先ほど本日の書き写しを行った。石牟礼道子の俳句の最終回。齋藤慎爾が10句先駆したものを写した。既に私も気に入ったアップしたものが大半であった。
私の選んだものと重ならなかった句は、
★ひとときの世を紅葉せよ影の舞
★常世なる海の平の石一つ
10句が終わり、次は何を書き写すか思案。鴨長明の「方丈記」に決めた。早速初段を書き写した。全部で七段あるが、一日で一つの段落は無理。二段と六段は長い。しばらくは「方丈記」の世界に浸ることにしたい。
先ほど本日の書き写しを行った。石牟礼道子の俳句の最終回。齋藤慎爾が10句先駆したものを写した。既に私も気に入ったアップしたものが大半であった。
私の選んだものと重ならなかった句は、
★ひとときの世を紅葉せよ影の舞
★常世なる海の平の石一つ
10句が終わり、次は何を書き写すか思案。鴨長明の「方丈記」に決めた。早速初段を書き写した。全部で七段あるが、一日で一つの段落は無理。二段と六段は長い。しばらくは「方丈記」の世界に浸ることにしたい。
昨晩の書き写しは、いつものとおり石牟礼道子の俳句集「色のない虹」から10句。一応「俳句α」(2018年夏)に句集からの抄出句として掲載されている句はこれにて終了。
しかし齋藤慎爾の追悼文には、齋藤慎爾選の4句(「天」より)と、句集未収録句6句があるので、その書き写しも次回行って終了としたい。
昨晩書き写した10句から
・汝(なれ)はそも人間なりや春の地震(なゐ)
・戦して赤いクレヨンもなくなりぬ
・モスリンの晴れ着着てまた荷を負いぬ
一句目は「人間なりや」と呼びかけたのが、地震なのか、面と向かったある人なのか、あるいは水俣病の原因を作った企業の経営者か、隠ぺいに加担した政治家などの「人間」なのか、はっきりしない。あるいはひょっとしたら自分自身なのかもしれない。そこまで自身を追い込むほどの生きざまを見せてくれているのかもしれない。
昨日のフラワー緑道ではもうアヤメ(と思っているが自信はない)が咲きそうになっていた。
本日の午前中は団地の自治会の草取りデーで家の北側の雑草刈りを1時間ほど。膝が曲げられないので、柄が1mの鎌を自費で購入して使用している。妻は自治会の小さな鎌を使和してもらっている。約60㎡を刈ったもののとら刈りの上、あまり短くなっていない。70歳を超えた夫婦なので許してもらうしかない。団地も高齢化して参加者も少なくなっている。
スギナが大量に出ており、本当はツクシを丹念に取り除くことも必要であるが、サボってしまう。細くて長い柄の鎌では切れないまま寝てしまうことが多くて苦労している。
草刈りが終わって、昼食後に統一地方選の投票。近代国家成立以降、日本ではどうしてもリベラル派は主流にならずに伏流になってしまう。どうしてそうなったのかの解析と分析は、日本社会の構造の解明が必要であろう。同時にそこに切り込む新しい政治思想が必要であることは間違いない。だが、しかし待ってばかりはいられない。
現状のリベラル派がもっと大きな潮流になってもらわねば、この列島の社会は政治も経済も、文化も急坂を転がり落ちるように劣化の速度を上げて、奈落の底に至りそうである。
保守・革新という枠組は壊れた。だがしかし、「国家」というくびきにどうしてもひれ伏してしまう社会のあり様を何とか変えたいものである。
そんな思いで、さまざまな場面で動いているが、なかなか厳しい。思いは届きにくい。