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2018年7月20日お昼過ぎにキルギス共和国に到着した。
昼食の後、直ぐにキルギス日本センターへ行き、国立オシュ大学で日本語を教えているアイグリアさんから頼まれていた日本のコミックを預かってもらう。後ほど、アイグリアさんがビシケクに出向いた時に受け取るのだという。この本は、アイグリアさんがオシュ大学での日本語教育にコミックや絵本を生かしたいという提案を私に話し、わたしが友人やブログの読者に声を掛けたところ協力してもらったもの。まだあるのだが、持ち運べる冊数にも限度がありこの数に落ち着いた。
キルギスと日本の相互理解や交流に生きることを期待している。オシュ大学は、日本語教育を始めたばかりだ。図書館に日本語の本が無いというので、2年前に10冊ほどと届けた。キルギスの旅行会社CATSにも協力をお願いして本を届けたこともある。
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ビシケクからタムガへ向かう途中、ボー渓谷という上り坂を進むことになる。中年のおじさんたちが上り坂に自転車でチャレンジしていた。カザフスタンのグループとガイドは教えてくれた。サイクリストを見ると、ヘルメットの下に白髪が見えた。2000年、私は20名の仲間と一緒にこの渓谷を、イシククル湖の西の畔にあるバリクチからビシケクまで下ったことがある。当時は道路も狭く危険なので、キルギス政府は先導車としてパトカーを出してくれたのだった。
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ビシケクからタムガ村までは約400キロ、タムガ村の手前約40キロ地点にボコンバエワという街がある。2年程前まで在日キルギス大使を務めていた友人のリスベク氏が、私用で奥さんと一緒にこの街にいるから「会いましょう」というので、13時頃にこの街で一緒に食事をすることになった。キルギス民族の伝統的な暮らしを楽しみながらキャンプすることができる、民俗村ともいえるキャンプだという。シャワーもトイレも備えていた。キルギスも観光客を迎えるように大きく変わっている。
ボコンバエワの村の入り口で、鷹を腕に乗せた人を多数見かけた。リスベク氏に聞いたら、ボコンバエワの祭りだという。こういう生活に密着した行事を観光に組み入れてほしいと思った。情報を海外の旅行会社にも伝えてほしいと思った。
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「中央アジア抑留」 中央アジアに抑留された元日本兵の手記など
「中央アジアに抑留された日本人捕虜の資料館 キルギス」 キルギスに抑留された元日本兵の様子を伝える資料館の紹介
「天山を越え日本へ キルギスに抑留された日本人」 キルギスに抑留された元日本兵へのインタビュー