Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

緊急地震速報 神奈川県で震度5弱

2024年08月09日 21時21分22秒 | 天気と自然災害

 先ほど緊急地震速報。私の住んでいるところは震度3だったが、神奈川県西部で震度5弱であったらしい。新幹線などが止まって混乱しているらしい。在来線も私鉄も地下鉄も一時点検のため遅延となったものの、現在は復旧しているようだ。
 南海トラフとは離れているし、深さも10キロとごく浅い。昨日から喧しい「南海トラフ」とは無関係ということで、便乗したり、フェイクニュースに騙されないようにしたいもの。気象庁の発表は以下のとおり。

震源の深さは約10km、地震の規模(マグニチュード)は5.3と推定されます。
この地震による津波の心配はありません。
震度5弱 厚木市 中井町 松田町 清川村

 複数の友人から心配している旨のメールをすぐにもらった。ご心配をおかけした。そしてとても嬉しかった。無事なことをすぐに返信したが、複数もらったので時間差が出来てしまったことは申し訳なかった。

 私たちの住む列島は、世界でも有数の地震多発地帯なので、常に地震への備えと言うか、気持ちは忘れたことはない。果たして大規模地震に対して有効なのかどうかは別として一定の備えはある。しかし都内や県下の美術館などに出かけることも多い上に、退職者会のイベントなどでの外出も多い。家を離れる時間は同年齢の方に比べたら多い方だと思う。
 問題は出かけた先での身の処し方。処方された薬や緊急のお泊りセットは一週間分は持ち歩いているが、お金の持ち合わせや着替えなどは持ち歩けない。家に処方された薬はさらに二週間分は備蓄してある。食料も何とかある。
 どんな場合も慌てず、自分が何処に居て、周囲の状況を自分の判断で見極め、デマや扇動には左右されず、身を処したいものである。慌ててもいい結果には繋がらないことを肝に銘じたい。まずは自宅に最短でもどる道筋を想定して、それに沿って行動することを最初に考えることにしている。

 昨日の地震を受けて、政府や自治体からのお知らせを聞いているが、私が想定したように、これまでの備えを継続、避難方法の確認をしてほしいという水準である。
 さらに、
マグニチュード7.1の地震に伴うステップ状の変化が観測されていますが、地震後に通常みられる変化以外は今のところ捉えられていません。
Mw7.0以上の地震発生後、7日以内にMw8クラス以上(Mw7.8以上)の大規模地震が発生するのは、数百回に1回程度です。異常な現象が観測される前の状況に比べて数倍高くなっています。
地震が続けて発生したこれらの事例から、南海トラフ地震の想定震源域では、新たな大規模地震の発生可能性が平常時に比べて相対的に高まっていると考えられます。
という指摘以上に、具体的なものは表現されていない。
 私は「地震は来ない」ということは断言できないし、「いつかは起きる」とは思っている。しかし具体的にいつ・何処の範囲で、どの程度の地震かというものがないこともまた気象庁も政府もきちんと、もっと明確に国民に知らせるべきだと思っている。


長崎市平和祈念式典での平和宣言

2024年08月09日 19時32分18秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 例年のように、鈴木史朗長崎市長の読み上げた平和宣言を広島市長の平和宣言に続いて掲載する。G7の六か国の大使が欠席したことは極めて残念である。長崎市の地方自治体としての外交努力は支持したいと思っている。日本政府に対する問題提起はこの宣言文に盛られている。

原爆を作る人々よ!
 しばし手を休め 眼(め)をとじ給(たま)え
 昭和二十年八月九日!
 あなた方が作った 原爆で
 幾万の尊い生命が奪われ
 家 財産が一瞬にして無に帰し
 平和な家庭が破壊しつくされたのだ
 残された者は
 無から起(た)ち上がらねばならぬ
 血みどろな生活への苦しい道と
 明日をも知れぬ〝原子病″の不安と
 そして肉親を失った無限の悲しみが
 いついつまでも尾をひいて行く

 これは23歳で被爆し、原爆症と闘いながらも原爆の悲惨さを訴えた長崎の詩人・福田須磨子さんがつづった詩です。
 家族や友人を失った深い悲しみ、体に残された傷痕、長い年月を経ても細胞をむしばみ続け、様々な病気を引き起こす放射線による影響、被爆者であるが故の差別や生活苦。原爆は被爆直後だけでなく、生涯にわたり被爆者を苦しめています。
 それでも被爆者は、「世界中の誰にも、二度と同じ体験をさせない」との強い決意で、苦難とともに生き抜いた自らの体験を語り続けているのです。
 被爆から79年。私たち人類は、「核兵器を使ってはならない」という人道上の規範を守り抜いてきました。しかし、実際に戦場で使うことを想定した核兵器の開発や配備が進むなど、核戦力の増強は加速しています。
 ロシアのウクライナ侵攻に終わりが見えず、中東での武力紛争の拡大が懸念される中、これまで守られてきた重要な規範が失われるかもしれない。私たちはそんな危機的な事態に直面しているのです。
 福田さんは詩の最後で、こう呼びかけました。

 原爆を作る人々よ!
 今こそ ためらうことなく
 手の中にある一切を放棄するのだ
 そこに初めて 真の平和が生まれ
 人間は人間として蘇る(よみがえ)ことが出来るのだ

 核保有国と核の傘の下にいる国の指導者の皆さん。核兵器が存在するが故に、人類への脅威が一段と高まっている現実を直視し、核兵器廃絶に向け大きくかじを切るべきです。
 そのためにも被爆地を訪問し、被爆者の痛みと思いを一人の人間として、あなたの良心で受け止めてください。そして、どんなに険しくても、軍拡や威嚇を選ぶのではなく、対話と外交努力により平和的な解決への道を探ることを求めます。
 唯一の戦争被爆国である日本の政府は、核兵器のない世界を真摯(しんし)に追求する姿勢を示すべきです。
 そのためにも一日も早く、核兵器禁止条約に署名・批准することを求めます。そして、憲法の平和の理念を堅持するとともに、北東アジア非核兵器地帯構想など、緊迫度を増すこの地域の緊張緩和と軍縮に向け、リーダーシップを発揮することを求めます。
 さらには、平均年齢が85歳を超えた被爆者への援護のさらなる充実と、いまだ被爆者として認められていない被爆体験者の一刻も早い救済を強く要請します。
 世界中の皆さん、私たちは、地球という大きな一つのまちに住む「地球市民」です。
 想像してください。今、世界で起こっているような紛争が激化し、核戦争が勃発するとどうなるのでしょうか。人命はもちろんのこと、地球環境にも壊滅的な打撃を与え、人類は存亡の危機にさらされてしまいます。
 だからこそ、核兵器廃絶は、国際社会が目指す持続可能な開発目標(SDGs)の前提ともいえる「人類が生き残るための絶対条件」なのです。
 ここ長崎でも、核兵器のない世界に向けて、若い世代を中心とした長年の動きがさらに活発になっています。今年5月には、若者版ダボス会議と呼ばれる国際会議「ワン・ヤング・ワールド」の平和をテーマとした分科会が、初めて長崎で開催されました。
 世界の若い世代が主役となって連帯し、行動する輪が各地で広がっています。それは、持続可能な平和な未来を築くための希望の光です。
 平和をつくる人々よ!
 一人ひとりは微力であっても、無力ではありません。
 私たち地球市民が声を上げ、力を合わせれば、今の難局を乗り越えることができる。国境や宗教、人種、性別、世代などの違いを超えて知恵を出し合い、つながり合えば、私たちは思い描く未来を実現することができる。
 長崎は、そう強く信じています。
 原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の誠を捧げます。
 長崎は、平和をつくる力になろうとする地球市民との連帯のもと、他者を尊重し、信頼を育み、話し合いで解決しようとする「平和の文化」を世界中に広めます。そして、長崎を最後の被爆地にするために、核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けてたゆむことなく行動し続けることをここに宣言します。
                                          
    2024年(令和6年)8月9日                 長崎市長 鈴木史朗