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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日もまた暑かった

2017年07月09日 21時30分01秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日の横浜市内の最高気温は14時半過ぎの31.5℃となっている。昨日よりは0.4℃低い。しかし体感的には昨日よりも暑かったように思った。風が昨日よりも弱かったのかもしれない。私は特に予定がなかったので、昼頃から夕方まで買い物に付き合って出かけた。
 本当は近くにある大きな園芸店で入谷を模した「朝顔市」が目当てであった。しかしあまりに暑いので本日は横浜駅近くのスーパーで食材を購入し、エアコンのリモコンが壊れたので汎用のものを購入しただけで帰ってきた。それでも帰宅したのが16時過ぎ。熱中症対策として横浜駅で涼んできたようなものであった。
 帰宅後に購入したリモコンを設定したが、うまく作動しない。結局明日に妻が再度購入しに行くことになった。

 雑誌「春秋」の感想を書いているうちに夕食時間となり、今は不染鉄展の図録を見ながらどの作品を取り上げるか考慮中。

 明日は午前中から組合の会館で作業。明後日は日帰りのバス旅行。12日(水)も予定が入っている。残念ながら不染鉄展の感想はどんどん遅れてしまう。

「群衆が育てた国家神道」(島薗進)

2017年07月09日 19時52分33秒 | 読書
 有隣堂でふと手にしたのが「春秋7月号」。春秋社の発行する1冊90円の広報誌である。いつもは手に取ることもないが、たまたまめくってみたら島薗進氏の「群衆が育てた国家神道-大正・昭和前期の宗教と社会⑨-」が目についた。島薗進氏の発言はツィッター上でときどきき目にする程度の知識しかないが、注目している。以下、いつものとおりに覚書風に。
 明治天皇の死を契機として明治神宮が作られた当時の時代の社会状況などを記す当時の文章などが引用されている。島薗進氏は石橋湛山の文章を引用しながら「明治天皇の回復のために「熱誠を捧げた」民衆たち、そしてやがて乃木希典の殉死を賛美してその葬儀に繰り出した人々、またこうした「熱誠」をほめ、それにならうよう促した人々である」と記している。
 思わず昭和天皇の死に際しての私の体験した社会状況と比べてみた。人々を脅すように「熱誠」を強要する人々を批判した文章も引用されていた。要約すると日本橋界隈での石橋湛山の見聞きした光景として、喪章をつけていない通行人を脅し喪章を強売する商人などを描写している。そして島薗氏は「湛山は実はそれが明治神宮創建を唱える政治家や社会指導層にもあてはまるという、そしてそのようなお偉方が群衆を利用しようとしているのが日本社会だという」としるしている。
 「日々の平穏な暮らしを軽んじる群衆の熱狂、そしてそれに便乗する釈迦指導層が厳しく批判され、明治神宮創建はそのような気運に乗ったものだと(石橋湛山は)捉えている。群衆の台頭に促されながらの無責任体制へ、また全体主義国家神道体制へと向かっていく戦前日本を、1912年の時点で的確に捉えてた論といえるだろう」と結んでいる。

 「群衆が育てた」という評価のあり方が適切か否かは保留をしておきたいが、当時の社会の雰囲気を探るにはいい勉強になる。特に当時も昭和天皇の死のときと同様に、社会全体が「喪」に伏したような世相だったということではないこと、かなりの強制があったことなどがわかると同時に、現代がいかに危うい状況下にあるのかという危惧もまた根拠のあるものだと感じる。


九州地方の豪雨被害

2017年07月09日 07時54分04秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 九州の豪雨はまだおさまらない。亡くなられた方も多いし、安否の確認が取れない方も多く、さらに家屋を失った方も多い。避難生活もすでに5日目に入る。そして河川の氾濫や土砂崩れの状況を見るたびに息をのむ。

 時間雨量100ミリを長時間超えたりしている。先日私の住んでいる団地にも時間雨量80ミリ以上の標示の雨が20分ほど続いた。
 地面にたたきつけるような雨の音、生い茂った樹木の葉を強く叩き落すように音に圧倒された。あの圧迫感よりも強い力を、さらに長時間受けるだけでも大きなストレスとなることを体感した。その上に土砂災害を受けた場合の精神的、肉体的なダメージは想像ができない。

 なんとか早めに雨が一段落して、生活の再建の見通しが立てられるようになってほしいものである。