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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

夜のウォーキング

2024年02月23日 22時34分10秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 夜になりやっと雨があがった。21時半を過ぎてから、5000歩余りのウォーキングに出かけた。深夜にこんなに長い距離のウォーキングは何年ぶりであろうか。最近は深夜のウォーキングは2~3000歩にしている。
 寒かったがかなりの汗をかいた。

 明日は神奈川大学の六角橋キャンパスの傍の古書店に頼んでおいた「平家物語」を購入しに行く。今週の始めに入荷の連絡が入った。新潮社の日本古典集成とのこと。可能ならば岩波の日本古典文学大系が良かったが、致し方ない。
 購入した理由は、文庫本はすでに持っているが、注釈が文庫本では小さい活字のため、読むのに苦労すること、いくつかの段の書き写しを平家物語で再開してみようかと考えており、大きい活字本が欲しかったこと、の2点。
 注文してずいぶん時間が経ってしまった。書き写しのエネルギーを再度湧き上がらせるために少し時間がかかりそうである。

 明日は頼まれている買い物もいくつかある。寒いという予報であるが出かける。


「中尊寺金色堂」展 その2

2024年02月23日 21時12分30秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 金色堂は過去に現地で3度見た。中を見たのは2回。最初は学生の時に一人で訪れたが、外から金色堂を眺めただけだったと思う。その後2回訪れたときに中も見ることが出来た。しかしあまり近くからは見ることはできなかったのと、手前の欄干や密集して配置されているので、台座などをじっくりと見ることはできなかった。
 今回、中央の須弥壇の11体が展示されている。ガラスケースにおさめられているが、ここまで近くから見ることが出来て、ありがたかった。
 増長天立像と持国天立像は金箔に顔が覆われているにもかかわらず、優美さや豪華さというよりも力を感じた。私がいつも天部の像に抱く違和感をあまり感じなかった。私はいつも彼等の膝が伸びきって、そのために腰をぐっと落としみなぎる力をため込んだ力強さが抜けていくように見えてしまう。いつの時代でも、誰の作でもこの感想は変わったことがない。
 この像も膝が伸びきってはいるが、しかし軽やかな飛翔をしているように見え、違和感が薄らいだ。足で踏みつけている悪鬼が雲の形にも見えるのが不思議である。雲の形をしていることで、飛翔しているように見えるのだと思う。今回の展示では良い体験が出来た。

 安田登の「『おくのほそ道』謎解きの旅」を先日読み終えたばかりであるが、そこにこんな記述があった。
ヨーロッパの日本ブームを作ったのはマルコ・ポーロの「東方見聞録」。・・・黄金の島、ジパングを作ったのは、中尊寺金色堂などの黄金文化を謳歌した平泉ではなかったかと言われています。この平泉こそ奥州藤原氏の都であり、繁栄の証なのです。」(第6章「鎮魂の旅」)
 あらためて平泉という場所について考えさせられた。


上からの視点、下からの視点

2024年02月23日 10時56分41秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 明け方雪にはならなかった。しかし寒い。結露がすごい。

 昨晩は、入浴後ただちに就寝予定であったが、雨が上がっていたこともあり、3000歩程の夜のウォーキングを行った。途中からポツリポツリと再び霧雨程度の雨になったものの、傘をさすほどのこともなく、そのまま続行。
 寒かったが、風もなく、早足で歩くとじんわりと汗ばんだ。肩の凝りも少し解消できた。

 いつもは22時ならば、バスや地下鉄を降りた帰宅途中のサラリーマンがそれなりに通るのだが、人通りはほとんどなかった。車もあまり通らなかった。連休前の夜、ということなのだろうか。遅くまで仕事なのか、飲み会なのか、すでに行楽地へ出向いているのか。年金生活者はおとなしくしていたほうがよさそうである。若い人の愉しみや行楽を邪魔をするように出かけたのでは申し訳ない。

 昨日のニュースは株価が史上最高値を更新したというニュースばかり。どこか浮かれている。株式市場ではバブルの頃の浮かれ模様が映し出されているが、果たして実体の伴う状況下というととてもではないが、信用できない。
 だいたいが円の価値が下がっていること、貧富の差が拡大・固定化して大半の世帯は好景気感など皆無であることに言及しない経済通の言行は信用するに値しないであろう。実体のない妄想に踊らされているのは、庶民ではない。政治家と「識者」と「社会を動かしていると勘違い」している人々。

 景色も下から見上げる視点を見つけると、新しい発見があるという。社会も、日々の生活者の視点から見上げる視点があれば、社会がどういう局面にあるか、見極めることはできるといえないか。
 上から社会を見下ろす視点というのは、奥行きも膨らみも消してしまう。立体感が消える。下から見上げると、上からの光の効果で、透過光が新しい立体感を見せてくれることが多々ある。

 こんな妄想をしているうちに日付が替わってしまった。結局日付が替わらないと布団に入らない。