本日書店で立ち読みしていたら「日本語の豊かな使い手になるために」(大岡信)という著作が並んでいた。
ページをめくると「ことばは知識ではなく体験である」という大岡信のことばが眼に入った。普段から私が思っていたことを的確に表現してもらったような気がする。言い得ている。
私もいい使い手ではないが、いつもそうありたいと思っている。
社会的に注目を集めるべき人こそ、ことばに敏感であるべきである。
政治家が辞書にない言葉使いを「閣議決定」するという、とんでも国家に私たちは住んでいる。まずここからあらためなければ、日本語は滅びる。
「閣議決定」する大臣たち、それを認める議員達は、みずからのみすぼらしい人生と体験、向上心のないことと、そしてみずからの因って立つ文化を冒涜していることに無自覚である。ことばによって成立している文化を否定していることすらも自覚していない。
ページをめくると「ことばは知識ではなく体験である」という大岡信のことばが眼に入った。普段から私が思っていたことを的確に表現してもらったような気がする。言い得ている。
私もいい使い手ではないが、いつもそうありたいと思っている。
社会的に注目を集めるべき人こそ、ことばに敏感であるべきである。
政治家が辞書にない言葉使いを「閣議決定」するという、とんでも国家に私たちは住んでいる。まずここからあらためなければ、日本語は滅びる。
「閣議決定」する大臣たち、それを認める議員達は、みずからのみすぼらしい人生と体験、向上心のないことと、そしてみずからの因って立つ文化を冒涜していることに無自覚である。ことばによって成立している文化を否定していることすらも自覚していない。