![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/c4/0608deb0deb52512e4dc1d5743869278.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6a/cf/02ea4a509e116a8f625c04f0b1e8fbbf.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/58/a0/73f76a33e936d3794e0404f12b7256e6.jpg)
帝京大学文化財研究所から2017年度の「シルクロード学研究会 報告集」が届いた、先週の金曜日の事だった。
帝京大学では、キルギスの郊外にあるアクベシム遺跡の発掘を続けている。シルクロードの旅人として有名な玄奘三蔵が立ち寄った遺跡とみられている。
昨年(2016年)には報告会に出席したが、今年は日程を知らなかった。たまたま、青年海外協力隊のボランティアとしてキルギスのナリンに派遣されていた知り合いが、帰国後山梨県に住んでいる。住まいから15分ほどの距離の所で行われた報告会の会場に足を運んでいた。このことをfacebookで知ったのだ。彼女は山梨県の出身で、今では2児の母。子供はまだ小さいので、時間のやりくりは大変だったと思う。それにもかかわらず、報告会に出かけたのは「第2」の故郷への思いが強いようだ。キルギスから来ていた研究者とキルギス語で研究者と話したようだから、子育て後もキルギスへ行って交流したりするのだろうか。子育て後の彼女の活躍を楽しみにしている。
その知人の投稿を読んでいたら「キルギスから研究者が来て発表し岩絵に関する報告もあった」というので、帝京大学文化財研究所に「報告集を送ってほしい」とお願いしていたのだった。
日曜日には、報告集をよく読まないうちに帝京大学文化財研究所へメールで報告数の到着とお礼を伝えた。また、2006年以降に撮影した岩絵の写真などを添付して送った。研究にプラスになればと思っての事だった。
キルギスでは、岩絵と言えばイシククル湖の北岸にあるチョルポンアタの岩絵博物館が有名だ。それに、首都のビシケクの南にあるイシク・アタの薬師如来像が有名だ。そのほかに、どんな岩絵が公表されているのか知りたかったので、報告集を取り寄せたのだった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/7e/4a6a2489cb2768af3ce7b6e55e6c269d.jpg)
キルギスのイシククル湖南岸にあるタムガ村には、125名の日本人が抑留されていたことが明らかになっている。1946年から1948年の事だ。抑留された日本人は、この村にある国防省の管轄するサナトリウムにある診療所の建設に関わっている。この建物は、今も泥治療の施設として利用されている。
抑留体験を持つ宮野泰さんにインタビューした時に「『ずっと南に行って天山山脈を越えると中国だ。脱走して天山山脈を越える計画を練ろう』と抑留仲間の望月さんが何人かの前で話したことがあります」と笑っていたことがある。バルスコーン渓谷から天山山脈のベデル峠を通って中国へ抜けるルートは、約1400年前に仏典を求めてインドへとシルクロードを旅した玄奘三蔵が通ったルートと考えられている。タムガ村からは約200㎞ほどだ。ほとんどのルートが3500メートルを越える高原だ。車の往来がないので、サイクリングにもハイキングにも向いている。ただし、天候の変化には注意が必要だ。
このルートを自転車で2回走ったことがある。最後の8キロほどは、川原を歩いたのだが。
ベデル峠をめざしているが、残念ながら降雪に見舞われて峠の手前で撤退している。あとでGPSで調べると、水平距離で500メートル、垂直距離で300メートル手前で撤退していた。道はなく、水の流れを飛び越えながら川原を進んでいたし、岩陰もないルートだった。水量が増えたら8キロ下に待っている車まで戻ることができなくなる。さらに3キロほど下にある軍の国境警備隊の宿舎まで戻れないかもしれない。生きていればもう一度チャンスを作ることができる。そう思って撤退したのだった。軍のチェックが3回あり、国防省の許可を得る必要がある。ただし、記録を見る限り、まだ日本人は一人も峠を通ってないと思われる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/7c/5988eb31737550a5f929469c1987c993.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/57/78e47065eb4826b06a857129d2cc424c.jpg)
さて、日本人が抑留されていたというタムガ村の近郊には、タムガ・タシュという岩がある。チベット文字が刻まれている。「タシュ」は関所とか門という意味だとキルギス人の通訳から聞いた。この写真を帝京大学文化財研究所に送信したが、資料の中に写真があった。多くの研究者が把握している岩だと知った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/ef/666bddbdbd78c8f81043ac0c74dae7b7.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/0e/c5c046c6781d7ae8d1097c5e745a969f.jpg)
また、自転車でベデル峠方面からの帰りに、高原の中で大きな黒光りする岩がポツンとあるのを見つけた。それは幾つもの絵のある大きな岩で、「以前には仏さんが描かれていたが剥がれて消えてしまった」と年配のキルギス人のガイドが教えてくれたた。
また、「イシククル湖の南岸にある天山山脈の中には、仏像の描かれた岩絵がいくつかあり、チベット仏教の伝播のルートだったと思われる」と、年配のガイドは話していた。このガイドが今も存命なのかわからない。ただ、登山客やハイキング客をガイドしているキルギス人の知り合いがいる。彼らに手伝ってもらえば、いくつかの岩絵を見付けることができると思う。GPSで記録をすれば、だれでも岩絵を研究したり、古のシルクロードの旅人が行き交ったルートを巡ることができると思う。仏教伝播に関するルートが秘められているというのは、日本人には興味深い謎解きだ。1か月ほど滞在して、調べたいものだ。。
シルクロードをサイクリングしたときの様子を紹介しているテレビ番組
来年(2018年)のキルギスで計画しているシルクロードハイキング、トルクメニスタンのサイクリングを紹介している新聞記事
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます