしてしゃべり続けます。ほっておくとインド
人は延々と持論を勝手に展開していくので、少しでもチャンスが
あったら、まるでサッカーでボールをインターセプトするように
ボールを奪い取らなければなりません。しかもそこで意味のある
コメントをしないと相手に馬鹿にされてしうので、自分の考えを
しっかり持っていないといけません。こういう議論の修羅場を
乗り越えてこそ、信頼を勝ち得られるのです。でもとても疲れます。

日本や香港ではここまで話す必要もないのですが、インドでは
まずは議論です。しかも英語で。生半可な英語力では、インド
人の議論になかなか勝てません。発音はなまっていてもよいで
すが、論旨はしっかりと組み立てられないといけません。
このへんは日本のビジネスマンにはなかなか難しいところです。

清好延さんの『インド人とのつきあい方』(ダイヤモンド社)
いう本を読みました。これはとても興味深い本でした。インド
に関しては、じつに正確に全体像を表現している気がしました。
デリーから香港に向かう飛行機の中でずっと読んできたのですが、
インド人の本質というのが何となく理解できた気がしました。

インド人は、言葉を使っての論理的な展開は得意なのだが、物事
を箇条書きで整理したり図解することが実は苦手であるという
ことが出ていました。地図が読めない人も多いということです。
これはいいことを聞いたと思いました。箇条書きにしたり、
図解することはどちらかというと自分は好きなほうなので、
こういうテクニックを使えばインド人をびっくりさせられるかも
しれません。是非、次回は試してみたいと思いました。

インドの野生の豚

2009-12-12 20:27:55 | インド
12月9日からインドに来ています。デリーの南西です。
インドは相変わらずのインドなのですが、取引先のオフィスの
となりの空き地に、豚がいました。野生なのでいのししにも
見えますが、牙もないので豚なのでしょう。誰かが飼っている
わけでもなく野良豚です。

インドは、牛が道路を堂々と歩いているという光景はおなじみ
なのですが、牛だけでなく、いろんな動物がいます。野生の猿
もよく見かけます。ジャイプールという町に昔行ったときは、
ラクダや、像や、クジャクなども見かけました。インドは動物
と人間が共存している国です。

以前、手塚治虫氏の『ブッダ』の漫画を読んだときに、ブッダ
がワニや野生の動物たちと心を通わせる場面が出てきました。
菜食主義者が多く、殺生を嫌うインドでは、生き物を大切に
する伝統があるのでしょう。中国や香港だったら、野生の豚
や牛はすぐに食材になってき消えてしまうのでしょう。

昨日、インドの会社で打ち合わせをしておりましたら、
ターバンをしたシーク教徒の社長が、会議室に入ってきたハエ
をハエたたきで殺そうとしておりました。私は『インド人は
『殺生』をしないのでは?と尋ねましたら、その社長は、
「そんなことはない、我々は鳥も殺すし、牛も殺す、インド
人どうしだって殺しあうこともある」と言っておりました。


こちらは泊まっているグルガオンの一角の光景です。外国企業
のハイテクなビルもいっぱい建っているのですが、こういう昔
ながらの景色もまだあちこちにあります。それに霧だか砂埃だ
かスモッグだかよくわからない霞。交通渋滞は日常茶飯事です。
インドはどこもエネルギーが充満しているという感じがします。

『スラムドッグ・ミリオネア』の原作者は大阪在住の総領事?

2009-09-30 01:51:57 | インド
今朝、NHKのニュースを見ていましたら、『スラムドッグ・ミリ
オネア』の原作者のヴィカス・スワラップさんが出ていて、何と
今、大阪でインドの総領事として赴任しているのだとか。びっく
り。次は日本の話を書くかもしれないというようなことを言って
おられました。楽しみです。

数ヶ月前にこの映画を見て、この英語の本を買ってしまったので
すが、全然読んでいません。日本語でも『ぼくと1ルピーの神様』
というタイトルで本が出ているのですが、日本語版はまだゲット
していません。近々読みたいと思っております。

このヴィカス・スワラップさん、調べてみると、1961年生まれ?
自分よりも6才も若いじゃありませんか。ということはまだ40代。
総領事で貫禄があるので、自分よりも年上かと思ったのですが、
何と年下だったのですね。インドの大学を出て、インド外務省に
入り、外交官となったのだとか。エリートですね。

そういえば私も外交官になりたいと思ったこともありました。
高校を卒業してから一年間、横浜市立大学に通っていたのですが、
そこにいた先輩が、外交官になることを夢見て、外交官試験を
受けるために勉強をしていたのを思い出しました。シンガポール
や香港で大使や総領事などの人たちにお会いしたことはあるので
すが、自分にはそういう仕事はちょっと無理だなあと思いました。

さて、このヴィカス・スワラップさん、外交官として、トルコ、
アメリカ、エチオピア、英国、南アフリカなどに行っていたの
ですね。この本を書いたのは、イギリスに滞在中のことらしい
のですが、その前がエチオピアというのがすごいです。

私も20年くらい前に、撮影の仕事でアジスアベバに行ったこと
がありました。当時、戒厳令が出ていて夜間外出禁止。でも夜
星空がものすごく奇麗で感動しました。食べ物は単調でしたが。
まあ生活は結構大変だったんじゃないかと思います。そういう
いろんな国に行った経験もこの本の中に活きているんでしょう
か。

この人のインタビューの中で、彼がこの小説を書こうと思った
きっかけが、『ホール・イン・ザ・ウォール』というプロジェ
クトだったと言っていました。スラムの壁に穴をあけて、コン
ピューターを設置して、二三ヶ月置いておいたら、スラムの
子供たちが何の説明もしていないのに、コンピューターを
使えるようになっていたのだとか。教育を全く受けていない
ようなスラムの子でも、チャンスさえあればものすごい
可能性があるのかもしれない。それがこの小説を書くきっか
けとなったのだそうです。

さて、このヴィカス・スワラップさん、日本に来て、果たて
どんなインスピレーションを得るのでしょうか?
ちょっと楽しみです。








飛行機の中で見たスラムドッグ・ミリオネア

2009-05-11 00:24:43 | インド
先日、ニューヨークに出張に行った時、飛行機に乗っている時間
が片道でもたっぷりと半日以上あったので、行きも帰りも『スラ
ムドッグ・ミリオネア』を見ました。イギリス人の監督の作品な
のですが、舞台はすべてインド、出演者もほとんんどインド人。
一見インド映画という雰囲気なのですが、実はイギリス映画なの
ですね。昨年から今年にかけてメジャーな映画賞を総なめした
作品だけに、さすがよくできた映画で、機内で二回も見てしまい
ました。

しかしこの映画、細かいところは知らなくても十分楽しめるの
ですが、いろいろ知っているとさらに楽しめるというところが
あります。私はこの監督の作品はデカプリオの『ザ・ビーチ』
しか見たことないのですが、インドのムンバイは何度か行った
ことがあるので、偶然知っていることがいろいろ出てきて非常
に面白かったです。

10年くらい前に『恋に落ちたシェイクスピア』がアカデミー賞
を受賞しましたが、この映画も、シェイクスピアの『ロミオと
ジュリエット』や『十二夜』などを知っているとさらに面白い
のですが、私は英文学をやっていたし、偶然にこの映画に出て
くるお芝居を大学時代に実際に上演し、役者として演じたこと
があったので、とても楽しめたということがありました。

この『スラムドッグ・ミリオネア』もそうです。(以下ネタバ
レ注意)何か解説したいことがいっぱいです。

まず、クイズ・ミリオネア。日本ではみのもんたさんが司会を
している番組が同じみなので、日本の番組かと思ってしまいが
ちなのですが、もともとはイギリスのクイズ番組。この番組の
フォーマットが日本を含めて世界各国にフランチャイズされて
いて、世界100カ国以上で放映されているというスーパー・ク
イズ番組です。世界各国で「ファイナルアンサー」とかやって
いるわけなのです。ですのでこの映画が上映される国のほとん
どでこのクイズ番組が放映されているので、世界中の観客がこ
のクイズ番組の設定を無理なく受け入れられることは、この
映画の大きなメリットです。

この映画のテーマが、このクイズの四択の形式を借りて、
「Destiniy」として提示されるのは見事ですね。

インドでこの「クイズ・ミリオネア」(Who wants to be a
millionaire?)がスタートしたのは2000年。初代の司会者は
インドのトップスターのアミタブ・バチャンでした。この
番組はスターPlusというケーブルチャンネルで放映されてい
て、この番組がきっかけでインドのケーブルチャンネル契約
世帯数が一気に伸びたと言われています。インドでは国民的
な番組となっていました。

アミタブ・バチャンは最初のエピソードにも登場してくる
俳優です。「ザンジール」という映画で主役を演じたのは誰
という質問ですが、これはインド人だったら誰でも知ってい
る簡単な問題じゃないかとも思いました。「ザンジール」は
見たことはないですが、アミタブ・バチャンが主演というの
は私でも知っていました。インドでアミタブ・バチャンの生
の講演も聞いたことがあります。

しかしジャマール少年が苦労して手にいれたアミタブ・バチ
ャンのサインを兄のサリームが誰かに売ってしまいますが、
この時に渡されるのがコインというのがあまりにも悲しい。
あれが5ルピーだったにしても日本円に換算すると10円くら
いなので、ジャマール君の苦労も報われないですよね。まあ
それがスラムの現実なのかもしれませんが。

あと、インドはクリケットが国民的スポーツで、クリケット
選手のサチン・ティンドルカルは国民的な英雄なんですね。

そして、タジマハール。数年前に一度行ったことがあります
が、付近にジャマールのような少年の物売りがいっぱいいま
した。私がクジャクの羽根でできた扇子にちょっとだけ興味
を示したら、その子は死に物狂いでつきまとってきたので
追い払って逃げたのですが、何か可愛そうなことをしてしま
いました。

ムンバイのビクトリア・ターミナルの鉄道駅、パニプリ、
スラム、コールセンター、チャイ、三銃士、コルト・リボル
バーなどそれぞれに濃厚なアイテムがちりばめられていて
目眩がするほど魅力的です。

あと、一つ、個人的に着目しているのは、この映画の中に
シェイクスピアの要素があるということです。勝手な思い
込みかもしれないのですが、別れ別れになっていたジャマー
ルとラティカが奇跡的に再会するところは、シェイクスピア
のいくつかの喜劇で奇跡的な再会がテーマになっているのと
何か関係がありそうな気がしてなりません。最後の鉄道駅で
の再会、そして踊りは、まるでシェイクスピア喜劇のエンデ
ィングを見ているような気がしました。

このイギリス人の監督、ロイヤルシェイクスピア劇場で何本
か演出をしたこともあるようだし、ジャマール役のデヴ・
パテルもロンドンで学生時代にでシェイクスピアの『十二夜』
でアンドリュー役をやったようなのです。何か考えすぎかも
しれませんが。


チャッティスガルから来た青年

2009-02-06 23:52:15 | インド
「ぼくが住んでいるのはインドの真ん中のチャッティスガルだよ」
と一つ空席を挟んで飛行機の座席に座っていたインド人の青年
は英語で言いました。チャッティスガル?仕事では全く接点が
ない地域だけどかすかに記憶にある。北部にあるチャンディガル
に名前が似ているけれど、かたやインドの中でも最も平均世帯
収入の多い都市であり、もう一つはインドの中でも貧しい地域。
その青年はそのチャティスガル州から来たのだと言うのです。

正直、チャッティスガル州というのはほとんど知りませんでし
た。後で調べてわかったのですが、ここは2000年の11月まで
マディアプラデシュ州の一部だったのです。その時までインド
で最大の州だったのですが、チャッティスガルが州として独立
したのですね。この州だけでも人口が2千万人以上いますので
(インドの中ではそれほど多い州ではありませんが)、大体
オーストラリアと同じくらいの人口規模です。

青年は、インドのアディティア・ビルラ・グループの会社で
ビジネスコンサルティングをしていると言うのです。これから
インドネシアのジャカルタに出張で行くのだそうです。本当
はすごくエリートなんだろうな~。

これは1月にデリーからシンガポール行きの飛行機が濃霧で
翌日に振替になった飛行機の機内での会話でした。前日は
一言も話をしなかったのですが、今日は彼のほうからいろ
いろと話しかけてきました。

「ぼくの家には家族が50人くらいで住んでいるんだ」
え?50人?インドの田舎はいくら大家族制だとは言っても
それはちょっと想像がつかないくらいの規模です。白川郷の
合掌造りの家は大家族で生活できる大きさだと思うのですが、
50人というのはちょっとすごい。
「父親は9人兄弟だし、またぼくの兄弟姉妹も9人いるし、
そのほとんどが一緒に住んでいるので、それくらいの数に
なるんだよ」
そのチャッティスガルから来た青年は、嬉しそうに携帯電話
を見せる。そのスクリーンにはまだ小さい女の子の赤ちゃん。
まだ生まれて数ヶ月だと言うのです。
「それじゃあ会いたくてしかたないんじゃないの?」
と言うと、「そうなんだよねー」とその青年は言いました。

チャッティスガルは鉄鉱石で有名なんだそうですが、彼の
家族はほとんどが鉱山関係の仕事に従事しているのだそう
です。外の一般企業に勤めたのはファミリーの中で彼が初め
てだと言っておりました。

日本にはこういう大きな家族はないのかと彼は質問してきま
した。日本ではせいぜい二世帯住宅。ほとんど核家族化して
いると言うと、チャッティスガルから来た青年は不思議そうな
顔をするのでした。

インドは結婚はお見合いが大半だというのは以前から聞いて
いましたが、彼もやはりお見合いでした。お見合いは
アレンジド・マリアッジと言います。親が情報収集をして、
下調べをし、子供に話を持って来るというシステムです。

「もし親がリコメンドしてきた相手を気に入らなかったらどう
するの?」と聞いてみました。
「それはそれでもいい。親は子供の気持ちを尊重して、また別
の相手を探してくる」というのです。昔聞いたのは、インドで
はお見合いの時は、もはや拒否権はないということだったんで
すが、地域によって、家族によっていろいろ違うんでしょうか。

「ところであなたはお見合い結婚?それとも恋愛結婚?」と
その青年は聞いてきました。飛行機の中の会話としては、かな
り親密なレベルの内容です。しかも見ず知らずの旅人同士。
「ぼくは、恋愛結婚」
と言いながら、ふと妻の顔が脳裏をよぎりました。
運命の赤い糸による結婚だとしたらそれは恋愛結婚と言えるの
だろうか、などとふと思ったりしました。

そんなこんなでいろんな話をしているうちに飛行機はシンガ
ポールに着き、名前も聞かないうちに別れ別れになってしまい
ました。旅で出会った異国人と、こんなに立ち入った話をした
のは初めてでしたが、なんか気分は爽快でした。しかし、名前
を聞いておけばよかったなあ。このブログを書くときも、名前
を知らないので、チャッティスガルから来た青年などと書かな
ければならないのですから。

夜霧のデリーでの希有な体験

2009-01-19 02:49:19 | インド
インドのデリーのオベロイホテルで行われたイベントは
無事に終了し、ボリウッドスターを起用したテレビ
コマーシャルの評判も上々で、これで安心して香港に帰れる
と思っていたのですが、最後の最後で大変はトラブルに
なってしまいました。

すべての問題はデリーの夜霧でした。デリーの霧は、
ロマンチックとはほど遠く、時々飛行機も離着陸できない
ほどの迷惑な存在なのですが、1月17日の土曜日の夜霧が
まさにそれでした。

1月17日の夕方、私はインドに駐在しているうちの会社の
人間と、グルガオンのゴルフ場のクラブハウスでの優雅な
夕食を終え、デリーの空港に向かいました。ちょっと霧が
出ていたので、心配になったのですが、彼曰く、「これくらい
の霧だと、大丈夫。もっとひどいときはある」とのこと。
しかし、じつはこれがその時だったのであります。

9時頃にはチェックイン。シンガポール航空SQ407便で
シンガポールで、その後、別のSQ便で香港乗り継ぐ予定で
した。10時40分頃には機内に。その機内で、偶然お客さんも
乗り合わせていたので(それは知っていたのですが)、
ちょっとご挨拶をしてから、座席に座って離陸を待って
おりました。その時点での滑走路の視界(Runway Visibility
Range)は、離陸可能レベルだったのですが、夜の11時に
霧は急激に濃くなります。しかし、濃霧の状態は上下変動して
いたし、過去には急に天候が回復したことも多かったので、
離陸準備は続行となりました。

予定出発時刻は23時15分だったのですが、その時点でも
濃霧は回復していないまでも、回復の可能性もるということ
で、我々は機内にて待機ということになったのです。

午前0時30分、飛行機が空港の気象観測局に問い合わせたと
ころ、午前3時ころには雷雨が予想されているということで、
雨で霧が晴れる可能性もあり、我々は地上に停まったままの
機内で、夕食のサービスを受けることになります。夕食と
言っても、深夜の夜食ですが。

午前2時45分頃、機長が気象観測局に再度問い合わせた
ところ、濃霧の回復の見込みはなく、期待された雨雲も
見当たらないということで、全員飛行機から降りてホテルで
一夜を明かすという結論になったのです。後でわかったの
ですが、午前5時半頃、雨が降ったのだそうです。

飛行機を降りて、我々は疲れた足取りで、バスに乗ることに
なります。せっかく数時間前に長い列に並んで出国審査を
したばかりだったのですが、再びインドに。しかし入国審査
は簡易的にパスポートをチェックするだけでした。私のビザ
は一回限りとマルチプルの中間の二回というもので、今回で
二回使い果たしているけど大丈夫かなと思ったのですが、
さきほどの出国分をキャンセルとしてくれました。

我々はほぼ全員、市内のラマダホテルに向かうことになり
ます。空港からバスに分譲して乗り込むとき、何かこれって
ナチスの収容所に向かうときのような感じなんじゃなかろう
かなんてことを感じたりしました。

30分以上かけて、バスはホテルに。またホテルに着いてから
が大変です。こんな深夜にこれだけの数の宿泊者を急に受け
入れるホテルのほうもまたすごいですが、ここでもまた長蛇
の列。なかなか進まないので、インド人のおじさんが切れて
どなりちらして怒っていました。

やっとのことで部屋の鍵をもらって部屋に入ったのは午前4
時過ぎ。翌朝何時に起きたらよいのかもわからず、とりあえ
ず寝ることに。8時ころ電話がなりました。英語の自動音声
で、8時半から食事、出発は10時というのです。本当にここは
軍隊かという感じです。4時間くらいしか寝てません。
上の写真は朝起きたときに見えたホテルの部屋からの風景です。
まだ霧が立ちこめている感じがします。

10時前にチェックアウトし(ホテル代は航空会社持ち)、
バスを待つのですが、これがまたバスが来ない。結局ホテル
側の手配でタクシーに分乗し空港に向かうことに。

空港についたら、再度チェックイン。欠航便の人だけ用の
カウンターができていて、そこで再びボーディングパスを
もらいます。ここでもけっこう待ちました。

そして、出国審査。もう足が棒になります。それが終わった
とおもったら今度はX線検査。これも長蛇の列。濃霧の為に
前日何便もが欠航しているので混むのは当然ですが、しかし
インドはこういう部分が効率的でない。

というやっとのことで飛行機に乗れたのですが、SQの対応
非常に誠意のあるものでした。飛行機に乗るとき、前日の
状況を説明した書類が配られ、いろいろな状況が説明されて
いました。さらに全員に、チョコレートが配られます。
それもお土産用の箱入りチョコ一箱づつです。

かくして飛行機は無事に飛び立ちました。無事に飛んで
くれてまずは万々歳。

シンガポールに着いたのは夜10時過ぎだったので、乗り継ぎ
はできず、翌朝の便で香港に向かうのですが、シンガポール
航空のほうで、一泊分のホテルを提供してくれました。濃霧は
自分のところの責任ではないのですが、ここまでしてくれるの
はすごいです。ホテルはペニンシュラをあてがわれましたが、
ここはうちのオフィスのそばなので、さらに便利。さきほど
ついでにクーリエで送ろうと思っていた書類をポストにおいて
きました。

ではまた。


 


デリーに到着

2009-01-16 04:37:35 | インド
ハワイとはうってかわってデリーです。この間までハワイにいた
かと思うと、埃っぽくて騒々しいインドにいるのが信じられま
せん。今、夜中なのですが、上の写真はこの前デリーに来た時に
撮影したものです。インドでは小型車はサイドミラーのない車が
多いです。余計なものはいらないというか、インドでは後ろを
気にしないで前だけを見て走っていくというか、やはりインドは
独特です。明日は、デリーの一流ホテルで、この間撮影したCM
の完成試写と、キャンペーンのお披露目があります。マスコミの
記者会見とかがあるのですが、さてどうなりますやら。

ボリウッドのダンスビート

2008-12-31 02:38:27 | インド
もう大晦日になってしまいましたが、30日にムンバイから香港
に戻ってきました。大晦日は朝の飛行機で東京に行きます。
年末ぎりぎりになってしまいましたが、年末から正月は東京で
過ごす予定です。

しかし、クリスマスを上海で過ごした後(出張)、シンガポール
経由でムンバイに行って、年末までに戻ってきて日本に行くと
いう強行スケジュール。ムンバイでは、コマーシャルの撮影を
していました。

ボリウッドのダンサーたちを使ってのコマーシャルです。内容
に関しては公表できませんが、いかにもボリウッド的なダンス
バリバリのものです。

この上の写真は、そのダンスシーンのための練習をしている所
なのですが、この男の子たちがみなかっこ良くて、踊りがうまい。
前列センターでちょっと身体を低くしているのは振り付け師の
アシスタントです。ちょっと有名な振り付け師がメインでいるの
ですが、実際の踊りの指導はこの写真の彼が行っています。

これは男性のパートですが、これと同じ数の女性が同じ動きで
からみます。全部で20人くらいが同じ動きできびきびしたダンス
をするのは爽快です。

この振り付け師の仕事というのを始めて見ましたが、すごく
かっこいいですね。ニュースでブリトニー・スピアーズの彼氏が
ボリウッドの振り付け師という記事が最近出ていましたが、
ボリウッドの振り付け師は本当にかっこいいと思いました。
ルックスもいいし、踊りもうまい(もちろんプロなので当然です
が)、そして、それをダンサーたちに指導していくというのがまた
腕の見せ所です。

しかし、年末だというのにインドのムンバイでこんなところで
仕事をしているというのもなんだかすごいことだなあと自分で
思ってしまいました。なかなかできない経験です。

夜中の飛行機で、しかもムンバイはテロの警戒が続いているという
ことで、3時間前までには空港に着いていたほうがよいし、また
渋滞も厳しいということで、撮影が終わらないうちにあとは現地
スタッフにまかせてあわただしくスタジオを後にしたのでした。

ムンバイの国際空港は、まだ工事中の部分も多く、何か雑然とした
感じでした。おまけに、テロの警戒のため、土嚢を積んで機関銃を
構えた兵士が警戒しているのは、ちょっと戦場のようでありました。
いくつかのホテルでも土嚢を積んで機関銃を構えているところを
目撃しましたが、ムンバイは基本的には平和で、日本の報道は
ちょっと怖い部分ばかりを強調しすぎているのではとも思いました。
まあ、警戒はしておかなかえればいけないでしょうが。

大晦日はこれで更新できないと思いますので、それではみなさん
よいお年をお迎えください。

ムンバイで年末を

2008-12-28 00:02:06 | インド
今日、ムンバイに着きました。昨日まで酷寒の上海にいたので
すが、いきなり気温が30度あるムンバイに来ると、その気温と
環境の違いに頭も身体もパニックになってしまいそうです。

この前ムンバイに来たのは、3年くらい前でしょうか?国際
空港は改築工事が続いていますが、基本的には、おなじみの
インドで、昔からの風景は相変わらずです。

ムンバイは、11月26日のテロからちょうど一月がたち、まだ
あの事件の余波は消え去らない感じです。私が今泊まっている
ホテルは、爆破事件があった半島先端部からは遠く離れた郊外
の海辺に孤立しているTaj Land Endというホテルです。

ホテルの手前100メートルくらいのところで、一般車は進めなく
なっています。そこで車を降りて、ホテルのハイヤーに乗り
換えてホテルの建物まで行くのですが、そこを降りてから、
空港と同じようなX線のセキュリティーチェックがあります。
これだけの警戒をしているとちょっとテロリストも近づけない
という感じで、このホテルにいる限りにおいては安全です。



この上の写真はホテルの部屋から見た風景ですが、目の前に海が
広がっています。このへんはテロがあった街とは想像できない
ほどの平和で静かな場所です。聞くところによるとこのホテルの
すぐそばに有名なボリウッド俳優のシャルック・カーンの家が
あるのだそうです。

さっきまでNHKの衛星放送の報道番組でムンバイのテロの特集を
やっていました。なんだか不思議な感じです。ジャーナリストや
学者の人たちが深刻な顔をしてインドの宗教構造や、パキスタン
との関係などいろいろとややこしいことを話していました。
自分がいまその議論されている都市にいるかと思うと不思議です。

ところで今回、上海から、香港、シンガポールを経て、ムンバイに
来る途中で、飛行機の中で見た新聞で偶然に出ていた飯島愛の記事。
こういう記事に異国で接するのはこれまた不思議でした。



これはどちらもシンガポールの新聞です。中国語のものは26日の
聯合晩報という一流紙の夕刊の表紙と裏表紙。1.5ページも使って
飯島愛のことがあれこれと紹介されています。英語のものは、
これまたシンガポールを代表する一流紙のStraits TimesのLife
セクションの最終ページ。やっぱり中華圏ではすごい知名度だった
のですね。中国本土のサイトでもかなり記事が出ていました。

と思って、インドの新聞はどうかと思ったのですが、さすがに
インドまで来ると飯島愛のことは見当たらず。やはり日本の芸能
情報はインド文化までは伝わってこないのですね。



さて、こちらの写真は、今朝、シンガポールの空港を出てくる時に
見た朝日です。何か奇麗だなと思って、写真を撮りました。
まもなく今年も終わりです。来年はよい年になることを祈ります。

インドのマックはベジ(ベジタリアン)・バーガー

2008-09-04 04:43:31 | インド
インドはベジタリアンの国。飛行機に乗っても、機内食は
「ビーフですか、チキンですか」というような選択肢ではなく
て、「ベジですか、ノンベジですか?」という選択肢になり
ます。インドではかなりの人がベジタリアンなので、必ずベジ
タリアン向けの料理を用意しているというわけです。

マクドナルドも同じ。世界的にバーガーはビーフなのですが、
牛が神聖な生き物であるインドでは、一般の人はビーフを食べ
ません。そこで登場するのがベジ・バーガー。ちょっとカレー
味のポテトコロッケがパンに挟まれているという感じのもので
す。コロッケバーガーと思って食べると、ちょっとソースなど
かけたくなってしまいます。

このベジバーガー一個のお値段は…



45ルピーです。日本円では110円くらい。安いです。といって
そんなにやみつきになるほどおいしいものではないですが。

ちなみにこちらがメニューです。



ちょっと文字が小さくて見えないかもしれませんが。メニュー
の数はそれほど多くありません。表記は英語です。

日本では、カレーというとビーフカレーとか、ポークカレーとか
がおなじみなのですが、インドでは、ビーフカレーはまず見当た
りません。日本食レストランに行けばあるかもしれませんが。
ポークもあまりない。あるとすれば、チキンか、ラムか、魚。
日本とはだいぶ食生活の習慣が違うインドです。

明日の夜に香港に戻ります。

突然ですがインドに来ました

2008-09-03 01:38:19 | インド
昨日の夜の飛行機でインドのニューデリーに到着、今グルガオン
のコンドミニアムにとまっています。木曜日には香港に戻ります。
上の写真はグルガオンのコンドミニアムから見えた風景ですが、
このニューデリー郊外の新興住宅街/オフィス街は、今まさに
発展途上という感じで、ビルの建築ラッシュで、高度経済成長と
いうのを視覚的に確認できます。

地下鉄メトロの高架線の工事も着々と進んでいて、数年後には
このへんの景色も一変するんだろうなという予感があります。

しかし、インドは基本的にきたない。埃っぽい。潔癖主義の人
が来たら、まず生活できないのだろうなという国です。
この国に滞在するにはある程度『鈍感力』がないと駄目だなと
今日あらためて思いました。

停電は日常茶飯事だし、水回りもよくない。街に出ればハエは
いっぱい飛んでいるし、清潔とは思えない場所も多い。雨期に
は大量の雨で大地を浄化し、乾期には太陽の熱で、ゴミとかを
感想させて大地にかえす。物資は輪廻転生と同じで自然の中で
リサイクルされる。と言ってもプラスチックは無理なんですけ
ど、でもそんなことに無頓着なアバウトさがある。そういう
ところが嫌いな人は生きていくのが難しいのだろうなと思える
インドでした。

しかし今日の昼間久々に食べたインド料理はおいしかったなあ。
それと夕方食べたイタリアンもおいしかった。ではまた。

インド人の数学的能力

2007-08-29 00:09:10 | インド

先日、シンガポールから香港に来る飛行機の中で、隣に座って
いたのはインド人の母と子供でした。母親は30代のようで、
子供は4才くらいの男の子でした。父親は一人でビジネスクラ
スに乗っているようで、時々奥さんと子供のところに来て、
何やら話しかけていました。

かなり金持ちのようで、奥さんは昔はかなりの美人であろうと
見えました。インドは世界的な美女を生み出していますが、
歳をとると美貌から遠のいていくスピードが早いように思え
ます。その女性も優雅な生活を手に入れて、年齢がかつての
美貌を着々と浸食してきつつあるという感じでした。

その母親は、見た事もないようなハイテクなPDAを持っていま
した。携帯電話のようにも見えましたが、化粧用のコンパクト
のようにも見えました。彼女はそれを開いて、何をするかと見
ていたら、何とゲームをしているのです。それも懐かしいゲーム
のテトリスです。人生の目的は達成して、もう後はたいしてやる
こともない、というような雰囲気で、ゲームを淡々とやってい
るのでした。

一方、子供のほうはと見ると、何と数学のドリルをやらされて
いるのです。明らかに小学校もあがっていないような小さな
男の子が、数学のドリルです。どんなのをやっているのか
ちょっと覗いたら、びっくりです。分数のかけ算です。
7分の2掛ける3分の1というような計算がずらっと並んで
いて、その男の子はそれを恐るべきスピードで解いているの
です。これはびっくりしました。

実は、自分でも解いてみようと思ったのですが、こんなの
授業で教わったことなかったよね?すぐにできない自分に
愕然となりました。分数の掛け算ってどことどこを掛ければ
いいんだろう、というかなり初歩的な疑問で悩んでしまい
ました。しかも掛けたあとで、4分の2だったら、2分の1
というふうに、こういうのって何ていうのか忘れたけど、
処理していかなければならないのです。

日本だったら小学校に上がって初めて九九を勉強するので
すが、インドの子供はこんなに小さなときから、こんなハイ
レベルの勉強をしているのです。全員がこういうのじゃない
のでしょうが、私は、完全にこの男の子の数学処理レベルに
降伏してしまいました。

男の子が、何ページか終えると、お母さんが、ゲームの手を
休めて、さっさと採点して、もっと続けろと指示をします。
日本の男の子だったらピカチュウがどうのこうのとか言って
いる年齢です。それがこの年齢にして、この数学レベルに
達しているインド人の子供は、将来恐るべきレベルのIT
エンジニアか、金融トレーダーになっているのでしょう。
これでは日本は絶対に勝てないなと思いました。

ふと男の子のドリルの片隅を見ると、なんとKUMONと書いて
あるではありませんか、そうあの公文式のKUMONです。
もちろん英語版のドリルなんですが、日本の会社がインド人
の英才教育を支えているというのはこれまたびっくり。
日本の会社もすごいなあと感心してしまいました。

日本に行って、本屋に行くと、『インド式計算ドリル』と
いうような本がいくつも並んでいるのにびっくりします。
インド人に負けないような計算能力を身につけようという
ような謳い文句で、計算を通して頭脳を活性化させようと
いう企画です。あの飛行機の中の子供を見る限り、インド人
にはどんなことがあっても勝てないだろうなと思います。

日本も昔は、珠算をやっていて、計算能力、暗算能力もすご
く高かったと思うのですが、今はかなり計算能力が落ちて
いるのでしょうね。私も計算や数学は苦手でした。私は
ソロバンも苦手でした。今の人たちにとってはソロバンって
死語なのかもしれませんね。

さて、上の写真は何だろうと、疑問に思っていた皆さん、
お待たせしました。これは4年くらい前にインドのジャイ
プールという町に行った時、訪問した、ジャンタルマンタル
という天体観測遺跡です。これは太陽や星の位置によって、
暦からその日の時間を十数秒単位で把握することができる
観測所なのです。しかもこれは現代のものではなくて、
日本がまだ江戸時代だった頃の18世紀にできたものだという
のでさらにびっくり。

天体観測オタクだったマハラジャが作らせたマニアックな
施設です。何の前知識もなくこの場所に行ったのですが、
見てびっくり、聞いてびっくりです。緻密なコンピュータの
ような観測設備がそんな昔にできていたなんて、すごいです。
しかも、これ巨大建造物なのです。例えば、この斜めに空に
向かっている階段の先には、正確に北極星が来るのだとか。
日時計だとか、星の位置を計測する仕掛けだとかいろいろ
ありました。天体観測クラブの人は、是非訪問するとよい
でしょう。とにかくすごいです。

インドは、掛け算が9X9までではなくて、二桁までできる、
99X99までできるという定説が広まっているようですが、
知り合いのインドのビジネスマンに聞いたら、とてもそこ
まではできないという話しでした。せいぜい12X12くらいまで
が普通のようです。

ゼロという抽象概念を世界で初めて発見したのはインド人、
ホットメールを作ったのもインド人。そういえば、シンガ
ポールの両替商もだいたいインド人でしたね。
インド人恐るべしです。

ハイデラバードを図式化してみました

2006-01-25 01:04:56 | インド
今日はインドです。歴史ではなくて地理です。
毎日何か一つの事象を図式化してブログにアップ
することが何か修行のような気がしてきました。
関ヶ原の戦いの寝返りを含めた相関関係を図にしようと
思ったのですが、これは一日ではできそうもないとわかりやめました。
これはまた時間のあるときに挑戦したいと思います。

今回は、この間行ってきたインドのハイデラバードを図にしてみました。
ハイデラバードのロジスティクス的利点ということでインドの他の
大都市との関係でまとめてみました。

ハイデラバードという都市は、すでに大都市で、人口は500万人以上
いますが、一見もっと小さな都市のように見えました。ここはインドの
ほぼ中央部にあるので、物流を考えると非常にメリットがあります。
飛行機で行けば、ほとんどの主要都市に2時間で行けます。
この図に書いた、5つの大都市は5メトロと呼ばれていて、インドの
マーケティングを考える上では重要な都市です。

インドは巨大な人口を抱えていて、いずれは中国を抜くと言われて
います。中国は長年「一人っ子政策」をやっていたので、若年層が増え
ておらず、従って労働人口は将来的には増えません。それに対して、
インドは若年層の人口が多く、将来的には中国よりも大きな労働者人口
となります。また購買力のある市場がどんどん膨らんでいきます。

こういう人口増加を考えると、印刷物の需要というものも増えると想定
されます。いくらインターネットの世の中になり、印刷物は減ると言わ
れていても、新聞や雑誌がなくなってしまうことはありません。インド
の人たちは、コンピューターも好きですが、やはり紙に印刷されたもの
も好きです。

この間、ハイデラバードに行ったとき、印刷会社を訪問しました。
仕事で何度か使っていたのですが、訪問したのははじめてでした。
最初は、何でハイデラバードなんかに大手印刷会社があるのか不思議
でしたが、行ってみて納得しました。

まず、ロジスティクスです。ハイデラバードはインドのほぼど真ん中に
あります。配送を考えたら、非常に便利です。また、ムンバイとか、
バンガロール、チェンナイなどは陸上でも道路が通じています。
(インドはデリーでも、コルカタでも道路は通じていますが)
それから、最近のITの発達で、とくに大都市にいなくても仕事を受注
するということができるようになりました。この会社はウェブサイトで
見積もりをすることもでき、データなどもオンラインで受付けられます。
これまで、シンガポールから印刷データは製版フィルムで送っていたの
ですが、「今時そんな旧式なことやっているのはめずらしい」と言わ
れてしまいました。印刷は、ほとんどCTP(コンピューターデータから
直接印刷にまわす方法)です。

また彼らは、ISOの9000・9001を取得していました。インド人はそう
いうマネジメントはすごいです。また安価でまじめな労働力というの
があります。印刷の仕事は機械化されたとはいえ、製本とかでかなり
手作業の部分があります。彼らは大量のアルバイトを安価に動員で
きるので、複雑な手作業の仕事もどんどんこなせるのです。

こういう部分は、日本でやったらかなり高くつき太刀打ちできません。
その工場で、奇麗な場所ではありませんが、たくさんのアルバイトの
人たちが本ののり付けをしたり、袋詰めしたりする光景を見て、
これはインドにはかなわないなと思ったりしました。

ちょっと宣伝になってしまいますが、インドで使うカタログとか印刷
物のご相談がありましたら、どうぞお声をかけてくださいませ。品質も
この印刷会社は非常に質は高いです。

ではまた。


インドからの帰還

2006-01-14 00:18:08 | インド
今朝、インドから帰ってきました。
最後に訪問したハイデラバードの
街は観光名所がいくつもあって、
思わず写真を撮りたくなるような場所
がいっぱいでした。

街の中には、アラビアンナイトのお城のような建物が
あちこちにあり、郊外の荒れ地には巨石がゴロゴロした別世界の
ような風景があり、そんなかに突如点在するIT工業団地のハイテク
な建物、それはすごくシュールな世界でした。

夕方ハイデラバードを発って、バンガロール経由でシンガポールに
戻ってきたのですが、空港設備の貧弱さに悲しくなってしまいました。
ハイデラバードとかは素晴らしいのですが、空港があまりよくありま
せん。こういうところでインドの評判が下がってしまうのはとても
悲しいです。

ハイデラバードの国内線のターミナルに入ろうとしたら、乗ろうと
しているインディアンエアラインの飛行機は国際線扱いになるという。
インターナショナルディパーチャーに行けという。それはどこかと
聞いてみたら、50Mくらいいったところのビルの2階とのこと。
で、2階に上がろうとしたら、何と階段しかないのです。
普通の人は道路が2階まで通じているので、問題ないのですが、
私のように間違えて一階で降りてしまった人は大変です。
重いスーツケースを持って、2階に上がります。助けてくれる人は
誰もいません。ここでインドのことがかなり嫌いになってしまいます。

カウンターでチェックインします。トランジットでも、バンガロール
の空港で一旦荷物を受け取り、再びチェックインしないといけない
とのこと。まあそれはいいとしても、空港内に大した店がない。
飲み物とかを売っている小さなカウンターはあるが、土産物を売って
いるような店がない。最後に空港で何か買おうと思っていたのに、
がっかりでした。

バンガロールでシンガポール航空に乗り換え。ここでまた時間があり
すぎたのですが、他に行く場所がないので、すぐにチェックインしよう
と思ったら、1時間くらい待たないといけないとのこと。椅子に座って
「功名が辻」の4巻目を読んでいました。土佐の国に行く行かないで
悩んでいるあたりでした。しばらく読書に没頭していてふと見ると、
何とX線のところは長蛇の列。インドでは、チェックインバゲッジは
カウンターとは別のところにあるX線を通さないといけません。
X線の機械は一つしかないので、すぐに長蛇の列になってしまいます。
この長蛇の列でインドのことがもっと嫌いになってしまいます。

チェックインを終えて、ゲート内に入ると、これまたがっかりするよう
な設備。ものすごく小さな本屋と、土産物屋と、飲み物カウンターが
あるだけ、国際空港としてはすごい悲しい雰囲気でした。世界的に有名
なバンガロールなのに空港設備がこんなんでは残念だなあと思うので
した。

先週、ムンバイからハイデラバードに行くときに国内線のジェットエア
ウェイズのターミナルを利用したのですが、ここは新しくできたばかり
で、なかなか奇麗でした。国際空港のほうを先にこのようにしてほしい
なあと思うのでした。お店はいくつかあるのですが、店舗はあまり充実
していませんでした。こういうところ何とかしないといけません。

インドよがんばってほしいと思うのでした。

空港で、何もすることがなかったので、「功名が辻」を読んでいて、
ついにバンガロールの空港待ち合い室で、最後まで読み切ってしまい
ました。バンガロールで最終を迎えるのは何か不思議な感覚でした。
山内一豊が死んだあと、千代は京都でゆっくりと余生を過ごすのですが、
まあこういう人生だったらよかったかと思ったりして、バンガロールで
人生のエンディングに関して考えるのでした。

ではまた