Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。体力作り、俳句、山行、美術館・博物館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。

お疲れモードと「冬の星」

2017年12月06日 23時31分07秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 昨晩の夜のウォーキングは今年1番のスーパームーンに照らされて気持ちよく歩けた。本日は、少々疲れているらしく、太ももの筋肉が強張っているような気もするので、断念。
 南側のベランダから空を見上げると、月は視界に入らなかったが、オリオン座、大犬座、小犬座が目の前におおきく見える。建物と木々の間からなので視界が狭いのは残念である。
 本日は日付の変わる前に寝た方がよさそうである。

★寒昴幼き星を従へて        角川照子
★鳴り出づるごとく出揃ひ寒の星   鷹羽狩行


 冬の星・凍星・寒昴・寒オリオン・寒北斗・冬銀河など、冬の星にまつわる季語は割と多い。これまでも次の3句をとりあげた。
☆冬銀河かくもしづかに子の宿る  仙田洋子
☆生きてあれ冬の北斗の柄の下に  加藤楸邨
☆凍星を組みたる神の遊びかな   須佐薫子
 今回の第Ⅰ句、昴は確かに若い青白い星がひしめいているのだが、「幼き」とは星だけを指すのか、人の世に生まれた具体的な作者の周囲の幼い子たちのことも含めているのか、ちょっとわからないところがあるので、これまで取り上げなかった。「幼き星」と断定しているので、あくまでも星のことのみを意味していると解釈することにした。
 第2句、「鳴り出づる」というのが、星々の光の競演の形容だと思うが、以前は少々大袈裟にすぎないか、と思っていた。これは現代の都会から見た星ではなく、都会から遠く離れて、星がそれこそ降ってきそうなほどに鮮やかに見える地での作、例えば山の頂などで見た冬空の句ならば理解できる、と思い至った。
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行ってみたい美術展があるが‥

2017年12月06日 20時13分41秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 11月の始めに今年度末に見たい展覧会をいくつか挙げた。次の11の展覧会であった。

①横浜市歴史博物館   横浜に稲作がやってきた!?         9.16~11.12
②東京国立博物館    運慶                    9.26~11.26
③国立歴史民俗博物館  「1968年」-無数の問いの噴出の時代-  10.11~12.10
④上野の森美術館    怖い絵展                  10.7~12.17
⑤汐留ミュージアム   カンディンスキーとルオーと色の冒険者たち  10.17~12.20
⑥国立西洋美術館    北斎とジャポニズム             10.21~1.28
⑦横浜美術館      石内都 肌理(きめ)と写真         12.9~3.4
            石内都「絶唱、横須賀ストーリー」      12.9~3.4
⑧横浜美術館      シュールレアリズムの美術と写真       12.9~3.4
⑨三菱一号館美術館   ルドン-秘密の花園             2.8~5.20
⑩東京国立近代美術館  没後40年 熊谷守一-生きるよろこび-   12.1~5.21
⑪横浜美術館      ヌードNUDE                 3.24~6.24


 このうち、①~③は見ることができた。④はあまりの混雑なので断念した。当面は④と⑤が気になる。特に④は会期が12月20日までなので、是非訪れたいと思っている。
 明日か明後日、1日中パソコンの前にいるのはつらいので、行ってみたいのだが、仕事の進み具合次第。
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「運慶展」 感想2

2017年12月06日 12時34分32秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
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 ここに取り上げた画像は、
1.運慶の父である康慶作の四天王立像(1189年、興福寺)から増長天立像
2.運慶作の毘沙門天立像(1186年、願成就院)
3.運慶作の毘沙門天立像(1189年、浄楽寺)
4.運慶一門による四天王立像(13世紀、海住山寺)から多聞天立像
5.同じく増長天立像
6.運慶の子である湛慶作の毘沙門天立像(13世紀、雪蹊寺)
である。
 四天王とは仏教では「須弥山の四方に安置され、中国で武将の形で足もとに邪鬼を踏む菅がが一般的になる。東方に持国天、南方に増長天、西方に広目天、北方に多聞天を配す。北方の多聞天が独尊として信仰されるようになりその場合は毘沙門天と称される」(岩波書店、仏教辞典を要約)。恵比寿神の古形ともいわれる。
 また邪鬼とは、「四天王像に踏まれる鬼。仏法を犯す邪神」という説明や「インド先住民といわれるドラヴィダ人」とか、「はやり病などの災厄の象徴」あるいは「人の心に棲む邪悪なものの象徴」という説明まであった。

 さて、1の康慶による増長天立像の足下の邪鬼を見ると、増長天にもはや立ち直ることも出来ず完敗の体である。しかし表情も姿態も現実味があるような表現である。四天王の威力を見せつける役割として描かれていると感じる。

 2の運慶の毘沙門天立像の足下の邪鬼はふたつ。それぞれ左右の足に踏まれている。図録では表情が今ひとつはっきりしないのが残念であるが、これも1と同じように完全降伏となる直前の体である。遺された力で毘沙門天の持つ宝棒を握っているが、まもなく手を放してしまうように見える。

 2よりわずかだが3年後の、3の毘沙門天立像となると、邪鬼の表情が変化する。これは奈良時代の像への回帰なのか、新境地なのかはわからない。しかし邪鬼の表情は「完敗の表情」であっても余裕がある表情である。右手で顎を支え、どこかふて腐れている。自分がこんな役割をさせられることに不満があるような表情にも見える。頭上で勝ち誇ったような毘沙門天の表情とは対照的に力を抜いて、動と静の対比にすら思える。ただし図像からも推定されるように毘沙門天の材質と邪鬼の材質に差があるように見える。帰宅してから気が着いた。実際に展示室で確かめておけばよかったと思う。解説ではこの邪鬼について「後補」の可能性については言及はない。

 4と5の四天王像は煌びやかな彩色がされている。解説では造像当時の彩色であると記されている。この四天王像の足下の4人(?)の邪鬼は実に面白い。表情も姿態もこれだけで鑑賞したいと思うほどである。眼が生き生きとしている。
 多聞天の邪鬼は温和・柔和な表情で、笑いさえ感じるときもある。増長天の邪鬼は3のように左手で顎を支え、歯を見せている。ここでは図像は略したけれど持国天の邪鬼は両手で顎を支え朽ちはへの字に結んでいる。広目天の邪鬼が一番痛めつけられているものの広目天をにらむような眼にはまだ力が籠っている。
 いづれも出来レースの敗者の役割を押し付けられた不満顔にもみえるし、「この間までは一緒に仏教世界に反発していた仲ではないか」、「あんたが宗旨替えした仏教でも力が正義かい」という皮肉にも見える。「俺様の役割・存在とはいったい何なのか」というような、哲学的に何かを考えている、という見方もできる。
 解説では、「本像はきわめてすぐれた彫技をしめしている。‥運慶一門の手になる可能性が高い」とされている。私は邪鬼の表情からだけの判断だが、かなり優れた統率者の存在を確信している。

 6の息子の湛慶作といわれる毘沙門天立像の邪鬼は図録でははっきりとした表情がわからない。実際に展示場でもう一度確かめたかった像のひとつである。解説では「運慶の量感溢れる力強い造形を整理し、上品にまとめた表現は、湛慶が持つ個性の一つ」と記されている。
 邪鬼の表情はいまひとつわからないが、その姿態は力なく臥せって、顔を両手に載せている。足が切り取られているようなので断定はできないが、両手と胴体の筋肉は力を失っている。邪鬼の表情に重きを置いていないという断定は早計過ぎるだろうか。解説では「後補」について言及がないが、他の湛慶の作品から比べて見劣りがするような気がする。毘沙門天そのものの造形も足が両方とも力がなく、寂しい。同じ湛慶作という千手観音菩薩光背三十三身像の躍動感溢れる造形とは落差を感じた。


邪鬼の表情が、奈良時代の造像の学習の成果なのか、新しい運慶の獲得した境地なのかはわからないが、父の康慶の率いる集団の意思の延長上に運慶が新しく加えたものだということを私は感じた。そして4と5の四天王像というのは、やはり運慶という統率者の大きな関与がないとあそこまで邪鬼の表情にこだわりを見せることは出来ないのではないか。子の湛慶の毘沙門天立像では邪鬼へのこだわりが急速に収縮していくというのは、私の勝手な想像である。
 快慶などとの影響関係などは私はまったくわからないが、いつかそのようなことがわかることがあればまた、興味がかき立てられそうである。

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長野で震度4

2017年12月06日 01時26分11秒 | 天気と自然災害
 0時13分頃長野県大町市、松本市、上田市などで震度4の地震。震源地は長野県中部で、深さは約10km、マグニチュードは5.2。津波はない。横浜でも震度1で私も揺れを感じた。
 0時20分には茨城県北部で、深さ約10km、マグニチュード4.4の地震。茨城県常陸太田市、福島県等で震度3の地震。こちらは横浜では揺れなかった。こちらも津波はない。
 二つの地震、関連はないはずだし、被害もない模様だが、やはりびっくりする。
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