テクノロジーの話じゃなくて。
相手のいいところを見つけて、伸ばしたい。それはぼくの基本路線だ。
当然、細を穿つ臨時列車が入線することもある。ごく、まれだけれど。
振り返って考えればあまり褒められた事がないような。
いや、そんなことないのかもしれない。
ぼくは悪いことばかり思い出してしまう癖があるから。
ただぼくはヒトを褒める割に、褒められるとどうしていいかわからなくなる。
長所を指摘されたら当然、誇っていいはずなのに。
相手を上手に褒めることは難しい。
方法を間違えれば嫌味に取られるかもしれない。または、逆に責めているように感じるかもしれない。(こういうことを考えるあたりで、ぼくの心が透けて見えそうでいやだ。)
上手に褒められることも難しい。
有頂天になってはいけないし、そこで満足しちゃいけない。(これも、自戒をこめて。)
責めるのは簡単なのにな。
これって、コミュニケーションが下手だから、だろうか。
不思議なコミュニケーションのとり方だとは思う。
褒めてもらえる対象が親や教師であった時代はとうに過ぎ去り、いまや仕事上の上司がその対象。
その上司に対して尊敬の念も抱けず、褒められてなにがうれしいのか。
ぼくは自分で自分を褒めることも苦手なのに。
それでも、他者に依存してしまう自分がイヤでしょうがない。
ふと思う。
何かを考えてしまうから、頭が重くなる。
何も考えなければ、どれだけラクだろうか。
相手のいいところを見つけて、伸ばしたい。それはぼくの基本路線だ。
当然、細を穿つ臨時列車が入線することもある。ごく、まれだけれど。
振り返って考えればあまり褒められた事がないような。
いや、そんなことないのかもしれない。
ぼくは悪いことばかり思い出してしまう癖があるから。
ただぼくはヒトを褒める割に、褒められるとどうしていいかわからなくなる。
長所を指摘されたら当然、誇っていいはずなのに。
相手を上手に褒めることは難しい。
方法を間違えれば嫌味に取られるかもしれない。または、逆に責めているように感じるかもしれない。(こういうことを考えるあたりで、ぼくの心が透けて見えそうでいやだ。)
上手に褒められることも難しい。
有頂天になってはいけないし、そこで満足しちゃいけない。(これも、自戒をこめて。)
責めるのは簡単なのにな。
これって、コミュニケーションが下手だから、だろうか。
不思議なコミュニケーションのとり方だとは思う。
褒めてもらえる対象が親や教師であった時代はとうに過ぎ去り、いまや仕事上の上司がその対象。
その上司に対して尊敬の念も抱けず、褒められてなにがうれしいのか。
ぼくは自分で自分を褒めることも苦手なのに。
それでも、他者に依存してしまう自分がイヤでしょうがない。
ふと思う。
何かを考えてしまうから、頭が重くなる。
何も考えなければ、どれだけラクだろうか。
何も考えなければ楽だろうけど、きっとまた同じ考えが巡ってくる。
そぉ思って気づいた事は天の声じゃないけど、そぅ感じて先に進む。
進んだからと言って何かあるわけじゃないけど、次の考えに行けるよ。
試してみて。
で、社会の中では褒めるのは何か別の目的のための手段だったり・・・。
でも対等の人と人のつながりでは、認め合うことって素敵なこと。「依存」じゃない何か――信頼かな――があると思うから。
褒められるってむずかしいよね。
でも、同じトコにいても進歩ないもんね。
ゆっくりでも、ホフク前進だね☆
ありがと。
>いとちゅたん
確かに繋がっている自分は不思議と好きです。
単品よりもセットのほうがいい。
ただ、自分で自分をうまく評価できないなーってそう考えたのさ。
むぅ。
でも、ありがとね。
>らら
なんだろなー、上下関係はあってもいいと思うんだ。
ただ、その「上下」は誰がどうやって決めるか。
そこがねー。
客観と主観がうまく整合できないなぁって。
で、自分を責めちゃうわけさ。
認め合うってどうやって確認するのかな。
相手を認めるのはわかるけど、自分が認められてる(信頼されてる)のはどうやって確認するの?
どの程度信頼されてるかのバロメータはあるの?
ま、結局は手探りでしかない、とは思うんだけどね。
ぼくには無条件に信じてる相手がいるし、相手もそうであってほしいって願っている。
でも、誰がそれを真理だと証明できるだろう。
証明なんてできないから、手探り。
あー、返事書いてるはずなのにこんなの(↑)になってしまいました(笑)
結局はホフク前進だっ!
認めあうことと信頼ってやっぱり違うのかな?
たとえば大切な人の心に不安を感じるとき、
それはその人を信頼していないから?それとも自分が信頼されていないと思うから?
ららは言葉を書くたびに不快にしてしまうんではないかと不安、それは信頼していないから?ひとを?自分を?
ひとに信頼されるには、自分自身を信頼しなくてはいけないような気もする。
分からないです。匍匐前進もできないで、
ごまかし笑いのららです。