南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

東京の下町で生まれて初めて御神輿を担ぐ

2008-08-17 23:24:07 | 日本
まさかこの自分が、東京の下町の有名なお祭りで御神輿を担ぐ事
になろうとは思ってもみませんでした。My Wifeは江東区の
出身で、この三年に一度のお祭りが来ると血が騒ぐというほどの
お祭り好き。私も江東区に本籍地を移したので、まあとりあえず
半纏を来て、御神輿について回ろうと思っていたのです。その
ために香港から東京に飛んできていたわけです。

今朝は早くから身支度でした。生まれて初めてさらしを巻き、
半纏を来て、はちまきをし、足袋をはきます。こんな格好
をするのも生まれて初めてでした。

この上の写真は、今日の写真ではなく、昨日、御神輿が町内を
練り歩いたときの写真です。この時、私は半纏を着ずに御神輿
の写真を撮っていました。今日は、カメラは水がかかって危な
いので、カメラは持っていきませんでした。御神輿にはすごい数
の人たちがついているし、自分はその人たちと一緒に歩くだけで
よいものと思っておりました。

My Wifeは男たちに混じって勇ましく御神輿を担いで
いました。しかし、下町の女性たちはなんて威勢がよいのでしょ
う。いい意味で男勝りです。こういうのは、何かかっこいいです。
最初は、ちょっとすごすぎるなとびびっていたのですが、お祭りに
熱中する姿はすがすがしいものがあります。女性が勇ましいの
は実は私は嫌いではありません。

この町内の御神輿は、何度か、女性だけの「女神輿」となります。
結構重い御神輿を女性だけで勇ましく担ぐのです。こういうのが
あるということは、下町の女性がいかに男勝りなのかを物語る
ものであるといえます。

一応、私は、歩いているだけのつもりだったのですが、My Wife
が、せっかくだからちょっとだけでも担がせてもらったら?とい
うのです。ということで、後ろのほうでちょっとだけ担がせて
もらいました。私は普段、運動不足で、腕や肩の筋肉はそんなに
強くないので、ほんのちょっとの時間だけで終わりました

やがて、私とMy Wifeに夫婦として華棒を担ぐのが
よいということを誰かが言い出し、特別の計らいで、二人で
華棒を担ぐという想像もつなかったことになりました。本籍は
下町に移したというものの、この町ではエトランゼ(よそ者)の
私が、名門の御神輿の中でも最も重要な華棒を担がせてもらえ
るなんて思ってもみませんでした。時間的にはそんなに長くは
ありませんでしたが、なんだかこれで自分も本当に下町の人間
になれた(でもまだ初心者ですが)という気がしました。

今日は、ちょっと肌寒く、水をかけられると少し寒い感じでし
たが、なんだかいい思い出になりました。沿道の見物の人たちが
写真を撮ったり、声援したりして見ているのですが、自分が
見られる側の人間になっているというのが、なんだか不思議
でした。3年前、初めて、このお祭りを見物客として見たとき、
「すごいかっこいいな」と思ったのを思い出しました。

御神輿を担いでいる人たちもかっこいいけど、御神輿の前を
先導する金棒の女性たちもじつにきりりとしてかっこいい。
また、各所で御神輿に水をかけるひとたちもかっこいい。
江戸の時代から伝わる『粋』というのはこういうもんなんだ
ろうなと思っていました。

それが、今年は、自分が見られる側の人間となりました。
沿道の人たちの熱いまなざしや、「わっしょい」と言って
声援してくれている人たちの姿を見ると、なんだか自分たち
がちょっとしたヒーローなんだろうなという気がして、何か
気持ちがよかったです。

ちょっと今日は、右肩は痛いし、足も筋肉痛がきているので、
早めに休みます。

次はまた3年後です。


母校が選抜高校野球大会に出場する

2008-03-07 01:49:27 | 日本
私の母校は愛知県の成章高校という県立の高校です。それが何と
今年の春の甲子園に出るのです。21世紀枠での出場なのですが、
まあとにかくすごいことです。愛知県は野球の伝統校がひしめく
県ですが、この高校はごく普通の公立高校なのです。野球は昔
からわりと強かったですけど。

このポスターに「36年間の熱い思い」と書いてありますが、これ
は36年前に選抜に出たことがあったということなのですね。
実はそのときちょうど私は成章高校に在学していたのでした。
あれからもう36年も経ってしまっていたんですか?なんだか
すごい時間経過ですね。

あの頃は私は高校一年生。同じクラスにも野球部の生徒が二人
くらいいました。私は急ごしらえの応援団に借り出されました。
初出場だったもので、試合の日は何十台ものバスを連ねて甲子
園に行ったのでした。

一回戦は不戦勝で二回戦まで勝ち進んだ我が母校は、その日の
最後の試合で長崎県の諫早高校と対決をしたのでした。応援団
としてアルプススタンドのずーっと上のほうで応援をしていた
私は、ろくに試合も見られず、気がついたら、惜しくも負けて
しまっていたのでした。

その日は最後の試合だったので、夕焼け小焼けかなんかが鳴り
ひびく球場からほとんど人がいなくなり、私たちは、どさくさ
にまぎれてマウンドまで降りていって、選手ではないのに、
甲子園の砂を持ち帰ったような気がしますが、その時の砂は
今はどうしてしまったのでしょう。

あれから36年、今、私は香港にいます。母校の甲子園出場を
はるか香港から応援しています。がんばってほしいなあ。
先日、母の三回忌で愛知県の田原に帰った時に、町の中心に
あるショッピングセンターにこんなパネルがありました。

この高校は田原市にある高校なのですが、この田舎の町では
こんなことは大事件なのですね。

ちなみにあのタレントの光浦靖子さんと、大久保佳代子さん
のお二人も成章高校出身です。調べてみたら光浦さんは東京
外国語大学、そして大久保さんは千葉大学なですね。私は
東京外国語大学を二回も落ちましたけど。光浦さんはすごい
ですね。

この間、田舎に帰ったときに乗った渥美線の電車が、菜の花
電車という特別の車両でした。

黄色がとてもキレイでした。高校を卒業してから東京に出て、
今は香港にいる私ですが、何だかとってもいい町に思えてくる
のでした。ではまた。

日本に帰ったら必ず食べるものは何?

2008-02-28 02:21:41 | 日本
昨日、日本から香港に帰ってきました。いつものことながら短い
滞在なのですが、日本に行くと忘れていた懐かしいものがいっぱい
あります。また日本でしか感じる事のできない感覚、空気、味覚
などがあるものです。ときどきそういうものを思い出すことも必要
なのだと思います。

日本に帰ると、まず何を食べたくなるのか、という質問をよく受け
ることがあります。香港には、寿司屋もあれば、居酒屋もあれば、
ラーメン屋もあれば、いろんな日本食屋がいっぱいあるのですが、
日本でしか味わえないもの、香港では絶対に味わえないものもあり
ます。たまに日本に帰ると、海外では決して味わえないそういう物
が恋しくなるものです。

例えば上の写真の『釜焼き』。これは東京の門前仲町にある石と
いうお店にしかない料理なのですが、日本に帰るたびに食べたく
なるものの一つです。何と言ったらよいのでしょう、小さな土鍋
のような器に、こぼれそうなくらいたっぷりとかけられた茶色
の餡。それは一見、天津丼のようなどろっとした餡のように見え
るのですが、その『釜焼き』の餡は、オーブンで焼かれている
ため、ところどころ焦がされていて、それがまたビジュアル的に
食欲をそそる。

決して見かけは華麗ではない。しかしそこに素朴な味わいがある。
私は昔、水彩画をやっていたことがあるのですが、この料理は、
油絵や、ペン画ではなく、水彩画でしか表現できないのではない
かというような見かけをしています。水をたっぷりふくませた筆
で一気に描かないと、その実体を表現することができないであろ
うと思わせるその不思議な空気感。デジカメの写真ではいまいち
その本質が表現できていないなあと思ってしまうのであります。

しゃもじでその餡の下をつっつくと、卵生地にくるまれて地底
深く埋蔵されている野菜や豚肉などの具が発掘されてくる。
それが湯気の中で、餡と卵とからみあい、何ともいえぬいい具合
のハーモニーとなってやがて口の中で混じり合う。一瞬そこに
流れる至福の時間。ああ生きててよかったと思うのはそういう
瞬間であります。

美味しいとかいうありきたりの言葉で表現するのがもったいない
くらいの不思議な味覚。口に入れた瞬間がちょっと熱いので、
テレビ番組でよくレポーターがやるように、すぐにコメントを
発する事は難しいと思われます。いろいろ言葉を探しても結局
この美味しさを的確に表現する言葉が見つからないので、結局は
美味しいという形容詞でしか表現できないということがわかる。
この料理を前にしては、洒落た美辞麗句がいかに無力で意味の
ないものかというのを思い知らされる。

決して、日本一だとか、ナンバーワンだとか比較すべきもの
ではなくて、比較のできないオンリーワンの料理だと、石の
『釜焼き』を食べるたびに思うのです。本当にこれは他の店では
食べることができないし、海外には絶対にない味覚なのです。

門前仲町の外れのひっそりとした小さな料理屋『石』でしか味わえ
ないこの『釜焼き』。その場所は、門前仲町に来ても、見つけにく
いし、仮に見つけたにしても、小さなお店がお客さんでいっぱいの
ときは、お店に入れない事もある。だから、このまぼろしの料理の
ことを知っている人はまだ少ない。

お店でこっそりメニューの写真を撮影しました。この手作りな感じ
がまたいい感じです。デザインは完璧すぎると、逆に魅力がなく
なってしまうことが多いのですが、このくらいのアバウトな感じ
は逆に非常に魅力的なデザインとなっています。

今の季節、『牡蠣の釜焼き』というメニューがランチメニューに
あります。この牡蠣の釜焼きも食べたのですが、これまた絶妙な味。
私は、実は生牡蠣はそれほど好きではないのですが、牡蠣フライは
好きです。この牡蠣の釜焼きは、牡蠣フライとはもちろん味覚は
違いますが、これはこれでいい感じなのです。生牡蠣の苦手な私も
この牡蠣の釜焼きはとても美味しいなと思うのです。冬場はこの
牡蠣の釜焼きを食べることを目的に東京まで来て、この店を探し
当てるという価値は十分にあると思います。

以前、この店に、韓国からの女性の旅行者が寄ったことがあると
いう話を聞きました。その女性は『釜焼き』を食べた後、「日本
で食べたもののうちでこれが一番美味しかった」と言ったのだ
とか。その人の気持も何となく理解できるような気がします。
本当に美味しいものってミシュランとかで星をもらう店以外の
ところにさりげなくころがっているのだと思います。

ランチタイムは月曜から金曜までで、釜焼きのメニューはこちら
です。

ミックスというのが、豚、海老、鮭が入ったもの、ぶた釜は豚肉
を使ったもの、あなご釜はあなごを使ったものというような感じ
で数種類の釜焼きメニューがあります。あなごの釜焼きはまだ
食べたことはないのですが、是非トライしたいメニューです。
私はあなごも好きなのです。

このお店は夜も営業していますが(日曜祝日は休み)、釜焼きは
夜も食べられます。注文して出来上がるまでに多少時間がかかる
のですが、待つ価値のある一品です。これは他の場所にはないし、
弁当で持ち帰ることもできないのですが、こういうのこそ幻の
料理というのではないかと思うのですね。

日本に帰って、高級な寿司や、天ぷらや、すき焼きや、しゃぶ
しゃぶなどは食べてないですけど、この石の『釜焼き』を食べ
られただけで、そういう高級料理を食べたよりもずっと幸せな
気持になります。それもわずかこの値段でそんな幸せが買える
なんて今時あまりありえないですよね。

ことしも一年おせわになりました

2007-12-31 18:33:27 | 日本
この写真はMy Wifeの東京の下町の家にいる猫さんです。
今日は天気がよくて暖かい日差しが差し込んでいましたので、
こたつの上で気持よくまるまっているところを写真をとりました。
今年は『ねこなべ』とやらが人気だったとかですが、海外にいた
ので全然知りませんでした。

言い遅れましたが、一昨日、日本に帰ってきました。本当は年末
年始は香港では通常の営業です。今日の31日もだいたいの会社は
やっています。1月も2日から営業開始です。私は2日の日に
香港に戻り、3日から仕事です。忙しいです。年があけるとすぐ
また別のコマーシャル撮影が同時に2本も入っており、マカオで
のロケなどもあります。年初から大忙しです。

昨日は、My Wifeの東京の実家(材木屋)での餅つき
に参加しました。餅つきは、愛知の実家で子供の頃よく手伝って
いたので、技術的には、杵の使い方とか自信があるのですが、
なんせ日頃、筋肉を使わない私にとって、杵を持つ事は突然の
できごとで、ちょっと筋肉疲労(筋肉はほとんどありませんが)
になってしまいました。またビールを飲みながら餅をついたの
で、身体よりも先に息が切れてしまうのでした。ああ情けない。
ちょっと日頃のトレーニングをしておかなければと反省したの
でした。

今年もいろんなことがありましたが、来年はみなさまにとりまし
ても良い年になることをお祈りしております。今、豊洲のらら
ぽーとのアプレシオでアクセスしておりますが、これから家に
帰り、年越しそばならぬ年越しうどんです(My Wife
はそばアレルギーなので)。

では、みなさまよいお年を。
I wish you a happy new year!

日本に来ています

2007-10-14 18:05:40 | 日本
木曜日から日本に来ています。この写真は、木曜日に東京の
木場のデイ・ナイス・ホテルの窓から見えた日没の風景です。
日本にきてびっくりしたのは、日本人がいっぱいいることで
した。これは日本に住んでいる人にとっては当たり前のこと
なのですが、海外から久々に帰ってみると、日本人ばかり
いる光景はじつに奇妙な感じがします。

海外(アジア)にいて、たまに日本に来ていると、些細な
できごとでびっくりしたりします。同じようでいて実は違う
ことがいろいろとあります。今日はちょっとそんな部分を
語ってみたいと思います。

電車の中の携帯電話
日本では、電車の中で携帯電話で話す事は御法度ですよね。
でも香港やシンガポールでは全く問題なく、携帯電話を使っ
ています。アジアでは、携帯電話は通じてあたりまえの物、
通じないのは、会議中とか電池がきれた場合のみ。電車の
なかだろうが、平気で電話をしています。電車の中で電話
することはまったくマナーに反する行為ではありません。
日本に来ると、何で電車の中で電話していけないのだろう
と不思議に思ってさえしまいます。

この上の写真は香港の地下鉄(MTR)の中の写真ですが、
よく見ると、携帯をかけている人が見えます。手間右の
女の子もこの写真のちょっと前まで電話で話していました。

電車の中の飲食
シンガポールでは電車の中の飲食は御法度です。バスや
タクシーの中でもダメです。公共交通機関を利用しながら
飲食をした場合、巨額の罰金となります。日本だと、電車
の中で駅弁をたべたり、バスの中でおやつや飲み物を飲ん
だりするのは問題ないのですが、所変わればです。以前、
シンガポールからツアーのバスに乗っていて、遠足気分で
バスの中でおやつを食べだしたら、おこられました。

ファーストフード店の後片付け
日本では、ファーストフード店やスターバックスなどの
お店で、終わったあとの食器は自分で片付けるのが常識。
しかしアジアの大半の国では、テーブルに置き去りにす
るのが常識です。こういうところもその文化の違いを知ら
ないといらぬ誤解を招いてしまいますね。

スーパーマーケット内での飲食
日本では、スーパーマーケット(コンビにを含む)内で
食べ物を食べながら、あるいは飲み物を飲みながら歩い
ているお客さんはまず見当たらないと思います。しかし
シンガポールでも香港でも平気で買ったものを飲食しな
がら歩いているのも見るとびっくりします。アジアの
人が日本でそういうことをしようと思ったら、かなり
問題にされるでしょう。

タクシーのドアの開け閉め
日本ではタクシーはだいたいが自動ドア。ドアの開閉は
運転手にお任せくださいというようなことまで書いてあり
ます。香港では自動ドアが普通になりましたが、シンガ
ポールなどではまだドアは自動はほとんどありません。
日本のようにドアをあけたまま去ろうとすると運転手が
あわてて閉めるように指示する場合があります。

国が変われば、ちょっとした違いがあるものですね。

東京ディズニーランド訪問

2007-09-03 02:00:33 | 日本
今、出張で日本に来ているのですが、日曜日に東京ディズ
ニーランドに行ってまいりました。My Wifeと一緒
なのですが、すでに若者カップルと言えない(?)私達で
も全然違和感なく楽しめました。

夏休み最後の日曜日のこの日ですが、子供たちがずいぶんい
ました。夏休みの宿題はもう終わっているんでしょうか?
他人事ながらちょっと心配になってしまいます。

午後遅めに到着した我々は、「パイレーツ・オブ・カリビアン」、
「ジャングル・クルーズ」、「マーク・トィエイン号」、
「ピーターパン」、「スタージェット」などに行った後、
最後にまだ時間があったので、「スペース・マウンテン」
に行きました。

この「スペース・マウンテン」では、私が乗船するときに、
あわてていたので、こけてしまったのですが、我々が乗っ
た車両だけが、問題があったようで、途中で車を乗り換え
なければならないというアクシデントがありました。
どういう事態だったのかわかりませんが、問題が事前に
わかるというのは安心です。

このアトラクションは、かなり過激なジェットコースター
で、すでに若くない私にとっては、ちょっとインパクトが
ありすぎでした。

「ジャングル・クルーズ」とか、「マークトゥエイン号」は
かつて英文学をかじっていた私としては、非常に懐かしい
感じがしてとてもよかったです。

上の写真は、エレクトリカル・パレード。正式には、「東京
ディズニーランド・エレクトリカルパレード・ドリームライツ」
というようなんですが、これも感動です。

アメリカやフランスのディズニーランドでも、同じような
パレードは行われているようなのですが、香港のディズニー
ランドでは何故か行われていないようです。

香港のディズニーランドはまだ行ったことがありませんが、
中国人ばかりのディズニーランドはまた雰囲気も違うので
しょうか。チャンスがあれば行ってみたいと思います。

ところで、ディズニーランドで一番感動するのは、そこで
働いている人たちのプロ意識の素晴らしさです。駐車場の
案内係から、売店の売り子さんたち、アトラクションの案内
係、掃除の人まで、プロの仕事とはこうあるべきだという
ことを考えさせられてしまうのでした。

豊洲のアプレシオからのアクセス

2007-09-01 20:36:40 | 日本
今、出張で香港から東京に来ていますが、今日の土曜日、豊洲
ららぽーとにあるインターネット喫茶のアプレシオでインター
ネットにアクセスしています。ここは東京に滞在中にはよく
利用しているのですが、設備もよく、とても快適です。

もともとは、漫画喫茶と呼ばれていたこのようなお店は、今も
漫画は重要な部分を占めていますが、利用のされ方も多用です。
雑誌を読む人、時間潰しをする人、テレビを見る人、ゲームを
する人、睡眠をする人、仕事をする人、など様々。あまりにも
利用が多様化しているので、複合カフェと称されています。

私の利用方法は、もっぱらインターネットですが、テレビなど
も眺めながらできるし、飲み物は飲み放題なので、居心地は
よいですね。

アプレシオは、最初は昨年、愛知県の豊橋店でメンバーになり
ました。昨年の3月、母が他界したのですが、その後、仕事の
連絡やメール処理をするために、豊橋のアプレシオでパソコン
接続を行ったのが最初でした。

さっきテレビを見ていたら、松浦亜弥が裸足で歌っていました。
裸足で歌う歌手は、一青窈とか、中島美嘉とかいろいろいて、
何だか裸足で歌うことが流行になっているような感じですね。
でも何か松浦亜弥は、ちょっと違和感があるような気がして
しまうのは私だけでしょうか。

このアプレシオにあった「オリコン・スタイル」の9月10日号
を見ていたら、山田優のシングルの広告が出ていましたが、
その写真は裸足です。気がついてみると裸足というのがやたら
流行っているのですね。

テレビに明治乳業のヨーグルトの宣伝にビートたけしさんが出
ていましたが、自分の大きな写真に小さな本人がケリを入れる
というコマーシャルですが、この写真の中の彼は裸足です。
ケリを入れる本人は靴を履いているのはどうしたわけでしょう。
いちおう動画はこちらで見られます。
http://www.meinyu.jp/fun/cm/product/

裸足だと、本物っぽさ、飾らぬ生身の人間ということが出せる
ということなのでしょうか。相撲取りも裸足ですが、こちらは
靴を履いていたりすると逆におかしいですけど。

日本語で「地に足をつける」というフレーズがありますが、
裸足というのは、ビジュアル的にそれを表現しているのでしょ
うか。でも、女性の裸足というのは、かなりセクシーですね。
まあ人によるでしょうが。

そういえば松田聖子のデビュー曲は、「裸足の季節」です。
「エクボの秘密あげたいわ」というサビが印象的でしたが、
それは1980年の事で、私がまだ大学を卒業するかしないかと
いう頃でした。

裸足と言えば、1960年のローマオリンピックのマラソンで
優勝したアベベは、裸足で42.195キロを走って優勝しました。
そんな事を言っても知らない人がほとんどだと思いますが。



福神漬けは永遠に不滅です

2007-08-28 03:00:23 | 日本
今日、香港に来て始めて福神漬けを食べました。もちろんカレー
がメインなんですけど、福神漬けが食べたかったので、カレーに
したというのが正確なところです。

香港に来て、この週末に始めてご飯を炊きました。そして本日
初めてガスレンジを使いました。カレーはレトルトのカレーなの
ですが、中村屋のインドカリーのチキンをトライしてみました。
これはMy Wife が日本から持ってきてくれたものです。

ご飯は週末に炊いたものを冷凍してあったので、レンジであった
めました。お米も悪くないです。お皿に温めたご飯をのせ、そこ
にカレーをかけました。インドカリーというくらいなので、わり
と本格派の汁っぽいカレーです。これにたっぷりの福神漬けを
添えて食す。日本人でよかったと思うのはこの瞬間です。

インドカリーを食べて日本の味覚を堪能するというのも変な話し
ですが、カレーと福神漬けのこのマッチングは何と見事なので
しょう。今日私が食した福神漬けは、東海漬け物のカレー用の
福神漬けです。その福神漬けのかすかな甘みが、カレーの香辛料
の辛さと交わったきのその見事なハーモニー。これをケミストリー
というのでしょうか、素晴らしいマッチングです。

土曜日、シンガポールから香港に向かうシンガポール航空の機内
で映画の『バッテリー』を見たのですが、いいピッチャーには
いいキャッチャーが必用なように、カレーには福神漬けが必用な
のだなあとあらためて思った次第です。ところで、この『バッテ
リー』の映画を見て、不覚にも泣いてしまいました。そういえば、
私もよく弟とキャッチボールをやったなあ。

今日、安倍内閣が新たな組閣をしたニュースをやっていましたが、
安倍首相にとって、麻生太郎氏が福神漬けなのかな?ちょっと
比喩が変でしたか?そういえば、お腹の弱い安倍首相にとって
カレーライスは禁句でしたね。失礼しました。

私は、らっきょうも好きなのですが、カレーには福神漬けのほう
が合うと勝手に思っています。福神漬けには、昔からの真っ赤な
のと、カレー用の茶色いのの二種類ありますが、私はどちらも
好きです。真っ赤なやつは人工的な色彩で、身体に悪そうな気も
してしまうのですが、それでも私はそれが好きです。

福神漬けが最初に売りに出したのは、上野の漬け物屋の酒悦
(しゅえつ)だったようです。弁財天が近くにあったので、
福神漬けとネーミングされたとか。そういえば弁財天と言えば
オリジナルはインドのサラスバーティという女神。福神漬けは
その誕生の瞬間からインド伝来のカレーと密接な関係にあった
のですね。

カレーと福神漬けが運命的な出会いをするのは、大正時代の
日本郵船の欧州航路の一等船客用の食事。インドカレーには
マンゴチャツネとかを添えることが多いですが、チャツネの
かわりに福神漬けを添えたのだとか。当時の欧州航路は、
タイタニックの映画でもわかるように、豪華でエレガント。
そういう場所で福神漬けが国際デビューを果たしたというのは
不思議な感じです。

私が今日食したのは、元祖酒悦のものではなく、東海漬け物の
福神漬けでした。このブランドは『きゅうりのキューちゃん』で
有名なのですが、実は私の生まれ故郷にそのルーツがあります。
東海漬け物の会社は、今は豊橋にありますが、私の生まれ故郷の
田原に本社があったこともありました。今でも、国道沿いに
きゅうりのキューちゃんの工場があります。

子供の頃、東海漬け物の工場に見学に行ったことがありますが、
その当時はまだ漬け物は樽がメインでした。東海漬け物はきゅうり
のキューちゃんを小袋に入れて売るという画期的な方法で、その
商品が今でもロングセラー商品になっているということです。

シンガポールのスーパーでも、香港のスーパーでも、東海漬け物
の商品が当たり前のように売られていますが、私はきゅうりの
キューちゃんとか、福神漬けとかを見ると、グローバルに
がんばっているなと声をかけたくなります。なんか勇気づけられ
ます。

負けるな!晋ちゃんまんじゅう

2007-08-24 01:45:15 | 日本
このまんじゅうの写真は、この間実家にお盆のお墓参りで帰省
したときに、一番下の弟が東京土産で持ってきたものです。彼
は国会の参議院に勤めているので、こういうものが簡単に入手
できるのです。と思っていたら、この商品、かなり話題になっ
ているみたいですね。面白いので思わず写真を撮ってしまいま
した。

いちおう私も広告代理店の人間なので、このパッケージデザイン
を解説したいと思いますが、安倍晋三首相はスーパーマンの姿
をなさっております。その右下に同じくスーパーマンの格好で
飛んでいるのは誰かとおもったら、「アッキー」こと彼の奥様
です。ここで夫婦の仲のよさが表現されております。

「晋ちゃんの底力だよ~!」や「再チャレンジ!」というコピー
といい、吹き出しの「改革を止めるな!」という台詞といい、
涙なくしては読めない語句ばかりです。国会議事堂の下のほう
に書いてある「よもぎまんじゅう(ほうれん草パワー入り)」
というコピーは泣けてしまいます。

ほうれん草と言えば「ポパイ」。子供の頃は、親に、ポパイ
みたいに強くなれるからほうれん草を食べるようにとよく言わ
れたのを思い出して、懐かしくなってしまいました。ポパイと
スーパーマン、どちらも懐かしいキャラクターです。安倍さん
も私もほぼ同世代なので、ポパイとスーパーマンはすんなりと
納得できてしまいます。でもこれは食材としては、よもぎだけ
でもよかったのでしょうが、おそらくポパイのイメージを出す
ために無理矢理ほうれんそうを入れたんだろうなあと推測する
と、その苦労にまた涙してしまいます。

小泉さんだったら、こういうスーパーマンの格好をするのも
似合っていたのでしょうが、安倍さんがこういう格好をする
のは多少の無理があります。本当はこんな格好したくなかった
のに周りの圧力でこういう格好をせざるをえなくなったという
ような悲壮感が漂っています。ちょっと可哀想になってしまい
ます。そこが狙いなのでしょうか?

昨日、シンガポールのテレビで「美しい国ニッポンに皆さん
来てください」と英語で語りかける安倍首相のコマーシャルを
見て、このまんじゅうのことを思い出しました。私はこれを
是非、成田や関空の免税店で売ってほしいと思いました。今、
インドやらクアラフンプールとかを訪問している安倍首相です
が、このまんじゅうを土産として持って行ったらよかったのに
と老婆心ながら(?)思ってしまいました。

しかし、この数日で、ニューデリーからコルカタ、そして
クアラルンプールと飛び回る安倍首相はスーパーマン以外の
何ものでもありません。私だったら耐えられませんし、My
Wifeに、そんな無理なスケジュールを組んではダメ
と怒られてしまいそうです。晋ちゃんもアッキーもこの漫画
のように本当のスーパーマン夫婦なのかもしれません。

先月、私はシンガポールの病院で大腸の内視鏡検査を受けた
(結果は全く問題なかった)のですが、病院の待ち合い
室にあった雑誌に安倍首相のことが出ていました。腸が
弱いので、みんながカレーを食べているのに一人だけハヤシ
ライスにしたという記事がでていました。大変だなあと
思ったのですが、今回のインド旅行。インドといえばカレー。
インドにはハヤシライスはありません。ひょっとして特別に
レトルトのハヤシライスを持っていったかもしれませんが、
腸の弱い安倍首相にとってインドは辛かったかもしれません。

うちの会社の人間もインドに出張するたびにお腹を壊して
しまうのが大半です。今度、まんじゅうではなくて、
『晋ちゃんハヤシライス』というのを是非発売してほしい
です。みんなハヤシをたべて頑張ろう!失礼しました。

ここは何処?

2007-04-09 00:34:24 | 日本
この上の写真は私が今日撮影したものなのですが、一体、
ここはどこでしょうか?4月の3日の日まで、シンガポール
にいたのですが、3日の夕方から5日の昼頃までは香港でし
た。香港でブログを更新しようと思ったのですが、時間が
なく、気がついたらもう別の場所にいました。

そして、今日撮影した写真がこれです。何となくヨーロッパ
の南の国のようですよね?イタリア?南フランス?それとも
スペイン?さて、どこでしょう。ここは残念ながら、ヨー
ロッパではありません。実は、ここは、何と、日本です。
それも、東京のすぐそば。舞浜あたり。そうなのです。
ここは、ディズニーシーなのです。

今年は五周年ということですが、生まれて初めて行きました。
実は、どんなところなのかよくわからずに行ったのですが、
行ってみてびっくり、いろんなアトラクションがあるのです
が、全体の作りがかなり本格的に作り込んであって感動です。

この南ヨーロッパ風の街並もその一部なのですが、ここは
もはや日本ではなく、全く別の空間です。夢の世界と言った
ほうがよいのかもしれません。

まず、私は、駐車場で感動しました。駐車場に入る車を誘導
する係員の人たちが、笑顔で、はっきりとした動作で車を誘
導してくれるのです。一台の車が駐車場に入るまでの間に、
何人もの人たちが、それを導いてくれます。さすが、ディズ
ニーだなと思いました。

駐車場というのは、設備全体からすると、全くの周辺的な
場所なのですが、そこから、すでにディズニーのコンセプト
が徹底されている。駐車場というマイナーな部門で働く若者
たちが、自分たちの使命を自覚し、照れもせず、投げやりに
もならず、実にシステマティックにきびきびと働いている。
私は、こういうのがすごく好きです。この駐車場を見ただけ
で私は、ディズニーシーに来たかいがあったと思いました。

駐車場の入り口からちょっと入ったあたりに立っていたいた
女性の係員がまるで、バレーか、スポーツでもしているかの
ように、すらりと手を伸ばして、はっきりと方向を指示して
くれているのを見たときには、感動して、涙がでそうになっ
てしまいました。働く姿の美しさを、そこに見ました。

私の妻も学生時代に、ディズニーランドでアルバイトをして
いたことがあると言っておりました。アルバイトであっても
徹底したトレーニングを受けて、お客さんの夢を壊さないよ
う行動しなければならないということでした。

この空間は、何でできているのかと問われれば、それは夢で
できていると言えるのかもしれません。

アトラクションで見たのは、海底2万マイル、インディー・
ジョーンズ、ビッグバンドジャズ、タワーオブテラーなど
でした。どれも見事な仕掛けでしたが、タワーオブテラーの
エレベーターが暗闇の中で落下するアトラクションはかなり
強烈で、心臓がとまるかと思いました。手に汗握るとはまさ
にこのことです。

ビッグバンドジャズは、ブロードウェイのミュージカルの
ような感じですが、演奏も、ダンスも本格的で、感動です。
そんな中で、ミッキー・マウスが踊るのですが、この踊りも
かなり上手で感動でした。私の妻は、このステージで登場
する白い猫のキャラクターが出て来るたびに、苦笑しており
ました。猫の眉毛がちょっと変だよ~と笑いながら言って
ました。

今日は夕方から小雨が降ってきましたが、小雨の中
で見た花火はとてもロマンチックでした。また行きたいと
思います。

わたしの「千の風になって」

2007-02-27 13:06:24 | 日本
今、東京の江東区門前仲町のマンガ喫茶でネットにアクセス
しています。先ほど、近所を散歩していたら、永代橋の近く
の水路沿いの土手にある桜の木がもう開花していました。
まだ三月にもなっていないのに、まさかと思ったのですが、
ちゃんとした桜の花でした。

日本に来て、みんなから「寒いでしょ?」と言われるのです
が、私は、日本に到着した土曜日の夕方から今まで、何だか
あったかいなと思っていました。昨日の昼頃も、外を歩いて
いると、日差しがもう春だなと思いました。もしも自分が
植物だったら、この光の暖かさに反応して、春だと思って
しまうのだろうなと思いました。

体質がおかしくなってしまったのでしょうか?ここ数日の
東京の外気はとても清々しい気温に感じられます。いやな
寒さではなく、むしろ気持がよい感じです。外を歩くときは
ダウンジャケットを着ているのですが、ちょっと暑いなあと
いう気さえしています。久々に味わう、日本の寒さの中に
春の気配をもろに感じてしまう私でした。

今回の来日の主目的は、25日の日曜日に愛知県の田原で行わ
れた、母の一周忌の法要でした。午前十時半から、田原の
竜門寺というお寺で、法要がとり行われました。曇り空の
下で、お墓にお線香をあげて、読経が行われました。

母が亡くなった約一年前のことが思い出されてきて、時の
経過のはやさも同時に思い知らされたのですが、私はふと、
「千の風になって」の詩を思い出していました。きっと、
母だったら、三河弁でこんなふうに言うのだろうなとか
想像しました。
お墓の前で泣いちゃあいかんよ。
わたしゃあ、そこにゃあおらんでねえ。眠っとらんでねえ。
わたしゃあ、今は千の風になって吹いとるででねえ。
わたしゃあ、春を待ちきれんで咲きだした桜だでねえ。
わたしゃあ、シンガポールに降るにわか雨だでねえ。
わたしゃあ、夜空に輝くカシオペア座だでねえ。
お墓の前で泣いちゃあいかんよ。
わたしゃあ、そこにはおらんでねえ。死んじゃあおらんでねえ。

三河弁と言えば、去年やっていた宮崎あおいさん主演の
『純情きらり』でおなじみの方言です。

今日の、火曜日の新聞に、テノール歌手、秋川雅史さんの
『千の風になって』が、3月5日付オリコンのシングル・
チャートで、クラシック系の音楽家としては最高の53万4千
枚を売り上げ、過去の『もののけ姫』の記録を超えたと出て
いました。

私はまだこのCDを買っていませんが、これから買いたいと
思っているし、そういう人は数多いと思いますので、この
記録はさらに伸びるでしょう。

先ほど、この詩の原作者について調べていたのですが、この
ことについて書くとまた長くなってしまいますので、これは
また別の機会に書きたいと思います。ではまた。

恥ずかしい国のベビー・マシーン

2007-02-04 20:45:45 | 日本
この写真は、2月3日のシンガポールの代表的新聞のストレー
ツ・タイムズの13ページに掲載された記事です。柳沢厚生労働
大臣の「女性は産む機械」発言問題に関する記事です。

見出しは、"Baby-machine gaffe shows Japan leaders' mindset"
というふうになっています。"gaffe"は「失言」という意味です。
"mindset"は、考え方とか、価値観といった意味です。全体では、
「子供を産む機械発言は、日本の指導者たちの価値観を露呈」
というふうな見出しになります。ここでの論点が、柳沢厚生労働
大臣の個人攻撃ではなく、日本の指導者全体の価値観の問題と見
ていることがちょとユニークです。

「産む機械」は、"birth-giving machine"とか、"child bearing
machine"とか訳されていますが、この記事で使われている"baby-
machine"という言葉がコピーとしては簡潔で、インパクトがあり
ます。

1999年9月9日に、モーニング娘は「LOVEマシーン」をリリース
し、空前の大ヒットになるのですが、これは若い女性を恋愛する
機械というふうに表現していたわけで、これも差別発言といえな
いこともないでしょう。このBaby Machineという表現は、この
モーニング娘の「LOVEマシーン」に繋がるポップさがあります。
しかしながら、それを発言したのが、権威のある大臣だったとい
うところに不幸があります。

右側の写真で、深く頭を下げている柳沢厚生労働大臣の写真が
掲載されていますが、これじゃあ誰だかわからんだろうが、と
つっこみを入れたくなります。しかもこの写真、構図が酷く、
報道写真としては失敗写真と言ってもよいでしょう。この写真
の人は一体どこで何をしているのだろうと理解できる人がどれ
だけいるか心配です。その写真の下についているキャプションは
「悔恨:日本の健康関係の柳沢大臣が、木曜日、衆議院の会合で、
自身の発言を謝罪」というようになっています。

本文は、「彼の妻さえも憤った」という短い文章から始まります。
「産む機械」発言が大変な事態を引き起こしたということが解説
してあり、安倍首相の支持率低下とともに、野党の攻撃を引き起
こすことになったという流れを説明しています。

「私の妻にも怒られた」と71歳のミスター柳沢は先週、日本の
レポーターに語ったということも紹介され、「がんばってもらう
しかない」という部分は"All we can ask for is for them to
do their best per head"というふうになっています、

この後、これは大臣個人の問題というよりも、権力階級にある
男性全体の問題であるとする慶応大学のMs Sumiko Iwaoという
人の発言が紹介されています。また、26歳のKeiko Otsukiという
一人の女性は、「女性としては、モノのように扱われていること
に怒をおぼえます」と語っているのが紹介されています。

記事は、後半になり、問題発言の背景になっている出生率の低下
の問題に関して述べられています。出生率って英語で"fertility
rate"って言うんですね。さらに記事は、少子化問題によって
引き起こされる問題の例をあげています。曰く、女性が家事と
仕事のバランスをうまくとらなければいけなくなるとか、夫が
長時間仕事をしなければならなくなるとか、って、おいおい、
そのような見方はまるで小学生の作文みたいですぞ、シンガポー
ルを代表するストレーツ・タイムズさん。

シンガポールも少子化問題に悩んでいるのですが、まだまだ平均
年齢は日本よりも若く、外国人労働力も豊富に活用しているので、
日本の少子化の問題よりも状況は深刻ではないので、社会構造的
な問題はそれほど深く論じられていないのでしょう。

実際、出生率だけみると、日本は、2005年に、1.26という記録的
な低さになったということですが、シンガポールはとっくに2003
年に1.25を記録しているのです。

この記事は、再び失言問題に戻り、この失言問題の決着は、愛知
と北九州で行われる地方選挙の結果如何だろう、と締めくくって
います。ニュースソースはロイターのようです。一部、朝日新聞
のニュースも参考にしているようです。

さらに日本関連の記事が左下に続いていますが、安倍首相のグッ
ズの写真が出ています。こんなんあったんですか?これで安倍
首相は、最近落ち来んでいる支持率を回復したいとか。こんな
マグカップや、ペンや、ポストイットでそんなことできるんかい
ね。でも、ちょっとこれほしくなりますね。

さて、本論といいますか、「子供を産む機械」発言に関しての
私の考え方を若干述べておきましょう。遠く離れた異国から見る
と日本のこの騒動は、ちょっと違和感があります。柳沢大臣の
発言の記録を冷静に振り返ってみると、あくまでもそれは言葉
尻の失言であり、直接女性差別論を述べているわけではない。
人口問題の未来予測をするために、比喩として「機械の数」と
いう表現をしただけなのですね。こんなことを発言すると、
私も、やりだまにあげられるのかもしれませんが。まあここで
柳沢さんが「機械」という言葉をあえて選択したことの裏には、
そのような差別的視点があったからだと言われてしまえば、
なんともそれは仕方のないことではありますが。このような
局面に追いやられた柳沢さんには、何となく同情を禁じえません。

しかし、日本のマスコミのエスカレートぶりはどんなもんかと
思います。大学(英文科)でシェイクスピアの『ジュリアス・
シーザー』に関しての授業をとっていたことがあるのですが、
このお芝居は、群衆心理の愚かさの話と読み解くことができま
す。マスコミに踊らされた群衆が、怒りに任せて柳沢大臣を
追いやる。なんか歴史は繰り返すという感じですね。

シンガポールで、柳沢大臣失言問題の記事を探したのですが、
ストレーツ・タイムズのこの記事のほかは、本日の日曜日の
記事でちょっと取り上げられていたくらいです。しかも何と
なく歯切れが悪い。この上の記事は、男性全体に対しての
連帯責任を要求している感じでもありますね。

他の新聞も探したのですが、あまり記事が見当たりませんで
した。おそらく外国メディアは、もっと重大な事件がいろいろ
あるので、こういう記事は重要度が低いと判断されるのかと
思います。野党の皆さんのお怒りもごもっともですが、仕事
のボイコットはプロとしては子供っぽい所作と見えてしまい
ます。野党の皆さんは、この機会に与党を思い切りやり玉に
あげられるので、自分たちの問題点を帳消しにできるという
戦略的なメリットもあるということも十分理解できます。

まあ、何と言うか、日本はこういうことで、じっくりと議論
をしていられる非常に平和で豊な国ということでありますね。

朝まで七福神新春討論会

2007-01-09 00:10:06 | 日本
昨日、七福神に関しての記事を書いたついでに、この七人に
討論会をしてもらったらどうだろうかと考えました。で早速
マイクロソフトのクリップアートのサイトから七福神を探し、
それをパワーポイントに貼付けて、文字をレイアウトしたも
のが上の絵です。なんだかおめでたい感じですね。

それでは早速、七福神の皆さんに登場いただいて、新春討論
会を開催したいと思います。それではよろしくお願いします。

司会「本日は、皆様新年でお忙しいところお集りいただきま
してありがとうございました。皆様は同じチームに属してい
ながら、なかなか一同に会して語り合う機会がないのではな
いかと思います。本日はこの機会に、日頃なかなか言えない
意見をご遠慮なく出していただければと思います。それでは
まず、弁舌に秀でた弁財天さんに口火を切ってもらいましょ
うか」

弁財天「もう、いきなり来ましたね。言っときますけど、私
は本当は弁舌よりも、音楽のほうがメインなのよ。だから、
ほらここにギターを持っているでしょ?」

寿老人「それはギターやのうて琵琶やろ」

弁財天「あら、ご老人、これも広義のギターでございますの
よ。琵琶というと古くさい感じがしますが、今ならさしずめ
流行のシンガーソングライターという感じでございますわね」

司会「弁財天さんが音楽の才能があるというお話がでましたが、
他の皆さんはいかがでしょうか?」

恵比須「はーい、おれ、おれ、おれ」

司会「はい恵比須さん、どうぞ」

恵比須「おれはねえ、釣が得意なのよ。ほらこの鯛もさっき
釣って来たばっか」

寿老人「ちょっと、えびっちゃんさあ」

恵比須「そんな友達みたいな呼び方しないでよ、じいちゃん」

寿老人「じいちゃんって、あんたと歳はほとんどかわらん
じゃろが。どうでもいいけど、その鯛は魚屋で買ってきたもん
じゃろうが。このへんで鯛は釣れんよってに」

恵比須「もう、ぼやき老人!そんなこと言うけど、あんた何が
できるんよ!」

寿老人「わしゃ無趣味や。それが何が悪い?」

司会「まあまあ、まだ正月なので、なごやかにいきましょう。
他にどなたか、いかがですか?先ほどから厳しい表情をして
おられる毘沙門天さん、どうですか」

毘沙門天「私の得意技は武術。言っちゃあなんだけど、この
メンバーの中で一番引き締まった肉体をしている。そこの
布袋さんのような体形は我慢できないんだよね」

布袋「ほっていてくれ」

弁財天「今、聞き逃した皆さんにご説明しますが、これは
布袋とほっといてくれのしゃれですから、笑いましょう」

布袋「ありがとう、弁財ちゃん。ひょっとしてぼくに気が
あるのかな?うひひ」

弁財天「セクハラで訴えますよ!」

布袋「法廷か!」

毘沙門天「みんな私の話しを聞いてよ。今、大河ドラマで
風林火山が始まったでしょ。実は、上杉謙信は、毘沙門天
の生まれ変わりと自称してたのです。上杉謙信はGacktが
演ずるくらいですから、すげーイケメンなんですよ、ぼく」

寿老人「へん、自分で言ってりゃ世話ないよ」

毘沙門天「ご老人、私はそういうかすかなつっこみも聞き
逃しませんよ。私はまたの名を多聞天とも言うのですから」

寿老人「わかった、わかったからそんな矛のようなもんで
わしを突っつかないでくれよ」

司会「毘沙門天さん、凶器は禁止です」

大黒天「あのぉ、このぼくが持ってるこの打ち出の小槌も
凶器と見なされるのかなあ」

福禄寿「それで殴られたら、わしの長い頭が割れてしまう。
凶器と言わずして何ぞや」

大黒天「悪気はないんだけどなあ。これは核の抑止力と同様
のもので、いじめにあいそうな時にこれがあると安心」

弁財天「あんた、そんなことのために小槌を持ってたの?
そんなヒップホップ系みたいなキャップをかぶってからに」

大黒天「ねえさん、ぼくの話しを聞いてくれ。ぼくはインド
から来た。もともとは、怒れる若者だったのだね。怒りすぎ
て顔がどす黒くなった。それを人はガングロと呼んだ。それ
を漢字で書くと大黒となった。日本に来てから、因幡の白兎
で有名な大国様と混同されて、顔が白くなった。でも名前は
大黒のままだった。ぼくの過去を知るものが、ぼくをいじめ
た。そのいじめが怖いので、小槌で自己防衛するようになっ
た。あるいはお金で解決できることならばと、この小槌から
お金も出せるようになった。背中に担いだこの大きな袋は実
は、エアバッグなのです。チーマーに囲まれて暴力を受けた
場合でも身体を守る事ができるのです」

弁財天「(もらい泣きをしながら)あんたもいろいろと辛い
ことがあったんだねえ。でもあんたは、もとはインドの
シウ゛ァ神よね?シウ゛ァ神といえば、ヒンドゥー教の中で
はすごいエリートの神様じゃない。本当はすごい人だったの
よね」

布袋「言っとくけど、わしだって、中国では弥勒菩薩の生ま
れ変わりと言われとるんじゃぞ」

毘沙門天「ぷっ、弥勒菩薩のあのスリムな姿と、あんたの
そのメタボリックシンドロームの結晶のようなその太鼓腹と
全く違うと思うのだが」

布袋「びしゃもんくん、君一度、中国のお寺に行ってみな。
台湾でもええけど。そこにある弥勒菩薩は、みな私と同じ
姿をしているのじゃよ。中国の宋の時代の頃、布袋が弥勒
菩薩の生まれ変わりと信じられるようになった。これ本当。
弥勒菩薩といえば、未来に現れる仏さまですごい偉いのだ」

恵比須「それを言うなら、いざなぎいざなみの血統をひく
サラブレッドのわしもなかなかのものじゃよ」

毘沙門「いやいや四天王の一人の私だって」

弁財天「何言ってるの、紅一点の、美貌と愛嬌、そして
才能のある私よ」

寿老人&福禄寿「いやいいや、結局は年の功だよ」

司会「議論も伯仲しておりますが、お時間となりました。
またこういう機会がありましたら、是非またこういう企画
をやりましょう。では皆さんごきげんよう」


七福神巡り

2007-01-07 11:47:48 | 日本
正月の二日、深川の七福神巡りをしてきました。昨年から
私は、日本の本籍地を愛知県の田原市から、東京の江東区に
移しましたので、ここは新たな地元です。でも日常、住んで
いるのはシンガポールなので、江東区のことはあまりよく知
りません。深川の七福神巡りも、生まれて初めての経験とな
りました。日本のあちこちに七福神があるのですが、七福神
をお参りすることはこれまでまったくありませんでした。

私の妻は深川生まれなので、深川の七福神は毎年初詣でお参
りしているということでした。門前仲町の富岡八幡宮から、
森下のあたりに散在している七福神をぐるっと巡るのに、二
時間くらいかかります。11時過ぎくらいから出発して、昼食
をはさんで、ぐるっと回って戻ってきたのは2時くらいでし
た。

深川の七福神をまわって、気づいたのは、川が多いことと、
江戸時代の有名人にゆかりのある名所が多いということでし
た。富岡八幡宮は、日本地図を作った伊能忠敬が出発地とし
たところでした。樺太(サハリン)を探検した間宮林蔵の墓
も途中にありました。松尾芭蕉の庵の跡もありました。
紀伊國屋文佐衛門も深川にいたのですね。いきなり日本の
江戸時代が凝縮された場所にタイムトリップした感じでした。

ところで、この深川七福神巡りをしてみて、いくつかの疑問
が出てきました。どのような疑問かというとそれは次のよう
な二点でした。
七福神の正式なお参りの仕方は
七福神の神様の正体は

まず、一番最初の疑問点です。お参りの仕方はどうあるべき
かということですが、つまり拍手を打つべきかどうかという
ことでした。初詣は自動的に拍手を打つという先入観があっ
たのですが、この七福神が祀ってあるのは大部分がお寺のよ
うなのです。稲荷神社というのや、神明宮というのもありま
したが、拍手を打ってよいのかいけないのか、わけがわから
なくなりました。

妻のほうは、先日、テレビでやっていたH木K子さんの初詣
の仕方を見ていて、「女性は拍手を打たない」ということで、
手をあわせるだけのお参り方法をとっています。私はその
番組を見ていないのですが、それが本当に正式なものなのか
どうかよくわかりません。インターネットで調べようとした
のですが、女性が拍手を打たないと言っているのはH木さん
だけのような気がします。またニ礼ニ拍手一礼というのが
正式のような気がするのですが、いろんな人のブログを見て
いると、H木先生が「一礼ニ拍手二礼」と言ったかのように
記憶している人が多いのですね。何が正しいのかわからなく
なってしまいます。

私は最初の富岡八幡宮の恵比須神は拍手を打ったのですが、
後はすべて合掌だけですませました。しかしながら、常に
これでよいのだろうかという疑問がまとわりついていました。
拍手を打たないことで、ご利益が得られないのではないのか、
あるいはやはりお寺で拍手を打つのはおかしいのではないの
か、という疑問がぐるぐる回っていました。

七福神で拍手を打つべきか否かについて、インターネットを
調べたのですが、これぞという回答を発見できませんでした。
拍手を打っても別にご利益がなくなるということではない、
ということを書いてあるサイトがありました。でもお寺にあ
る七福神は何となく合掌だけのほうがよさそうな雰囲気です。
これはどなたか権威のある人にマスコミを通じてきちっと
教えてほしい気がしますね。

さて、二番目の疑問です。これまで、七福神の絵は見たこと
があるのですが、それぞれのキャラクターについてあまり
知りませんでした。しかし別のルートで、七福神に接点が
あったのです。

何年か前に、インドのデリーに出張に行ったとき、時間が
あったので、デリーの博物館に行きました。ほとんど人が
いない部屋の中に、おびただしい数の神様の像がありました。
その後で、中公新書の『ヒンドゥー教』(森本達雄著)とい
う本を読んで、びっくりしました。七福神の弁財天が実は
インドのサラスウ゛ァティーという女神だという話しがいき
なり出ていたのです。

もともとサラスウ゛ァティーというのは西北インドに実在し
た川の名前で、河川に住む霊が神格化されたものだとか。
インドのオリジナルのサラスウ゛ァティーは、白蓮華の上に
座して、シタールのような弦楽器を弾いています。この女神
が、弁舌や、学問芸術(とくに音楽)を司ることから、弁才
天と書き表され、それが弁財天と化して、富や財をも受け
持ってくれるということになったようなのです。

日本では、琵琶を持っている紅一点の女神ですが、日本の
弁財天も昔から、河川や湖、池など水辺に祀られているの
だそうです。インドからはるばる日本まで旅してきた女神
なのですね。

実は、大黒天もインド出身だったのです。日本では、大国主
命(おおくにぬしのみこと)とコンバインされて、今に至っ
ているのですが、もともとは、インドの全知全能の神、
シウ゛ァ神だったというのです。幸福の付与者でもあると
同時に、破壊を司る神でもあり、恐ろしい憤怒の形相をして
います。憤怒の色が黒であるということで、シウ゛ァ神は
「マハーカーラ」と呼ばれていたそうです。「マハー」とは
大きなという意味で、「カーラ」とは黒いという意味です。
これを漢字に直訳したものが「大黒天」ということなのだそ
うです。

この他、毘沙門天もインド出身です。ヒンドゥー教では
クベーラと呼ばれ、暗黒界の悪霊の主だったそうですが、
後に財宝福徳を司る神になったのだそうです。多聞天とも
呼ばれ、知恵の神様にもなり、また武闘の神様にもなった
とか。

恵比須さんは唯一日本出身の神様で、いざなぎのみことと
いざなみのみことの三男だそうです。漁業の神様として信仰
されていましたが、今では農業も、商売繁盛も管轄してい
るのだとか。何か万能ですね。

布袋さんは、実は神様ではなく、中国の僧侶だそうです。
大きな腹をしているので、福徳の神として神格化されたの
だそうです。福禄寿は道教の星の神様だとか。正体はよく
わからないのだそうですが、名前が縁起がよさそうなので
七福神に抜擢されたのだそうです。

あと一人、寿老人ですが、この人も中国から来た老人だそう
ですが、正体はよくわからないようです。名前から、長寿の
神様として信仰されているようです。

この大部分は後で調べて分かったことですが、七福神は
日本固有のものかと思ったら、インドや中国やらの外国人
混成チームだったのですね。今やインドと中国は21世紀に
大発展が予想されている二大大国ですが、すでに七福神の中
にその二つの国の神様が入っていたというのですから、運も
お金もインドと中国に有利に流れるのも当然というようなも
のですね。

今年、皆様にとりましてもよい年でありますように。

リセット

2006-09-21 23:43:13 | 日本
この写真は静岡県の掛川の新幹線の駅の風景です。掛川城が見え
ます。掛川城といえば、今の大河ドラマ『功名が辻』の山内一豊
ゆかりの城。山内一豊の人生を見てみると、いくつかの人生の岐
路を経て、その都度、精神的なリセットを体験しました。
織田信長から、豊臣秀吉、そして徳川家康へ、主君が変わるたび
に自分の価値観をリセットしなければならなかった。それはまあ
大変なことだったろうと思います。

東京の地下鉄に乗っていたら、雑誌『トラバーユ』の中吊り広告
のキャッチコピーが「人生リセット」というものでした。今回た
またま、東京のマンションを引っ越ししていて、これまで使って
いた家具とか、書籍とか、衣類とかを思い切って処分したのです
が、これはまさにリセットという体験なんだなあと思いました。

書籍とか改めて見ると、捨てられないものがいくつもありました。
でも、「この数年間一度も見る必要のなかったものは、本当に
必要な物ではないんじゃない?」という下町娘の言葉が
あまりにもグサリと真実を突いていたので、思い切って捨てたの
でした。じっくり見ると捨てられなくなるので、あまり見ずに、
どんどん捨てることにしました。もったいないとかそういう気持
を持つ前に心を鬼にして処分することにしました。

シュラ・ラジニンという人がいます。どういう人なのかよく知ら
ないのですが、『生きる知恵の言葉』からの名言が有名です。
曰く、
「唯一、勇気のいることは、過去をきっぱりと捨てることだ。
過去を求めず、過去を積み重ねず、過去にしがみつかないことだ。
誰もが、過去をひきずっている。そして、過去に執着するからこそ、
今を生きることができないのだ」

引っ越しなどをして思うのは、人間というのは、いかに過去を捨て
きれないのかということです。実際に読みもしないのに、過去の本
を捨てずに持ってしまう。実際に着ることはないのに、過去の衣類
を捨てきれずにいる。過去のものを処分するということは本当に
勇気のいることです。

今回捨てた物のなかに、クロスカントリーのスキー板がありました。
10年以上使ってなかったのですが、捨てるのはかなり勇気がいりま
した。でも思い切って処分しました。インターネットのオークション
とかをすれば売れたのでしょうが、早く処分することが課題だった
ので、そんな欲をいだかずに、過去と決別をすることを選びました。

バブルの時代に買ったダブルのスーツもいくつか捨てました。ズボン
はウェストがまったく入らなくなっているので、もう履けません。
そういうのも思い切って捨てました。

最近、ゴミを溜め込んでいる人のところでボヤ騒ぎがありましたけど。
物が捨てられなくなる人の気持もよくわかります。私のオフィスが
そうです。過去の書類はなかなか捨てられません。捨てないでいると
どんどん書類の山が築かれていきます。そして結局、古い書類も新し
い書類も探し出すのがとてもタイへンになってしまうのです。思い
切って捨てるにかぎります。